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神話の構造 神々の時代、英雄の時代、人間の時代(政治の時代)

神話的歴史

神話はそれが信じられていた時代を生きる人にとって、世界の成り立ちを説明するものであり、現在の体制を正当化するものであり、自分たちにアイデンティティを与えてくれるものでありました。
神話が本気で信じられていた時代、神話はその時代と地続きの歴史だったと考えられていたはずです。
神話は歴史であり、自分たちの生きる現在もまた神話の一部と考えられていたでしょう。
その地続きの歴史を「神話的歴史」と呼ぶことにします。

この記事では、神話的歴史を大きく以下の3つの時代区分に分けて、その構造について考察してみたいと思います。

  • 神々の時代

  • 英雄の時代

  • 人間の時代(政治の時代)

補足

日本神話は八世紀に編纂された『古事記』と『日本書紀』に残っています。いわゆる記紀と呼ばれるこの2書は、古事記がかな文字で書かれた国内向け、日本書紀が漢文で書かれた国外向けの書物ですが、いずれも歴史書であり、神話時代から当時の政治体制までの変遷が地続きで語られています

北欧神話では、神々の時代~英雄の時代の物語である『エッダ』と英雄の時代~人間の時代の物語である『サガ』があり、二つを合わせると地続きの神話的歴史になります。

ギリシャ神話の場合、ヘシオドスの『神統記』にて、宇宙の創造、神々の系譜、そしてゼウスの支配に至るまでの過程が語られており、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』では実在の歴史であるトロイア戦争を題材に神々と英雄、人間の関係が描かれています。これらはその後のギリシャの都市国家につながる背景とも解釈でき、これまた地続きの神話的歴史です。

神々の時代

神々が世界を創造したり、神々の仕業によって様々な自然現象や法則が生まれます。
また、その過程において、人間が作り出されます。
この時代の世界は神々の超常の力によって無理やりこじ開けられたような状態であり、いたるところにひずみがあり混沌としています。
過酷な自然現象や神々の怒りの象徴、神同士の戦いの名残として、世界のいたるところには怪物がいます。
人間が生きていくには過酷な環境ですが、神々は細かいところは気にしないので、それらは基本的に放置されています。

補足

ギリシャ神話では、タイタン族との戦い(ティタノマキア)に勝利したゼウスは、タイタンに与したものをタルタロスに幽閉しましたが、すべては入りきらず、多くの怪物が地上に残ることになりました。

同様に、メソポタミア神話でも、マルドゥクとティアマトという新旧の神による戦いの後、世界に多くの怪物が残されました。

日本神話の場合、初期の神々は善悪の概念のない創造力だけを持った存在で、あらゆるものが生み出されていました。そうして生み出された一部の神やその子孫は人間社会に仇なす怪物として扱われます。

英雄の時代

半神半人の英雄が活躍する時代です。
神々の超常の力と人間としての繊細さを兼ね備えた彼ら英雄は、神々が作り出した世界にいまだ残っている混沌を均す役割を担います。
ヘラクレスの12の功業やスサノオのヤマタノオロチ退治など、神話の中で魅力的なエピソードの多くは英雄の怪物退治です。
その他にも敵対する(まつろわぬ)部族を滅ぼしたり、力比べで服従させたりするなど、様々な形で世界に秩序をもたらします。
しかし皮肉なことに、そのもたらした秩序により、神々から受け継いだ超常の力は存在価値を失っていきます。英雄の多くはそのことに気づかず、自らを神と同等に扱うなどの傲慢さや過信によって悲劇的結末を迎えます。

人間の時代(政治の時代)

地ならしが終わった後の世界では、神々と英雄によって整えられた世界を人間たちが生きていきます。
神話的歴史を生きる人々にとっての「現代」です。
そこには基本的に超常の力を求めたり神になろうとするのではなく、(時々は神の奇跡を願いながら)社会的な営み(政治)によって発展していく人間の姿があります。
超常の力を使って世界を切り取ったり整えたりするのではなく、与えられた世界の中で力を合わせて生きていくという新たなパラダイムに自然と適合していったと言えます。

後退か進歩か

神々が持っていた天地創造すら可能にする超常の力は、英雄においては人間の血が混じることで半減し、人間においてはほぼ失われています。
これは世界の後退をあらわしているでしょうか?

※ 映画「タイタンの戦い」(2010年のリメイク版)やその続編「タイタンの逆襲」は英雄の時代を描いた作品ですが、そこでは神々は力の源である人間の信仰心が弱まっているため、世界秩序が保てなくなっている様子が描写されています。つまり英雄の時代になって神自身の力も弱まっています。

世界秩序を維持する能力を比較した場合、全能に近い神々の力に世界の運命が委ねられていた時代から、法律や政治、道徳を通じて世界が維持・発展する時代に変わったと言えます。
神々の時代や英雄の時代は怪物を退治したり、超自然を手懐けたりと、大きな問題を超常の力で解決してきましたが、世界が英雄の業績で均されたことで、超常の力は存在意義を失いました。代わりに残ったのは、無数に存在する人間同士の問題です。それらは数が多すぎて一つ一つ神が解決していくことは出来ないでしょう。数えきれないほどの多くの人間が意志をもって社会を形成し、自分たちで問題を解決していく力を身に付けていくことになります。

こうしてみると、神々の時代から人間の時代へ変わり、世界を支配する力の質が変わったことがわかります。時代が変わり必要とされる力も変わったと言えます。優劣をつけることは出来ませんが、不可逆な変化(引き返せない楔)であるということは言えるのではないでしょうか。
人間の時代において、神々の超常の力はめったにお目にかかれない「奇跡」という扱いになり、不条理な状況を打開するような役割を担いますが、世界の維持・発展に不可欠な力ではなくなっています。

パラダイムシフト

神話は科学がなかった時代に作られた物語なので理解できないことを超常の力で説明していますが、そうすると「神はみだりにその奇跡をお示しにならない」(つまり、本当は神様なんていない)という現実の状況とのギャップが生じます。
神話を3つの時代区分に分けて考えると、そのギャップを埋めるためにパラダイムシフトがストーリーに組み込まれている構造になっていることがわかるのではないでしょうか。

今後、このフレームワークを使っていろいろな神話や物語を考察していきたいと思ってます。


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