小説 失神国民健康保険 その2 関本ぶりき

 毎日は淡々と続いていた。ピローブロックと呼ばれる特殊ベアリングの出荷業務。従業員300人くらいの工場の出荷部門で俺は淡々と働いていた。東京、福岡、広島、札幌にある支店に在庫を出荷する。パレットに注文の製品をつんでいき、荷物がたまったらラップをまいてトラックに載せる。
 出荷部門には俺以外に4人、山本、山本、広田、久米井。山本は二人。背の低い山本と中肉中背の山本。かなりあほの山本とそれなりにあほの山本。パンチパーマがきつい山本とパンチパーマがゆるい山本。つまり、かなりあほの山本は背が低くパンチパーマがきつい。それなりにあほの山本は中肉中背でパンチパーマがゆるい。そういうことになる。どういうことかというと、そういうことになるのだ。
 それなりにあほの山本もかなりあほの山本も60を過ぎていて、広田は65を過ぎていた。久米井は40歳を過ぎていて、ゲームとアイドルと巨人が好きな人だった。
偉いさんの名前はみな下林で、それは下林さんが経営しているからである。つまり、同族経営。従業員はみな下林という名前に弱い。ごますり器集団。特に60過ぎの人間は下林という名前に弱い。実に弱い。出荷場を下林と名のつく人間が歩く。するとまず広田が
 「おはようございます」
ただのおはようございますではない。犬かのごとく、下林が肉をもってるのをみつけた犬かのごとく寄っていき、にこにこ禿げ頭をさげもみての勢いだ。すると、それなりにあほの山本もかなりあほの山本も寄っていく。久米井という人間だけは寄って行かない。では、ここで久米井康夫40歳はごまをすらない凛とした男かといえばさにあらず、それは凛としているからごまをすらないのではなく、ぼんやりしているからごまをすらないのである。すらないというかすれない。久米井さんはぼんやりとしている。実にぼんやりとしている。人生を悟っているかのごとくぼんやりしているが、さにあらず、好きなアイドルが大阪で握手会をするとなれば有給をとるのだ。煩悩はしっかり残している。ただただぼんやりしている人なのだ。久米井さんは、原動機付自転車の免許取得試験に7回落ちたそうだ。8回目で取得することができたらしい。こういうのをなんという。七転び八起きというのとは違うだろう。あの原付の試験というのは大体の人間が1回ないしは2回で合格するものなのではあるが、8回である。そのことを聞いたとき疑問に思ったのだ。
 「勉強しなかったんですか」
 「うん、4回目落ちたときはさすがに勉強した」
ということは勉強してなお、3回落ちたことになる。
 ぼんやりしているからごまをすることができないといえど、結果それはごまをすっていないということになる。痴漢をした人間と痴漢をしたいがぼんやりしているので痴漢できない人間は歴然と違う。結果、痴漢をしていないということだ。
  
 歳をとると人間はどうなるのだろうか。ここにいる60歳以上の人間をみていると、歳をとるということへの憧れはめっきりへっていく。おじいさん少し前の年齢になってなお口からでてくるのは悪口のオンパレード、悪口、悪口、悪口、それとテレビで見た情報。あとはまた悪口、悪口、悪口、悪口。歳をとれば人間ができるというのは幻想だろう。悪口というやつは快楽で歳をとれど快楽からは逃れることはできない。たぶんね。やだな。そういう大人になりたくはないな。しかし、どうだろうか。なっているのかもしれない。現にいま悪口をいってる人間に苦言を呈しているわけで、苦言と悪口とどうちがうのだ、てことだ。相手に上からものをいい、相手の気に食わないところをとやかく言う。そういう点で言えばさして違いはない。60歳くらいの人間のほうが悪口をはっきりいうからまだいいかもしれない。たまに会社の若いやつと話すとこういいかえる。「毒をはく」と。毒、毒である。扱い方によっては薬にもなるかのような表現だ。自分の発言は毒ほどに影響を与えるかのような、そして悪口というよりもなにかもっと建設的発言をしたような言い方。毒をはく。なんかやはり嫌だね、働くてのは。誰かに悪口をいわれる覚悟、これが必要だ。

 若くもなく、歳よりでもない。そういう時期が一番楽しいと昔聞いたことがあるが、さして楽しくもなかった。さして楽しくもないが、そこまで苦しくもない。淡々である。なぜゆえに働くかといえば間違いなく金を稼ぐためであり、それ以外の要素などあるわけがない。ベアリング工場で集荷の仕事をする理由楽しいかどうかというよりも、そこまでしんどくなく年収350万円くらいを確保できる、ということである。死ぬまでここにいたくはないが、当面はここで腰が痛いといいながらも重いものを運んで、帰りにコンビニでファミチキとクリアアサヒでいい気分になりながらコンビニの灰皿の横にたち煙を登らせながら自由律俳句の一つでもひねるのだろう、と思っていた。

  
3月11日。仕事を終え、戻りテレビをつけた。そこにはすさまじい映像があった。スマートホンで文字による情報を見たときの衝撃なんてものとは比にならない衝撃だった。ただ映像はどこまでいっても映像で、その場にいるわけではない。安全圏にいながらにして危険地帯を感じる。感じるといっても、やはり自分自身は安全圏にいる。
 「津波から逃げていくあの人たちは何を思い考えてるんだろうか」
なんてことを思った。 
 
 
 節電、節電、節電。
 津波によって壊された人々がいる。

 節電、節電、節電。
 津波によってメルトダウンした。


 出荷場の人々はどこかのんきだった。のんきでいいのだが、原発について楽観的で放射能は安全ですという教育をうけたかのごとく。それは出荷場の人間だけではない。下林軸受全体の人間が放射能に対して楽観的であった。ここは福島から離れた大阪。それはいい。そういうもんだ。危険は近くにいないと感じることはできない。が、しかし、しかし、だよ。

 空気というのがある。原発についてああだこうだ、例えば昼休み同年代としゃべろうとする。インターネット、本、ラジオ、で調べた情報を披露しようと仲の良かった人間に話したこともあった。
 「そんなもん原発とめたら日本の経済はどうなるねん」
それで終わり。そうか、そうなんだなあ。経済。この言葉にころっといかれるのだ。
 つまり、そのことを人にしゃべると疎ましく思われる。そういうことである。経済という言葉のまやかしはそこまで強烈で、人の思考を停止させる。また、5時間自動車を走らせても到着できないところで起っている惨劇につきあってる余裕はないというのも事実だろう。そう、自動車で5時間以上かかる地域でなにがおころうが、そこまで感じることはできない。
 「節電しなくてもね、火力で電力は足りるんだよ」
なんてことをそれなりにあほの山本に言った。するとそれを聞いていたもっとあほの山本が
 「せやけど、たらんてテレビいうとるがな」
と言った。
それをきいていた広田が
「そんなもんおまえ」
と言った。
久米井さんはぼんやり口を開けていた。

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