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Sequel-6

A sequel to the story。後日談。これまでに書いたNoteの後日談もろもろ。過去Note記事は、文中クリックで読めます。今回は、クリスマスの話

進退両難

タイトルのしんたい-りょうなん【進退両難】どうにもこうにもならないさま。にっちもさっちもいかないさま。進むことも退くことも困難な様子。▽「進退しんたい両ふたつながら難かたし」と訓読する。

なんだかもうわたわたなクリスマスになってしまったのでそのご報告。計画では、おば夫婦と犬3匹を連れ、大都会に住むいとこ宅に親族一同、集合。クリスマスイブパーティ、そして本番クリスマスを迎える予定であった。詳しくはコチラ

時系列で書き出してみると……

22日:夫アルゴの年内仕事納め前日。夜の8時に学校からの連絡により、アルゴのクラスの生徒の1人がコロナ陽性反応。慌てて、薬局でのテストキットを買いに走るもすべて売り切れ。PCRテストをやってくれるところを探してもどこも受け入れ不能。ようやく探した隣町の救急でテストを翌朝、テストを受けられることが判明。アルゴの帰宅10時PM.そして同時に、集まる予定だったイトコからの電話で彼女もまた陽性反応になったとの報告。

**クリスマス終了のお知らせ**

の、はずが、もちろんあきらめる叔母ではない。叔母とてアルゴと同じところで働いているので、コロナのテストを受けなくてはいけない。叔母はすでに半狂乱であったが、11時PMに電話。「私たちが陰性だったら、お姉ちゃん(大都会)の家に集まって!クリスマスやるから!(叫)」

23日:夫アルゴの年内仕事納め日。朝イチで叔母もつれて、まずは救急病院にてPCRテストを受ける。結果は夜までには出るとのことだった。そして二人とも学校にある簡易テストでもチェック。結果は陰性。ちなみに、陽性だった従妹は、簡易テストでは陰性だったのに、PCRで陽性と出たそうだ。なので安心はできなかった。

生徒へのクリスマスプレゼントなぞをせこせこ用意していた我々であったが、もちろん、生徒は全員、隔離中なので学校には大人以外は誰もいない。大人は、ワクチン摂取済の人のみ出勤。そんな中、午後から私が発熱。何時もなら「ワクチンは全部うったし、よくある風邪だろ」と思うであろうがタイミングが最悪である。

24日:叔母は陰性であると病院から連絡が来たのにアルゴには来ない。そして私の熱が上がり続ける。『これは…アカンやつでは?』 私もアルゴもクリスマスどころではない。我々はすでにブースターまで打っているが、それでも陽性になる人はなるのである。不安に駆られる我々をよそに、叔母は30分おきに電話をかけてきては、大都会に行く!クリスマスする!と言い続ける。いや、それどころじゃないのよ。ここでアルゴはまずキレる。「それどころじゃねぇって言ってるだろ!」

さらに、この間。叔父がたった今、英国から帰国したとの報告。英国出身なのだが、お母さんが亡くなってしまったため、急遽、帰国していたのだ。新種株感染報告が上がっている場所である。叔父もテストの結果待ちという。もうこの時点で、普通ならあきらめる。普通でなくてもあきらめる。だが、そうはいかないのが我々の叔母なのである。

アルゴの最初のテストは、サンプルの不備により判定不可と出た、との連絡が来たのが、24日3時PM。クリスマスイブのため、救急病院も4時には閉まる。なので慌てて、アルゴと私は救急病院にまで出向いた。

私はこれで2020年3月より数えて4回目のテストとなった。過去3回は、単に喘息発作でERへと行かねばならず、自分では接触もないしただの喘息だと主張したものの、とにもかくにも、まずはコロナ検査だったのである。だが、今回はちょっと違う。夫が感染者と濃厚接触、テスト結果待ち、もしかしたらこれは陽性かもしれないという危機感があった。

私は23日の時点で泊まるはずだったホテルをキャンセルした。キャンセル料がかからないギリギリのタイミングだったのでほっとした。だが、叔母からの「クリスマス!大都会!行く!」という電話は止まらない。もうクリスマスどころではないのだ。

何がこうまで彼女を駆り立てるのかは謎であるが、我々は会場になる予定だったイトコが陽性だったという時点でもうクリスマスは終了だったし、39度まで熱が上がっていたので、正直、クリスマスがどうとか心のそこからどうでもよかった。アルゴはただでさえ、私の具合が悪くなると心配のあまり自分まで気分が悪くなるのであるが、今回は特に、もしコロナだったら100%俺のせいだと、落ち込みまくりである。

しかも、今回はなぜか全く喘息の症状がでなかった。私は風邪をひくと大抵、喘息もひどくなり2乗でしんどい思いをするのだが、それがない。いや、無けりゃない方がいいのだけど、この場合において、「いつもと違う」ということは、不安要素にしかならなかった。

そんな中、叔母はしつっこく「英国帰りの叔父のテストは陰性で、姉妹で大都会に集まることになったので、私たちも行こう。せめて25日だけでも!!!」と12時AMすぎまでノンストップで電話をしてくる。その情熱を発電にでも向ければいいのに、と私は思った。

アルゴはキレすぎて、「俺の結果も、リンゴの結果もでてないから!(叫)いかねぇの!いけねぇの!いい加減にしろや!!リンゴの具合が悪すぎるの!少しは考えろや!周囲の人に気をつかえや!!」と怒鳴りつけて、スマホの電源を落とした。

デスヨネ……いやでも、おばはサンクスギビングも中止で、クリスマスも中止。なんせ姉妹大好き、イベント大好きな彼女なので落ち込みっぷりは半端ない。申し訳ない気持ちはあるものの、仕方がないのである。従妹なんて、自分のせいでファミリーイベントが中止になったと何度も謝ってくる始末。そんなん、彼女のせいではないのである。

ちなみに一連の会話の中で、おばはまったく、全然、高齢の連れ合い(おば夫)を心配することもなく、もう「私が行く」=「おば夫も行く」という式が成り立っていたようだが、普通に考えて、またコロナの波が来るかもしれないという最中に、90に近い老人を連れて、大都会へ行くという行動の意味がわからない。

25日:24日から今年初の本格的な雪が降り始め、明け方から雨になった。路面は凍結していた。雪が降った翌日に、雨が降って地面が凍結するのは実のとこ、雪の中を運転するより危ない。ブラックアイスといって、ぱっと見ではわからないのだが、道路がスケートリンク状になっているのだ。

アルゴは起きるなり、おばに電話を入れメリークリスマス、の言葉よりも先に「絶対に!絶対に!ぜぇぇぇたいに自分で運転して行こうとか思わないように!」とおばが大都会に行かぬようくぎを刺す電話をした後、「信用ならん!」と言い捨てて、おばの家に向かった。

ええ、えぇ、ご想像の通り。叔母は大都会へ行く準備をしていた(呆)

私の熱はようやく下がり始めていたが、とにかく体がだるく、ベッドから動けない。ほんと、漫画みたいな人(おば)だなぁとぼんやり思った。

なんというか……子供である。年上の女性にこんなことを言うのはなんだが、しかし、クリスマスをここまで楽しみにする人に私は生涯、会ったことがない……「おばさん、楽しみにしてたし、可哀そうだからあんまりヤイヤイ言わず、しばらく一緒にいてあげて(見張る意味も含)」と電話で伝え、私は泥のように眠った。そうこうして我々のクリスマスは終了した。

26日になってようやく、私のテスト結果も陰性だと連絡が来て、体調も回復したけれど、今度はどうもアルゴに私の風邪が移ったらしく、彼が寝込み始めた。

正直なところ。2020年の3月にパンデミックが起こり、色んなことがあったけれどそもそも私は引きこもりの人なので、買い物だとか、外食やパーティだとかに行けないことに苦を感じていなかったし、むしろ、家にずっと入れる!ラッキー!くらいにしか思っていなかった。

確かにいくつかの出来事、例えば、大好きだった叔母のお葬式に出ることができなかった、とか。アルゴとの20周年記念旅行をキャンセルした、とかそんなことはあったけれども、それでもコロナで亡くなったり、大事な人を失ったり、仕事や家を失った人たちに比べればなんということもない。だから今回、初めて、自分が陽性かもしれない状況になって改めて、感染予防、感染拡大予防をしっかりとしていかねば、と思いを新たにした。

ここ1か月ほどで、陽性の人が増えているというのは知っていたけれど、それまで薬局で普通に売っていた簡易テストキットが品切れだったり、救急病院ですらも予約をいれなければ受け入れができないという状況にあるという現実すら知らなかったのだから、気が緩んでいたというか、普通ではない状況に慣れてしまっていたのだと思う。多分、多くの人がそうで、ワクチンも打ったし!なんて感じで、普通じゃない状況に慣れてしまったから、また今になって感染の波が来ているのかもしれない。

ともあれ、そんなこんなで我々のクリスマスは終了したわけだけれども。タイトルは、我々のクリスマスの話、そしてコロナの現状。どちらにも当てはまるのではないか、などと思う。


蛇足であるが。おばのクリスマスは終わっていない。25日以降も毎日、毎時間、電話をかけてきては「大都会へ行こう!」と行ってくる。なんせ彼女は年内、休みなのだ。そのたびにアルゴは怒るのだけど、もう駄目だこりゃ、という心境になっているらしく、あ~、ハイハイと軽く流している。綺麗にラッピングしたクリスマスプレゼントをもっていきたいらしい。


‥‥いや、宅配で出せばよくね?(真顔)

(終)









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