小説 失神国民健康保険 その13 関本ぶりき

 煙草をにらむ。ただただ煙のために金を使う。なんてバカバカしいんだろう。煙草が効果的な働きをすることなんかそうそうあるわけでもなし。ただ、こういう時には煙草は必要だ。さおり嬢もたばこをとりだした。
 俺に女を語ることは永遠に無理だろう。しかし、ひとつ確実に言えることがある。この日本には3種類の女がいる。たばこを吸わない女とたばこを吸う女と、煙草を煙草ケースにいれる女だ。SMクラブぶひっとねで働く女5人は全員煙草を煙草ケースにいれる。
 駐輪場があって、その先にはボイラー室のようなところが見える。そこからさっきの救急隊員がでてきたが、こっちの顔をみてもう一度中に入っていた。
「別に職務だとかそういうことでいってるんじゃなくて、ただただ興味があるから聞くだけで、聞かれたくないだろうけどさ、なんでハイキックできるの、今いくつ」
「二十歳です」
「なかなかハイキックできる二十歳はいないと思うんだ、まあハイキックできる八十代もいないけど、だからあれだな、あまり年齢は関係なかったな、ええええ、なんでハイキックできるの」
「沖縄出身なんですよ」
「沖縄県の人はハイキックできるの」
「いや、そうじゃなくて、昔琉球空手をしてたんで」
「あああああ、ああああ、昔っていつ」
「小学生の頃ですかね」
「ああああああああああ、へえええええ」
「なんでハイキックしたの、だめだよ、そういうのつかったら。あるんでしょうボクサーはケンカしないみたいな」
「月城さんがハイキックしてくれたら1万円あげるからって」
「はああああ、そう、そうなの、でもらったの1万円」
「はい」
「あそう、ま、いいけど、
「じゃ、いこうか」

ゆっくりとゆっくりと歩きだす。
「私は今日は早退します」
地下鉄への階段を下りて行った。

地下鉄にのって女王様は帰る。決してロールスロイスではない。俺は歩いて店を目指す。おそらくここから30分くらいだろう。今は歩いて帰ることが大事な気がする。だから歩いて店に戻る。 
 日本橋を人々が歩く。その人々の一人が俺だ。誰からも注目されてはいないが、確実に歩く。
 メイド喫茶の前を通ると
「今日はこどもの日特別キャンペーンです」
といいながらチラシか割引券かを配っていた。
 今日は5月5日なのか。
 こどもの日とメイド喫茶がいったいなんの関連があるのかはわからない。キャンペーンはなにかにつけやってくる。

 この角を左に曲がってアメリカ村を目指す。様々な車が走る。側面に韓国人アイドルグループの写真が貼られた大型トラック。そういう広告の仕方もあるのかと難波で働きだしてたころは思っていたが、今でどうとも思わない。
 資本主義てのはよくできている。お金というのはよくできている。そこに金が介在することによって、いろんな物、サービスが発生する。どの国の支配者でもないが女王と称する女からハイキックされ1万円をはらう奴がいる。ハイキックされた男は救急隊員に運ばれ、そこには医者がいて、看護師がいて会計係りがいて、宣伝のためだけのトラックを運転する男がいて、チラシをまくメイドがいる。
 すべてそれは金のなせる業だ。メイドがまくチラシにしたって、どっかでだれかが紙をつくり、印刷し、その印刷のインクは、機械、きりがない。金が介在してるからこそなのだろう。

 店のドアをあけるとそこには誰もいなかった。

 襟足の杉田がいて、子持ちのまゆみ女王がいるはずの部屋には誰もいなかった。なぜかプレイルームの窓が開いていて、道頓堀の柵の上から竿だしているおじいさんが見える。この部屋にあるものはおよそなくても生活できるものばかりだ。
 そういうのを文化とよんでもいいのかどうか。でもそんな気がする。映画、音楽、猿回し、浪曲、だんじりエトセトラ。それらはおよそなくても生活できるものばかりだ。米とかトイレットペーパーとかうどんとかパンツとかではない。
 今目の前にあるこのムチとか明かりをとるために使われない蝋燭とか、くわえなくてもなんら支障のない、いやくわえることで支障が発生するこの穴のあいたゴルフボールのようなものとか。
 もしかしたらそれらは文化なのかもしれない。
 文化とはそういうものだ。
 という断言は浅はかである。なぜなら文化包丁やら文化住宅があるからだ。文化住宅。なにがどう文化なのかはわからないが、住処がない生活は支障がでるし、包丁がないと生活に支障がでる。それは間違いないだろう。
 文化的生活には、お金が必要でしょう。領主書を入れるためにクッキー缶を開ける。

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