Q6.私にとって「生きる」とはどういうことか?
こんばんは。今日も一日お疲れさまでした。
「生きる」とはどういうことなのだろうか。
今日もまた悲しい出来事があった。画面ごしながらも、応援していた人が亡くなった。彼女の笑顔が大好きで、幼いころに見たドラマでは大人になったらこんな女性になりたいとひそかに憧れていた。
最近特に「自殺」というワードに注目が集まっている気がする。
ここからはそのワードに対して自分の考えを述べようと思っているので、もしこの記事をせっかく見てくれたのに嫌な思いをさせてしまったらごめんなさい。
「自殺」を決意した人のつらさや、苦しみは私には分からない。
理解したくてもその人だけが知っている痛みだから、私には分からない。
周囲の過度なプレッシャーやいじめ、悲しい出来事がそのような結果を生み出したのかもしれない。
そもそも「尊厳死」などという言葉があるように、命に関して何が正しいとかいうのはないのかもしれない。永遠の答えの出ない問いだな。
最近よくニュースなどに上がる「自殺」という言葉を見るたびに苦しくなるし、それが私の知らない誰かであっても自ら命を絶つという決意にはただ「自殺しているのが見つかりました」などというニュースのテロップだけでは言い表せないような黒くて深い言い表せないような感情を感じる。
何が彼らをそう決意させたのだろうか。
そして、周りの「自殺」に関する反応をいていていつも大きな違和感を感じる。「つらかったよね」「むこうで幸せになってね」言いたいことはすごくわかるし伝わるのだけれども、あたかも「自殺」という結末を選んだのは仕方がないことだった、というように聞こえることもありもやもやしていた。
彼らがいろいろ考えて選んだ結果だから。
つらくて抜け出せないような状態だったのだろうから。
言いたいことはとてもわかるのだけれども、何か大きな違和感を感じるのは私がひねくれているのからかな…。
それをうまく言葉にできない自分ももどかしいわ。
自分はそのようなニュースを聞くたびに、どうしても生きたくてもいきれなかった人たちの事を思い出してしまう。彼らは生きたくてもいきれないのになんで自分で自分の命を絶つことが出来るのだろうか。
もちろん、「生きる」ということはその人自身にしか分からない意味がありそれを決めるのはその人自身だから私がどーこー言う事はませたくもって無意味だと思っている。けれども、それでも悲しい。
それを仕方なかったと同調するような反応も気持ち悪いが。
何を言いたかったのか迷子になってしまった…。
そしてとても薄っぺらく感じる言葉の羅列を観ていて自分の文章力と語彙力のなさ、それがあったとしてもうまく伝えることが出来ないこの文章を読み返して何やってんだってなっているのだけれどもとにかく最後まで書きオワラセナイト。
もとい。
その人たちの気持ちを完全に理解はできないが、それらの出来事について「考える」ことは大切だ。「かわいそう」「かなしい」ニュースを見てそれだけで終わるのではなく、改めて「生きる」とは自分にとってどのような意味を持つのか問いただす必要があると私は思いました。
それをきっかけにと言いたいんじゃなくて、(きっかけは作られるものではないですよね)周りのいろんな出来事に流れて曖昧になっているかもしれない、今を生きている私たちはもう一度せわしなく生きている「今」から少し身を置いて「生きる」とは何なのかを問いただす必要があるのかも知れないと私は思います。ブーメランで私に帰ってきます。
よくわからん文章になったけれどもおやすみなさい。
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