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西洋哲学:空白の千年を紐解くカギ

こんにちは!Kanaです。

昨日メンバーシップをひっそり始めたのに、早速3人も参加してくれました〜❤️
Kanaのディープな部分に興味を持ってくれて嬉しい!

ということで、早速記事を更新しよう!!と思った次第です。

あ!その前に、せかい物語Labo.の説明文章を考えてみました(笑)

せかい物語Labo.では「世界史 ✖️ 哲学 ✖️ 聖書」の視点から、世界の物語を探究しています。
生きるとは?考えるとは?幸せとは?自分とは…?
専門家でも研究者でもないKanaだからこそ、あなたにも考えるきっかけを作れると思って、ゆるっと考察をお届けします。

こんな感じでしょうか。
気になっている方ぜひ1ヶ月だけでもどうぞ😊


どんな順番で話していこうかな〜と考えていたんですが、あんまり順番を考えて発信するのは得意じゃないので、思いついた順番で語らせてください。

「哲学する」とは?

そもそもここで語ろうとしている「哲学」とは、”学問的な哲学”と”日常的な哲学”という二つの哲学を含んでいます。

いきなり難しい言い回しになってしまいましたかね(笑)

私の中でこの2つをどう使い分けているかというと・・・

学問的な哲学とは、いわゆるプラトンやアリストテレスら過去の哲学者が考え、発展させてきた既存の哲学理論のようなものです。

日常的な哲学とは、本質が何なのかを論理的に考えること、自体を指しています。
自分自身が特定のことについて思いを巡らせる行為=哲学する、です。

なので、学問的な方は歴史があり、知識が必要で、学ぶもの。
日常的な方は日頃自分が思考していればOK。


今日はその上で、学問的な哲学の話をしたいと思います。

西洋哲学とキリスト教の関係

哲学という学問は、どんな時代背景があって、その思想が出てきたのか?どんなロジックに対処しようとしているのか?によって理解度が変わってきてしまうのです。

(もちろん私もまだまだ学問としての哲学理解はひよっこすぎて全然語ることができません。)

ただ西洋哲学に興味がありつつ、なんだか途中でよくわからなくなってしまう理由として、

古代ギリシャやローマの哲学からルネサンスまでの約千年間にわたる「空白の時代」がある

という話があります。

哲学を学ぶ上で、この「空白」をまず知ることが大事だと思ったので一番最初のテーマにしてみました。

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1,614字

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