ワタシはだれ?|仕事依頼
私は「産まれてきてよかった」とか「産んでくれてありがとう」と思ったことがありません。
かといって、産まれてきたことを常に不幸に思っているわけでも「なんで私を産んだんだよ」と思っているわけでもないんです。
「産まれてきてしまった」のだから、自分の人生をちょっとでも幸せに生きたい。それが私のすべてにおいてのモチベーションなのだと思います。
子どもとわたし
私には、今3歳の子どもがいます。
という批判の声もあるかもしれませんが、私は昔から子どもだけは欲しかったのです。学生の頃は「夫はいらないけれども子どもは欲しい」「いざとなったら精子バンクでもいい」と思っていたほど。
きっと私は自分が幸せになりたくて子どもを産んだのだと思います。
だから、産まれてきてくれた子どもには「産まれてきてくれた」それだけでただ感謝しかない。
だから私はこの恩を返すため、子どもの幸せのためなら必死でなんでもするだろうと思うのです。
もし、子どもが「お母さんのために」なんて言うならば、それこそその力を、他の自分を幸せにしてくれた人に使ってほしい、そう思います。
この先、なにがあっても、誰に対しても「あなたのために生きている」とは言いたくない。だって私は私のために生きているから。
その行動力はどこからくるの?
「私が幸せになりたいから」が言語化できたのは、先日受けたインタビューがきっかけでした。
私は「自分が進みたい方向に一歩踏み出す原動力は?」という問いをもらいました。
その時は明確な答えがだせなかったのですが、この問いはしばらく私の心に残りました。
だから、私はこのままでは自分が「不幸になる」と思えば逃げ出すし(苦労するではない)、この道を進まないと幸せが手に入らないと思えば前に進むのだと思います。
「一歩踏み出す原動力」その問いに対する答えは、私が踏み出してきた一歩は逃げるための一歩か戦うための一歩だったのだということでした。
私の仕事
自分が幸せを感じるときその中のひとつに「目の前の人が幸せを感じているとき」というのがあります。
目の前の人の笑顔が見たい。
私は、幸せは自分でしかつかめないと思っています。
だから、自分は他の誰でもなく「わたしはわたしであることに気づくお手伝い」「幸せは自分のなかにあるということに気づくお手伝い」それが私にできることなのだと思う。
自分が幸せになるため故の自分自身の決断でないと、人はきっと誰かのせいにしてしまうし、本当の意味での幸せを手に入れられない。私はそう思っています。
だから私は自分の手で幸せをつかみたい人を全力でサポートしたい。
それが私の仕事です。
得意なこと
・言葉をつかうこと
・人と人をつなぐこと
・本質を見ること
・本を紹介すること
・愛のあるおせっかい
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