小説 失神国民健康保険 その8 関本ぶりき

 初仕事。年明け一発目の仕事というわけではなく、生まれてはじめてむち打ち場に勤めにいくという初仕事。
車のおじさんから聞いた住所をスマートフォンの地図のアプリにうちこみそれを頼りに歩く。アメリカ村の入り口というような場所にでた。SMクラブの店長代理の正しい恰好というのがわからなかったがおそらくスーツだろうとスーツで出かけた。
 「妙な雑居ビルがあるから、そこの5階」
 と車のおじさんにはいわれたがそんなことをいうならこの界隈は妙な雑居ビルだらけで「朝日生命ビル」みたいなビルはあまりない。おそらくここだろうというビルの前に行き、指定された5階にいく。
 ワンフロアにひとつの部屋という構成らしく、エレベーターを降りるといきなりドアがあった。この世にはいろんなあけにくいドアがあるが、このドアもその開けにくいドアのひとつ。SMクラブぶひっとね。と明朝体で書かれた看板がドアの横につってあった。看板。それはまさに看板というか空手道場とかにあるようなあれだ。大きな板に書かれた明朝体。
 「SMクラブぶひっとね」
どうかしてるんじゃないだろうか。まともな神経ではないだろう。何をおもってSMクラブの看板を空手道場のようにする必要がある。とんでもないところにきてしまった。俺はとんでもないところにきてしまった。そう思った。俺があのときよくわからない勘定で下林軸受を辞めなければここにこなかっただろう。俺があのとき選挙にいかなければここにいなかったどうか。それはわからない。ぼんやりと。ぼんやりと。12時いけばいいといわれ、11時半に来た。こういうのは時間ぎりぎりの方がドアをあけやすい。今からコンビニにいって失明するぞってぐらいきついアルコールで理性のタガをはずすか。しかしよく考えろ。真面目に考えろ。こんな看板を目の当たりにしてまじめに考えるのはかなり難しいがそれでも真面目に考えるんだ。酒のにおいをさせてこのドアをあける。酒の力によってドアをあけやすくなる、それは事実だ。しかし、こういうような店はおそらく怖いさんがやっているのだろう。何がどうなって車のおじさんと関与していうるのかはわからないが、いかがわしい店にはいかがわしい人がいて、いかがわしい人というのは自分以外の常識はずれにはかなり厳しい。それぐらいは35年いきてきているのだ、わかる。そう、ドアをあけよう。
 ノック。
 「はい」
 ドアをあけたのは襟足をのばした黒いスーツの男だった。歳のころなら50くらいか。いかがわしい。いかにもいかがわしい。何者だ、お前とききたくらなるような男。
 「えええ、西条さんからここで世話になれといわれてこちらで働くことになってると、思う岡島と名乗るものです」
 緊張の極み。日本語の乱れはなはだしい。
「あ、聞いてるよ、今日からよろしくね、ま、入って」
「はい」
ドアの横すぐに受付があり、受付をぬけるとまたドアがあった。そのドアをあけると実にSMクラブですね、という部屋になっていた。実に実にSMクラブだ。
「ま、とりあえず、そこ座って」
これはどこに座るのが正しいのかいまいちわからなかったが、とりあえず地べたに座った。
「あ、じゃ、そこのベッドのところで、その場で座るのは汚れるから」
「はあ」
あの三角形のまたがる奴はどこで買うんだろうか。現代ではああいうのもアマゾンで売ってるのだろうか。アスクルにはないような気がする。
「ええええ、とね」
やたら甲高い声をだす男。
「僕のことは杉田とよんでくれたらいいから」
おそらく杉田なのだろう。僕のことは兄貴ってよんでくれたらいいから、といわれたらその時点で帰ろう、ないしは今日だけしのいで明日からはこないでおこう、とおもっていたのだが、そういう風にもならず、1週間。
「シフト制で女の子は一人待機してる状態をつくって、部屋は一つやからプレイは一人なんやけどたまに特別オプションを注文する人もいるから」
「はあ」
「特別オプション、女王さま二人で一時間2万5千円ね」
それが安いのか高いのかいまいちわからないが、たかだか10畳もないスペースに女王が二人ってのはよくよく考えるとおかしな話だ。イギリスの国土でも女王は一人だ。
「じゃ、あとはこのノートに全部かいてるから、じゃ」
「はあ」

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