小説 失神国民健康保険 その10 関本ぶりき

 俺はゴールデンウィーク中もそこに座っていた。ひと月、そこに座ればさすがにペースもできてくる。そして馴れたといってもいいかもしれない。世の中にこれほど楽な仕事があっていいのだろうか、とすら思い出してきた。
 まず、一つおっさんのわめき声はスマートホンで音楽をきくということで緩和された。家につんでいたレイモンドチャンドラーの本をここで読む。音楽はジャズがいい。あまり自己主張の強い音楽はこの雑居ビルにはむいていない。まして日本語の曲なんてことになったらなんだかあほらしくなってくる。小田和正をSMクラブぶひっとねの受付で聴く、なんてのは愚行にちかいのじゃなかろうか。
ジャズを聴いてチャンドラーを読む。雑居ビルで。恰好いいではないか。SMクラブの受付じゃなかったらかなりさまになっているのではなかろうか。

 チャンドラーの小説はフィリップマーロウという私立探偵が活躍するということでストーリーが進む。この男、何度も何度も後頭部をどつかれ気絶する。どうやらマーローがでてくる小説で気絶しないものはないのではなかろうか。
 またマーロウが気絶したときだった。
 

 プレイ中の女王様がドアを開けて受付に来る。イヤホンを外す。
「どうしたの」
「すいません」
何がすいませんなのかわからない。プレイルームに入った。
全裸の男が倒れていた。
「ちょっと、ちょっと」
俺はそれがなんの効果があるのかはわからないが、映画等でみたことがあるようなことをする。頬をたたき、声をだす。半目。反応なし。心臓に手をあてる。死んではいないとうこと確認して正直ほっとした。そうか、SMクラブの次の転職先は刑務所になるのかと
「あのさ、救急車よんで」
「え」
「え、じゃなくて、最悪の事態になったらいやでしょ、救急車よんで」
「でも」
「でもじゃない、よんで」
 サオリ様が救急車を呼ぶ。
「なんでこうなったの」
「あの、上段蹴りをしてくれっていわれて」
「なに」
「上段けり」
 客にハイキックをしてそれがもろにはいった。そういうことか。なんちゅうことしてくれるねん。なんちゅうこと。
待機していた、かりん様がはいってきた。
「げ、どうしたの」
げじゃないよ、げじゃ。
これ事態がこのままならば次の勤め先は刑務所なんてことになるのか。
3人いて3人とも気絶した人間の対処がわからない、てのはもしかしたらSMクラブとしてだめなのかもしれない。すくなくとも店長代理の俺は気絶の応急処置を責務として身につけておいたほうがよかったのかもしれない。責務。責務ねえ。かりんがスマートホンで何かを調べている。
「ちょっとまってね、気絶をウィキペディアで調べるから」
ウィキじゃだめなんじゃないか。調べてくれるのは悪いことではない気がするがなんだかムカッとするのはなんでだ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?