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三浪無名国立大学院生が就活に挑んだ現実を語る話~~学生生活編~~

1.大学生活、とりあえずサークルに入る、サークル活動にハマる、それだけ

こんにちは。もいと申します。
私は、三浪の末名前を聞けばほとんどの人が「どこにあるの?」と答えるような無名国立大学に通う理系大学院生(満26歳)です。
ここまで自己紹介のnoteを投稿させていただきました。リンク貼っておきます。

さて、そんなこんなで自己紹介でもちょろっと書いたのですが、大学入学時、私は不安だらけの状態でした。三浪という暗黒期間で元々希薄だったコミュニケーション能力を完全に失い、将来への漠然とした不安を増大させていました。

何かやらなければいけない、TOEICとか800点ぐらいとって現役と差をつけなければいけない、大学は遊ぶところじゃないんだ、と思い詰めていました。そこで厭世的になって、自己研鑽の鬼になっていたら格好良かったのですが、気付いたら三浪もしたのに私は大学でいかに遊ぶかということを考えるようになっていました。甘々です。

大学生活といえばサークルだよな……「げんしけん」みたいなドキドキサークルライフ送りたいな……という考えの元サークルを見ていきます。

げんしけん2

無名国立大にも関わらず、サークル活動は結構盛んでいろんなサークルがありました。私もいろいろなサークルを見学に行っては見たのですが、やはりコミュ障、どの部活もなじめないんですよね。やっぱみんなキラキラしてるな~と、目の輝きが違うな~と、枕の抜け毛が気になるような新入生を求めている部活なんてないよな~と勝手に卑屈になっていました。

結局、所属人数10人ほどの「古典ギター部」っていう音楽系サークルに入ることにしたんですが、振り返ってみるとこれが本当に良かったと思います。なんというか街灯に群がる蛾のような感じで変な人が集まりがちなサークルでした。

他大学でもあると思うんですが、新入生オリエンテーション時の路上勧誘、あのときうちの大学では軽音系のサークルとかオーケストラとかがめちゃくちゃ音が大きくて、古典ギター部は全く目立たないんですよね。非電源なんで。でも、その時の小さいけどきれいな音色がやけに耳に残って、惹かれるように部室に訪れました。

そしたら、狭い部室、そして濃い変人の集いで兎に角面を食らいました。ただ、変人だからこそ変人に優しいというか、受け入れる幅が広かったような気がします。とにかく自分には心地よかった空間でした。あと男子しかいなかったの大きいです。イメージこんな感じです。

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そんなこんなでサークルに所属した私はもうそこからはもう普通の大学生(本学基準)と同じように生活をしていきます。部活めちゃくちゃ楽しかったんですよね。適度に授業に出て、部室で授業をさぼって、テスト前には徹夜で詰め込んで、次回はちゃんとやろうと思いながら休みを謳歌して、のど元過ぎれば熱さ忘れて、そんな生活を3年続けます。

まぁ、盛大に自分語りをして、結局何を言いたかったというと学部時代にすごいことしたわけじゃないよってことです。もうほんとふつーの学生です。GPAとかも本当の平均で、研究室配属の時に先生に「ちょっと低いね」とぼやかれるレベルでした。

そんな感じで大学三年間では部活動に注力して、身につけたことというとTOEIC800点じゃなくて人前でちょっと演奏できるくらいのギターの腕でした。初志貫徹の「し」の字もありません。

2.研究室選び

さて、楽しいだけのサークル活動に区切りをつけ、工学部らしく四年生からは研究室生活が始まります。研究室を選ぶの基準っていろいろありますよね。研究室の大変さ、やってることの面白さ、教授の人柄の良さ、人間関係の良さ、居室や実験室の清潔さ、いろいろあると思います。

三浪した私が選んだ基準というと、一言で言って「研究内容」でした。はい、面白みもなにもありません。こちらもいたって普通です。ただ本研究室を選ぶまでに少しだけ変わったプロセスを踏んでいると思うので、言及しておきます。

自己紹介のときにちょろっと書いたのですが、私は大学に入るときに一応の理由を考えていました。ある技術を使っていい世の中にしたい。そのためにその技術研究が盛んな本学に行こうみたいな感じです。(あくまで自分を納得させるための負の理由付けだったと思います。)実際、大学入ってやりたいことできたらそっちいこーとか思ってました。軽いです。

ただ、三浪で焦りのあった私は研究室見学だけは積極的に行っていました。具体的には二年生のときからオープンラボみたいな行事にはちょこちょこ顔を出したり、三年の時には自分で研究室の先生にアポを取ってみたりとちょっと意識高いことやってました。まぁでもそこで満足して、普段はギター弾いてただけなんですが。

そういうわけで、行きたい研究室を見つけたのは他の人より多少早かったと思います。いきなり就活の話につなげてしまうのですが、実はこの段階で私は何故大学に入ったのか、そして何故今の研究室に所属したのかという一本のストーリーが奇跡的にできていました。それが就活では功を奏しました。

3.研究室生活、何者かになりたい思春期みたいな感情

さて、自分の研究室は本学の中でも超人気研究室ではなかったので、希望者が定員超過することなく無事に希望の研究室に配属されることになります。よかったよかった一安心と思ったのも束の間で、研究室生活が始まった途端、研究の難しさにぶち当たります。というより基礎知識の難しさですね。そもそも三浪しても医学部に受からない程度の脳みそでかつ、大学三年間で大した努力もしてないかったわけですからもはや脳みそは老化していました。そこで気付いたんです。

「このままじゃ三浪の末、何も形に残らず、ただそれなりに学生生活送っただけじゃん」

いつも気付くのが数年遅いんですよね。極端というかそう思ったら何か成し遂げたい、何か形に残るものが欲しい、そういう感情がすごく大きくなりました。

そこで、いくつか目標を立てて残りの研究室生活頑張ろうと思うようになりました。ちなみにここらへんで他大学への進学しようという気持ちは消えてなくなりました。一番の理由は少しちょっと伏せるのですが、理由はいろいろあって、勉強が大変だったとか、先輩たちが思ったよりいい企業入っているとか、そこらへんです。

立てた目標は

1. 大学院試で1番を取る
2. 卒研発表の学内発表で優秀賞を取る

の二つでした。

海外発表とか論文ファーストオーサーで書くとかじゃないあたり高が知れてます。しかし、これでも自分にしては大きい目標でした。そこからはいろいろあったのですが一応頑張りました。頑張ったはいいのですが、ほかの人はもっと昔から努力しているわけです。結局のところ、院試では10番ぐらいで、優秀賞は普通に取り逃しました。ただ、院試で10番以内に入れたのは嬉しかったです。

努力

ただ、この一年間は自分で頑張ったと思える一年間でした。最近思うのですが、評価基準を他人ではなく自分に置くことで大分幸福度あがりますよね。研究自体は他人からはあまり評価されませんでしたが、自分でそこそこよかったなと思える結果がでたのも就活に繋がりました。また、一応教授からも評価されて、修士一年では何回か学会に出させてもらったこともあり、結構嬉しかったです。

ここでまとめると、就活前の段階で私は

1. 三浪したがそれなりに大学生活を過ごした
2. 自分でそこそこ納得できる研究を学部で行うことができた

という状態でした。改めて見ても普通ですね。いや、なんで就活成功したんだろ……

一つ言えるとしたら、この段階で自分の人生に後悔をしているという精神段階から抜け出せていたのが大きいと思います。要はこの普通の大学生活を幸せだと思うことができた四年間でした。それが就活で花開いたのではないかと思います。

さて、そんなこんなでいよいよ就活編に移りたいと思います。ここまでは完全に自分語りでしたね。最後もきっと自分語りです。

ありがとうございました。

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