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バニラとポップコーンはアメリカの香り

東京に行った時に地下鉄の駅のホームで、見つけた。
あのドブのような、排泄物の混じった、古い地下のにおい。
そのにおいを運ぶ生ぬるい空気。

それは、ニューヨークの地下鉄の空気だった。

いいにおいとは言えないしできればかぎたくないはずなのに、
それを見つけた私は、

ここにあったんだ…!

という、
失くしたと思っていたものを偶然見つけた時のような気持ちだった。

どうしてそんな気持ちになったんだろう、と考えてみてわかった。

私はそのにおいを探しているんじゃない、
そのにおいにくっついている記憶を探しているんだ。

においってすごい。
普段思い出そうとしても思い出せない、
その時にあった感情までもが蘇ることがある。

きっとみんなそれぞれにある。
漂白剤のブリーチで夏のプールの日を思い出したり。
昔の恋人の香水に似た香りとすれ違って、当時の自分の気持ちを思い出したり。

排気ガスのにおいは、
小1から小6までの冬休み毎日毎日通ったスキースクールの、
スキーを片付けてバスに積み込む時の記憶。
ああ、いやだった。肺いっぱいに吸い込んだあったかい排気ガス。

よくあるカレーライスのにおいは、
スキー場の食堂と、スキーブーツをがこんがこんと鳴らせてロボットのように歩いていた記憶。
ああ、スネが痛い。痛みまで蘇る。

石油ストーブの灯油のにおいは、
おじいちゃんの書斎。
受験勉強をする私に書斎の机を譲ってくれて、
ストーブの灯油がなくなりそうになったら、
おじいちゃんがコポコポ給油してくれていた。
灯油のにおいでいっぱいの、あったまりすぎた書斎で、
参考書に顔を突っ伏して寝ていた。危険な香り。

雪解けのあとの澄んださっぽろの春の初めのにおいは、
高校に初めて行った日の、
着慣れない制服に身を包んだ、緊張した自分。
全部が新しい。新しい人。落ち着かない。


においでほかの国にも再訪できる。

バニラ、シナモン、ヘーゼルナッツ、ポップコーン、洗濯用洗剤ダウニーの香りは強制的にアメリカに引き戻される。着いた途端にバニラのあまーい香りがする空港。
留学の最初のころの不安と居心地の悪さとその独特な甘い香りががっちり結びついていて離れない。
バター香るポップコーンは週末の寮。だれかがまたポップコーンを電子レンジで爆発させて火災報知器が鳴り、消防車が来て私たちは寮の外に追い出される。

ナンプラー(魚醤)のにおいは、タイの屋台のおいしい焼きそば、パッタイとおばちゃん。
タイにはナンプラーをビャッと勢いよくかけて手際よくパッタイを作るいきいきとしたおばちゃんたちがいた。という確かなタイの観光地、カオサンの記憶。

フィリピンだ!セブだ!
なんのにおいかなんてのを考える前にもう体がそこに引き戻されている。
さっぽろでは珍しいほどの暑さでアスファルトがジリジリと焼かれていた日。
さっぽろで、砂ぼこり舞うフィリピンの道を歩いているようだった。


これから新たに、どんなにおいと記憶がインストールされていくんだろう。

まだまだ私のにおい(記憶)探しは続く。

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