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わたしの苦悩と美学について語ります


こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
蚊がいなくなるスプレーってあるけど、いなくならないなぁと思っています。
使っても一晩で3箇所くらい蚊に刺されてしまうからです。
アンパンマンのムヒパッチが手放せません。
ムヒパッチは貼るだけで痒くなくなるスグレモノですね。

私の近況聞いてくれますか
突然ですが近頃の私は元気がありませんでした。
鋭い利用者さんにはバレていました。
大切な人から、頑張らないことを頑張る時かもね、とも言われました。
何かを手放さないといけないんじゃない?とも言われました。
前にも同じようなことを言われたことがあるのですが。
わたし、実はそれがどういうことなのかわからないんです…
結局全力で頑張るマンになっちゃう。
そんなわけで忙しくさせてもらっていて、ありがたい限りなのですが、
なんだか心に余裕がなく、睡眠不足で、自分に優しくできなくて、良くないコンディションが続いていました。

スタッフも増えて、利用者さんも増えて、新規事業にも挑戦している。
側から見たらlifeは順風満帆に見えるかもしれません。
でも、組織として未熟な一面もまだまだあると思います。
短期間にどんどんスタッフが増えているのですもの、当然と言えば当然なのかもしれません。
そして私のような人間が手探りで管理者をしているわけで…
挑戦といったらかっこいいかもしれないけど、とにかく、私個人としてはうまくいかないことがたくさんあるのです。
こんな話をして誰の役に立つかわかりませんが、私は自分の中にあるものだけしか出せません。
自分にも正直でいたい。
それに、月に1回はnoteを投稿してきたので、今更やらないわけにもいかないという心境だ。
もしかしたら同じように苦しんでいる人がいるかもしれないし、言葉にすることで自分を癒すことができるかもしれないので、辛かったこの2ヶ月弱を振り返ってみます。

振り返り
5月の訪問看護ステーションlifeも充実していました。
新規のご相談を20件近くいただき、短期間で終了した方も含めると、そのうち18件が実際の利用に繋がりました。
断るという選択肢はないので、全てお受けするのですが、新規対応が立て込んでくるとさすがに余裕がなくなってきます。
新規対応に付随する業務だけでなく、関連機関とのやりとりや管理業務、定期訪問、待機当番、臨時対応、請求業務、経営に関すること、いろいろ兼務しているので、自分の時間はほとんどなくなります。
家には小学生の子供が2人います。
ビジネス書もたくさん読んでいるし、自己啓発も厭わず挑戦。
手帳も大好きで時間術についても学んでいるつもりの私ですが、それらはほとんど実践できませんでした。
(実践してないってことは学んでないってことか)
手帳も白紙のページが続きました。
訪問スケジュールを調整するスプレッドシートばかり見ていました。
目はブルーライトにやられ、首は完全にスマホっ首だ。
手帳やノートというものは、時間がないと言っている人ほど書いたほうが良いものです。
分かってはいるんだけど、なんせ、座って手帳を開く時間がないのです。
いや、実際にはあるんだけど、とにかくその時間をとるための段取りをする時間をとる余裕がないのです。
周りくどいけどわかっていただけるでしょうか。
時間をブロックするって、そんなに簡単ではないのです。
そして訪問時間以外にどっと疲れが出てきてしまう。
約束して、訪問して、新しい人に会って、事務所に戻ったら記録と書類の整理。
スタッフにスムーズに介入してほしいから、初回の訪問も頑張っちゃう。
あっという間に夜が来て、寝たと思ったら朝が来る。
そのうちに夜もなかなか寝付けなくなり(疲れすぎて眠れなくなる病)、疲れは蓄積していくばかり。
もうこの辺でやめとこ。
とにかく、時間の流れがめちゃめちゃだったんです。
こんな時の私の最大の癒しはなんだと思いますか?
ビール?
うん。それもいいね!
でもビールがいいのは飲んでふにゃんとなっている一瞬だけで、
翌朝は「あー飲まなきゃよかった」となる。
子供との時間?
うん。確かにそれも一理あるね!
でも、鬼残業なので、子供と接する時間がほとんどない。
朝起きて、いってらっしゃい!と見送るまでの一瞬しか触れ合えない日が続く。
「ねぇパパ、じゃなかったママ」
「ねぇお父さん、じゃなかったお母さん」
子供達の呼び違えの多いことと言ったら…
悲しみの極みです。
ってことは…?
そう。
私の癒しは訪問看護なんです。
ガチです。
利用者さんやご家族と向き合う時間。
それが私にとって何よりの癒しであり、
明日につながるエネルギーの源なのです。
もちろん大変な日もありました。
痛みに苦しむ利用者さんの元へ、昼夜を問わず駆けつけました。
「またあんたか」と呆れられても、何度でも駆けつけました。
「まだですか?」と催促されてイライラしながらも、急いで駆けつけました。
くーっ!休みたい!と思いました。
でも。
訪問して利用者さんが一瞬でも穏やかな表情を見せてくれたり、
「来てもらって安心した」
「家にいられてよかった」
「lifeに出会えてよかった」なんて言ってもらえたりした日には。
疲れは一瞬で吹き飛んでしまいます。
全てチャラなのさ。

訪問看護の大変さ
「またあんたか」と私の顔を見る度に言っていた利用者さんには5月に出会いました。
介入当初から痛みに苦しんでいました。
せん妄状態に陥っていました。
「警察ー!警察ー!」と、夜中に大声で叫ぶんです。
ご家族も困り果てlifeに連絡をくれます。
警察を呼べと言っているのに看護師田代が登場するので、あからさまにがっかりしていました。
この状況もなかなかシュールで面白い。
そんな日が続いたある夜中。
「またあんたか。警察呼んでって!あんたじゃどうにもならないだろ!」と訴えられました。
私は真剣に
「〇〇さん。私でごめんなさい。でもね。今の〇〇さんを救えるのは、警察ではなく看護師である私だと思います。私は〇〇さんのその痛みを和らげるために来たんですよ。」と伝えました。
(だって本当にそうだから。)
するとどうでしょう。
それまで抵抗していたその方が、
「ずいぶん自信があるんだねぇ」と、感心した様子で私を見てくれました。
私の真剣発言が効いたのでしょうか。笑
せん妄状態から一瞬目覚めていました。
多分、伝わったんだと思います。
訪問したからには、その時できる精一杯の看護をする。
苦痛を最大限取り除くと決める。
それだけでした。
そもそも自分は無力なのだから、自分自身には期待はしません。
必要なことは、コントロールしようとしないで、その場でしっかり巻き込まれてケアに集中することなのだと思います。

そこから少しお話をしたら納得されて、「そうだな。薬飲むか」となりました。
そんな日を数日間過ごし、その方は入院されました。
そのまま入院先で亡くなってしまったのでもう会えないのがさみしいです。
でも、ご家族が、
確かに大変だったけど、痛みがない時は色々話もできた。
だから家に連れて帰ってよかった。
そうおっしゃっていました。
壮絶に見える時間の中にも穏やかな時間は確実に存在していた。
それが分かっただけで、もう十分です。
大変だったけど、出会えて、訪問できてよかったな。
それしかありません。
もちろん、できることはもっとあったと思います。
でもそういう悔しい経験も含めて全部がその方からのギフトだと思います。
次また同じように苦しむ人に出会った時、今回の経験を活かそうと思えるから。
それが、ギフトをくれた方への恩返しだと思っています。

訪問看護の大変さってとっても儚いものだと思います。
ずーっと続くわけじゃない。
それに、そういう大変な中にも、必ず救いがあるんです。
「どんなに苦しい暮らしの中にも、必ず光が灯っている」
わたしが好きな言葉なのですが、本当にその通りだと思います。
緊迫した場面だからこそなのか、その方の人間味が垣間見れたりしますしね。
私はそういう光が見える瞬間に立ち会うたびに、やっぱりこの仕事って面白いと思うし、
「これでよかったんだ」という経験を利用者さんやご家族、スタッフと共にできた時に、
この上ない幸せを感じます。
いのちの数だけ暮らしがあって、誰もがその人だけの物語を生きています。
真剣に看護をしていると、その物語に触れる瞬間があるような気がします。
結論、どんな人の人生も、ドラマティックで素晴らしいんです。
訪問看護をしながら、私は生きる希望を与えてもらっている気がします。


振り返ったら誰もいない現象
そんなわけで、私は訪問するとエネルギーチャージされてしまうので、永遠に訪問ができてしまいます。
そんな私の看護バカが暴走し、実際に走り続けた結果、一部のスタッフを疲弊させてしまいました。

「疲れました」

ガーーーーーン


(急に語彙力低下)

ただただショックでした。
孤独を感じました。
躍起になっていたのは私だけだったのか…と。
振り返ったら誰もいないという、アレか…と。
頭を抱えました。
確かに忙しいし疲れることもあるけど、すべて喜びに繋がってると思ってました。
悲しくて情けなくて泣けてきました。
バカみたいだな、自分。
と、なりました。
大切にしたかったことを大切にできてなかったことに気づきました。
しかし、その一方で苦しむ私をちゃんと見てくれている人がいたことにも気づきました。
率直に思いを伝えてくれる人もいました。
私は1人じゃなかった。
それに、チームの成長状態を示す「タックマンモデル」でいうと、lifeは今「混乱期」に該当するのでは?と、哲くんに教えてもらいました。
納得でした。
わたしとスタッフの間に圧倒的なコミュニケーション不足がありました。
思いがあるだけではだめなんだ。
伝えないと伝わらないのだ。
まさに多忙は怠惰の隠れ蓑。
思いはすれ違い、ますます話せなくなるという悪循環に陥っていたようです。

本質的なケアを追求する組織だからこそ、お互いを支え合う必要がある。
支える人こそ支えを必要としている。
エンドオブライフケアの小澤先生も言ってました。
断言することでもない気がしますが、わたしは話すことがあんまり得意じゃない。
話す時は自分の思いと行動に相違がないように注意を払ってます。
そういう意味でわたしの発言には表も裏もないと思って聞いて欲しいと思っている。
愚痴だけで終わるとかも好きじゃなくて、
昔から愚痴が飛び交いがちな休憩室が得意じゃなかったんです。
愚痴言ってスッキリしたら「じゃ、次からどうする?」までいきたい。
とにかく。
もっと話そう。
lifeの未来のためと思えば、大切な誰かのためと思えば、できないことなんてないんです。
やると決めたらできるんです。
たぶん。

そんなわけで、訪問看護ステーションlife、まだまだ頑張ります!
ご新規いつでもお待ちしております!

おわりに
このように、私はけっこう苦悩まみれの暮らしをしています。
でも、やっぱり人生は素晴らしいという美学はゆずれません。
胸の痛みは成長痛であり、傷ついた分、かならず成長できる。
涙の数だけ強くなれるよ。
アスファルトに咲く花のように。
(岡本真夜です。名曲よねぇ。)
自分を諦めない限り、自分の心と向き合い続ける限り、必ず成長できると信じている。
ただ、やっぱり自分の感情は大切にしないといけません。
迷ったら、自分の気分が良くなる方を選ぶ。
このシンプルな考え方もどんどん実践していこうと思います。

私の幸せは私の大切な人の幸せに繋がっている。
あなたの幸せもきっとそうです。

最後まで読んでくださりありがとうございます!
今日も頑張るあなたに幸あれ〜!












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