先輩のジンジャーエール
大学生のとき、着ぐるみのアルバイトをしていた。
観光地のタワーの形のかわいい着ぐるみ。
遠慮がちに触りに来る子どもや、写真いっしょに撮ろ!とフレンドリーに駆け寄ってくるお姉さん、急にタックルしてくるおじさん、そして外国人の方々。
真夏は暑くてしんどかったけれど、色んなお客さんと関わることができる、実に楽しいアルバイトだった。
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このバイトは基本二人一組で、着ぐるみを着る係と、着ぐるみを誘導し写真を撮る係を交代しながらやる。
愉快な作業のローテーションなので、友達と一緒の回はよかった。
しかし年に数回、全く話したことのない初対面の人とペアになることもあり、出会って間もない者同士で協力し、一日中着ぐるみをまとって観光地を盛り上げなければならないというハードイベントが発生する。
でも、今でこそ無理だが、当時の私は初対面の人と一緒に過ごすのはさほど苦ではなく、むしろ新鮮で楽しい時間だった。
互いに差し障りのない話をしながら、やはり人は十人十色、見ているものや感じているものはそれぞれ違うんだなぁ、と思ったりしていた。
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そんな中、あるひとりの先輩とペアになった。
バイトリーダーを勤めていたその先輩は、他大学の4年生だった。
穏やかで素朴な理系男子で、時々はにかみながら笑うところに人の良さが滲み出ている。
大学の授業のこと、夏休みの過ごし方、今までに出会った珍客の話、この街の好きなところ。
初めて話すにしては話が弾み、心地よく会話した。
もともと自分と波長が合う人だったのかもしれないし、先輩が息をするように気遣いができる人で、話しやすい雰囲気を作ってくれていたのかもしれない。
実際、外国人のお客さんに観光所について聞かれたときは、言葉だけの説明では不足と感じたのかダッシュでパンフレットを取りに行ったり(その間着ぐるみはぼっちとなる)、子どもの目線に立って丁寧に受け応えしていたり、行動面からしてもとにかく良い人だったのだ。
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「先輩の、おすすめのお店ってどこですか?」
ふとした中で、そう聞いた。
すき家やハンバーガー屋をヘビロテしていた私は、他の学生がどんなお店で食事するのか単純に知りたかった。
「それなら、○○っていうところが良かったよ。あそこのジンジャーエール自家製ですっごく美味しかった。ぜひ行ってみてほしいな」
先輩が教えてくれたお店は小さなバーだった。
さすが、年上の人は行くお店もお洒落だ。
いつか行ってみたいな。
そう思ってはいたものの、当時あまりお酒に興味がなかった私はバーという場所の敷居が高く、結局そのお店に行かないまま卒業してしまった。
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だけど、その5年後、私はその店を訪れることになる。
仕事を休職して失意の中、大学時代を過ごした街へ旅行に行った。
気分転換のつもりだったその旅は、結局不安や後ろめたさを拭うことが出来ず、始終暗い気持ちで街を歩いた。
ここにはもう親しかった友人はほぼ居ない。
あんなに歩いた街並みも、5年も経てば景色が変わっている。
そのことが、心細い気持ちに拍車をかけた。
何か美味しいものが食べたい。
こんなときだけどそう思って、私はここで急に先輩のジンジャーエールのことを思い出した。
居る場所からも遠くなかったし雨も結構降っていたので、私は迷わずその店に決めた。
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その店に入って、私は最初にワインとパスタを注文した。
前菜にアスパラのビスマルクが出てきて、これが信じられないくらい美味しかった。
新鮮なアスパラの上にトロトロあつあつの卵。その上にチーズ。幸せな組み合わせ。
自家製のパンも弾力があってとても美味しい。
正直、ここまでで結構お腹は満たされていたけれど、来たからにはやっぱりジンジャーエールを飲みたかった。
注文して運ばれてきたジンジャーエールは、見た目はいたって普通だ。
とりわけインスタ映えしそうな風貌ではない。
けれど、ひと口飲んでその優しい味に驚いた。
喉の辺りでキリキリする感じはなく、爽やか通り過ぎていく感じ。
そしてショウガの良い香り。
なくなってしまうのが勿体なくて、大事にそれを飲んだ。
もちろんワインだって美味しかったし、クラフトビールもこの店の売りだ。
だけど私は、先輩があの時ワインやクラフトビールではなくて、ジンジャーエールを勧めた理由が何となくわかる気がした。
そして、それはすごく先輩らしいと思った。
先輩のジンジャーエールは5年の時を経て、私の弱っていた気持ちをじわっと癒してくれた。
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先輩が今頃どこで何をして過ごしているのかはもうわからないし、この先知ることもできない。
「あの時、ジンジャーエールの存在を教えてくれてありがとうございます」
と、この場を借りて伝えたい。
どうかあの時の優しい先輩のまま、元気に過ごしていてほしいな。
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