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仏陀の悟り

仏陀が悟りを開いたのにはDMTが関係している。
大麻やアヤワスカに含まれる成分だが、アドレナリンが出る様に人間の松果体から天然でDMTも出ていて幻覚作用が感じられることで宇宙の真理を知る。

様々な方法でDMTを出すことは可能な為、仏陀はこの方法を編み出し悟りに到達した。

普通、悟りを開いた人は人間離れした存在の様に思うだろうが結局は、ただの人間をやっている。
地球(地)に生まれた時点で重力を感じ、その中で生きるからこそ感情が生まれる。
真理を知ることで自分自身を信じ、目の前に起きる物事に紛動されなくなる。
いろいろな感情を味わい尽くすことで、深みを増す。

感情を味わう為に人間として産まれてくるのだから、その醍醐味を手放すなんてことは不可能。

より深く感情を味わった人のことを"悟りを開いた人"という。
だから、より困難な苦難が伴う。

魂の世界(天)では感情は生まれないのだから…
人間として得た感情、感覚を持って帰り宇宙という"天"にストックするだけ。
※天 = 魂 = 宇宙 = 潜在意識 = 無 = 感覚
※地 = 地球 = 顕在意識 = 現実 = 思考

産まれてくる時に、そのストックから自分が経験したい感覚や感情に携わる経験値をセッティングして持ってくる。(前世の記憶の様なもの)

"天国"と"地獄"とは生きてる時に体験する感情を指す。

天にも昇る気持ち…

地獄の様な苦しみ…

死んでから行く場所の総称ではない。便宜上、人間の道徳的観点から宗教が取り入れただけのお話。

ちなみにバチ論も無い。
"神"とは自分自身の潜在意識。
つまり魂のこと。
魂はバチなんて当てない。
経験として必要なことをセッティングしているだけ。
そんな発想すらない…
人間として、捉えるからこその発想。

仏陀の死因は、ただの毒。
幻覚では死なない。

そして"死"は、ただの寿命。
死に方や死因は関係ない。
事故だろうが、事件だろうが、自殺だろうが病気だろうが"死"は、ただの"死"自分が決めてきた寿命を全うして死ぬだけ。

寿命じゃないから、生き残ってる。
魂的には、ただ必要だから"死"という存在がある。それだけ…

ただそれだけのこと。
"死"に良いも悪いも無い。
勝手に判断するのは人間だから。

むしろ、残された人間への課題を提供している。

死を通して深い感情を味わう、その人その人の経験したかった死に方を選んで決めて来たとおりに全うすることで、周りの人達に貴重な経験を残しただけ。
周りの人達もちゃんと、その死を通して自分が何か経験すると決めて生まれて来ている。
だから、それを経験する。
その時の感情を味わうために…

怒り
悲しみ
虚しさ
切なさ

その経験が無いと味わうことの出来ない深い感情があるから。

味わい尽くした先で、この意味が腑に落ちる…

すべては感謝に繋がっている。
そうは思えないことも"すべて"

悟りとは深い感情を味わう人
それが仏陀の悟り。

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