恋愛至上主義者のこの世の中で[流月]

「君と書いて「恋」と読んで 僕と書いて「愛」と読もう」
RADWIMPSの「ふたりごと」と言う歌の歌詞の一部。

野田洋次郎の歌詞はいつもお酒に溺れているような歌詞だ。
「え、酒飲んでるよね?てか泥酔してなきゃこんな歌詞書けなくない?」

前前前世なんか聴いてると曲調の爽やかさに隠れた「君は僕から諦め方を奪い取ったの」なんて。なんて、野田洋次郎っぽい歌詞だろう。

歌詞の話から急転回をするが、私はあまり恋愛に向いていない。
恋焦がれたり、嫉妬したり、
どうしてもそう言った「恋愛」の部分の感情が希薄だ。

二の次になってしまうのはもう当然のことで、
仕事柄(職業柄?)没頭すると戻ってこれない思考のせいなのか、
〆切に追われると自分のことすら疎かにするガサツさのせいなのか、
はたまた、そもそもの「私」の特性のせいなのか。

冒頭の野田洋次郎への文句、ないし意見をかつて好きな人に投げたことがある。

「あーそれは男の人の目線かもね」

なるほど。そうなのか。
ならば、と思い、女性視点のラブソングを聴いてみたはいいものの、やっぱり分からなくて、「好き、とは」、Google検索する始末。話にならない。

映画も小説も写真でも絵でも、「恋愛」がテーマのものにはあまり理解を示すことが出来ず、映画や小説に至っては飽きてしまって最後まで完遂出来ない。

好きな人は、いる。
大好きな友人も、いる。
家族も大事だ。
けれど、
だけど。
「大切」に「大切」以上の名前をつけられない。

「大切」の照明をつける。
それだけのことを、しているだけなのに。

とは言いながらも今の好きな人に対しては少し違う感情を持っていて、
今までの私は「恋愛」が5番目くらい。
つまり、恋愛関係に置いている人のことも5番目くらいにしていたのだけど(と言うか心を渡す必要も心を開く必要も無いのでチャンネルを別にしていた)、今の好きな人はその他多数の大切な人と同じ扱い。
心を渡しているし、開いてもいる。一律同時に大切な人の中の一人。

けれど、分からないのは、「大切」以上のこと。
もらう「大切」以上のものを返すフリは出来ても、理解が出来ないのが申し訳ないし悔しくて。

恋愛小説ランキングの上位に君臨する10冊ほどを調べてみた。
結果から言うと、その中の6冊はもう既に読んでいて、そのうち2冊が途中離脱。
4冊は最後まで読んだけれど記憶に残っているのは場面場面の描写の綺麗さで、恋愛のなんちゃらかんちゃらは何も覚えていない。

分りたい、よりも解りたい。
好きな人の気持ちも、普通の人が持っている感情も、知りたいし持ってみたい。
教えてもらうのは簡単かもしれないが、体験してみたい。
それを手に入れた上で「付き合う」行為をしてみたい。策に溺れたい。

と言うか、単純な話、「自分が普通では無い」と恋愛というパスポートを持っていない事実を通して「どうしてだろう」と比較してしまう。良くない。

「執着する」と言う言い方で恋人やその他への関係、場所を言い表した璃月。
私は、そんな風に璃月を見た事はないけれど、「幸せを決めるのも幸せを選択するのも自分」と言うのは心底納得してしまった。
ならば、私は。
「生きてみたい」と思うように、
死の場面で「もっと生きたい」と願えるように、
「この人のためなら生きていたい」と思える人に出会えるように、
人を大切にして生きていきたい。
璃月と私、足して2で割ったらちょうど良い?違うか(笑)。
それぞれの苦しみを負っちゃダメね。

高スパンで日記、更新しちゃってるけどどうかしら。

元気で無くて良いから、とりあえずはこの気持ちのドグマから抜け出せないような灰色の雨が終わるといいね。梅雨入りみたいだけども……。

さて、私は薬のせいでとてつも無く眠い。
きっと夜中に起きるけど、お休み!

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