「きのう何食べた?」が流れるお正月

お正月進行のテレビをザッピングしている中。
「きのう何食べた?」の再放送と正月特番を見ていて、あぁ、このドラマが地上波で流れている正月ってなんかいいなぁ、と思った。
なんかいいなぁ、を言葉にするのが物書きのしごとなのかもしれないと思って筆をとる。

「ノンケもゲイも悩んでることは一緒じゃないか」、というようなことを、主人公のシロさんが言っていたのが印象的だった。
結婚しろだとか、子どもを作れだとか、まわりにあーだこーだ言われるのは、ある一定の年代の男女には『あるある』だ。
それって性的指向はあんまり関係ないんだよね、ノンケでも結婚しない人はしない。する人はする。パートナーの解消もね。
それを言葉にしてくれてありがとうシロさん。

私はバイセクシャルで、その単語を知ったのは高校生のときだけれど、物心ついたときから男の子も女の子も好きになったし性的欲求を感じていた。

なんだかバイセクシャルは中途半端だ。
社会的にというより、自分の中で。
男女間の結婚も捨てきれないし、同性間でのパートナーとしての暮らしも捨てきれない。
好きになる性にも困惑したけれど、それと同時に自分の性にも迷った。
今は、自分の心の性は体の性と同じであると思っている。
その考えに辿り着くまでに30年かかった。
これから先、もしかしたらまた変わるかもしれない。
とりあえず、現時点では、自分の体の性をやっと受け入れて、その体質に沿った生活をしようと試みているところだ。

実家の親は、そろそろ私の結婚について何も言わなくなってきた。
私の性的指向をどこまで知ってるのかはわからない、その話を面と向かってしたこともないし、今のところはするつもりもない。

なので、シロさんはすごいなぁと思う。
親にカミングアウトして、パートナーを紹介して、周りには自分が踏み切れる範囲で伝えていて、必要ない関係性にはそれとなく目隠ししておいて。
ケンジもすごいなぁと思う、パートナーのことでコイバナをしたい心境もよくわかる。それってすごい羨ましい。
私も、異性との付き合いならまだ軽いノリで話せるけど、同性との付き合いだとコイバナとして話せる場が限られる。
これってほんとなんなんだろう。

人間、左利きの人だとか、AB型の人だとか、珍しいようなそうでもないようなところに分類される人ってそれなりにいる。
私の家族にも左利きがいるし、私自身はAB型だし。

性的マイノリティといわれる分野も、そうなればいいのになぁって思う。
「あ、そうなんだ?へー、珍しいね。あ、別に珍しくもないか、私の周りにもいるや」ってくらいのノリになればいいのになぁ。
30歳以下の世代はそういう感じになってきてるのかな。
私より上の世代には、まだそういう話はできないや。

「きのう何食べた?」が流れるお正月、私はとても嬉しかった。
この年末年始はひとりで過ごしたけれど、シロさんとケンジが真摯に向き合って生活をして美味しそうなご飯を食べているのを見て、なんだかすごく勇気をもらった。
ひとりでも、誰かと一緒に暮らしても、きちんと生活をしようと思った。
原作漫画も好きなのだけれど、ドラマでしか味わえない独特の「時間の流れ」みたいなものが、すごく寄り添ってくれた。

なので、今日は実家の親にお正月の挨拶の電話をして、ひとりで水炊きを作って食べた。
相変わらず親からは説教されたけど、残念ながら私の人生は親を安心させるためのものではない。私のものだ。
明日からも美味しいご飯を食べて、自分の体と心に真摯に生きていこうと思った。

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