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『マチネの終わりに』平野啓一郎

バレンタインデーに好きな作品を🪞。

たった三度出会った人が、誰よりも深く愛した人だった――

天才ギタリスト・蒔野聡史、国際ジャーナリスト・小峰洋子。

四十代という〝人生の暗い森〟を前に出会った二人の切なすぎる恋の行方を軸に

芸術と生活、父と娘、グローバリズム、生と死など、現代的テーマが重層的に描かれる。

最終ページを閉じるのが惜しい、至高の読書体験。


著者である平野啓一郎さんが提唱する分人主義は、私が肯定的に生きる支えのようなものです。そんな平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』🎬ただの恋愛小説ではありませんでした。

何事にも深い見識があり、聡明で麗しい、蒔野聡史と小峰洋子。パリ、東京、ニューヨーク、イラク、国を跨ぎ、2人が織りなす世界観は彼らだけの特別なもので、本当に魅了されます。

会った回数では決まらない愛情の深さや2人を惹きつける強い力。会話の中に見られる思慮深さや心地の良い共感、相手を尊ぶ思い。

それでも、物語が進んでいく中では、完全には分かり合えない切なさを感じ、次々とのしかかる重りやすれ違いにも、また違った切なさや焦ったさを感じました。

彼らは40代。不惑の年です。この物語が終わるまでに(スタートというべきかもしれない)5年の月日が流れます。

きっともう少し若ければ、相手を慮ることなく、言いたい事をさっさと言い放ち、展開もスピードも全て違うカタチになっただろうな。

5年もの間、どうしてそんなに封じ込められるのか?相手ありきの控えめな言動には、彼らの年齢を感じぜずにはいられませんでした。不惑の年だからこその、様々なストッパーや想像力に富んだ選択の仕方、時間の流れだったのだなと感じます。

また、事を馴染ませられる時間、それだけが和らげてくれる、歳月が持つ力も同時に感じました。


     ⳹ テーマは年齢🚪 ⳼

21歳の私が抗い続けてしまうものの1つは、年齢です。何故なのか?苦し紛れでも、思い浮かぶのは、自身や同年代では、埋められない部分を満たしてくれた少し〜かなり歳上のお兄さん、お姉さん的存在。

尽きる事なく語らい続け、知的な刺激をくれたり、無機質で冷たく見えるけど、洞察に富む顔つきを見たときには、本当に魅力的で憧れと興味を抱きます。

日々を吟味して生きてる中で、時々、階段3つ飛ばしくらいの丁度いい適当さで、すかっと爽快さや豪快さを感じさせてくれれば、それはもう最高ですね。

関係が始まるきっかけは、魅惑的な見た目だったり、紹介だったり、装った偶然だったり、それぞれだけど、私はこの人は自分の頭や体で生きてる?が、関係を始めたいと思う、1つの大事な要素なのかもしれない。

年齢の話に戻すと、絶妙な年ごろ(30後半から40代)への憧れはどんな年齢層への憧れより強いのです。

それは、この年代になると、若かりし頃に想いを馳せることもこれからの未来をどう作るか思考することも、同じ熱量でできると思っているからです。

流動性のある若者時代を終えて、その過去になった部分を自分の意味づけや捉え方次第で、どうにでも変えていける。何か後悔や傷痕を抱えてても、今以上に生きやすくなるじゃないかなと思っています。

そして、これまでが自信や余裕に変わり、未来へ向けて選択していける余裕や賢い脳みそがあると思うと、早く、そして密に年齢を重ねたいなと思います。

実際、絶妙な年ごろの方々、それを超えた方々が、この私の見方(私の思い込み)をどう受け止め、どう事実感じるか聞いてみたいような、聞かないままでいたいような。変な反応しちゃうかもしれませんが、それでも良ければ教えてくださイ🦻🏻


少し話があちこち飛びましたが、華やかさと寂寥を交互に感じられる、『マチネの終わりに』1つの恋愛を通して、様々な現代的テーマに向き合える、とても良い作品です。朝を望まないくらい、浸るように数日間読みました🛀

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