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若新さんに学んだ、「可能性を広げる読書会」の開き方

本が集い、その読み手を介して様々な視点が出会う場。

読書会には、

これから何が起こるかわからないという、少しばかりの緊張をともなうワクワク感があります。

そんな出会いの場を開いてみようかなと思っている人にとって、

「なにが起きるかわからないことを仕掛けるプロの話」は役に立つのではないか?と思いました。


その人の名は、若新雄純(わかしんゆうじゅん)さん。


政策起業塾講義


とある講座で初めて存じ上げました。


若新さんは、「ゆるいコミュニケーション」を社会に取り入れてみる、という面白い実験をされている方です。



たとえば、

役所から依頼された「まちづくり」に

校則を守らない女子高生を集めて「JK課」という部署をつくってみる。


そんな試みや、

日本のトップ俳優に協力してもらい、「自分に起きるリアルな感情」と「それは他の人からも見える形になるのか?」について実験的なワークショップを開く、などなど。


「予想を越えたところになにが生まれるのか?」

その”過程を捉えていく経験値”がだいぶついてきた、とおっしゃっていました。


予想を超えることなのでもちろん、

見える結果としてはうまくいかないこともあるわけです。

予想可能、

再現可能なものに価値があるとみなされてきた世の中において

「なにが起きるか分からない」という事態に


投下した時間やお金の対価を回収できかもしれない不安定さと、

目の離せないドキドキ感がある。


でもひょっとしたらそこに、見たことのない「何か」あるのではないか?


その試みは少なくとも、

「どうせこんなもんでしょ」

と生気をなくして、人生を斜に構えてた私たちを揺さぶる力があるでしょう。




読書会という場を開くことを通して

そんな場づくりのチャレンジをしていきたいと考えている人にとって、

若新さんが発信していらっしゃることには

とてもおおきなヒントがあるのではないかと思いました。


そこで、

「私たちの人生の可能性をより広げる読書会にするために、
ファシリテーターがこころに留めておくといいであろうこと」について

私が若新さんのお話しから

”なるほど。”と思った事を3つ、書き留めておきます。


「ヒトの可能性を広げるファシリテーター」であるために



1・「発見力」を磨く


若新さんはお話しのなかで、

「ぼくたちはあらかじめ答えの決まったコップを満たすことを求められてきたけれど、

コップから溢れ出たものを見逃さないことが重要」と言われていました。

それはどんなことかというとおそらく、

誰かからポロッと出てきた言葉とか、

そこに起きたやりとり、間合い、雰囲気のことではないかと想像します。

それらを見逃さない「目配り」「気配り」「こころ配り」が大切であると。


「それがうまくいくかどうか?は分からないけれど、

僕はプロセスを大事にしているので、

その過程でなにが生まれるか?を絶対に見逃さない」とおっしゃっていました。


あらかじめこういう結論に着地するといいな、

と予想した通りの展開になる話の場は安心感があるでしょうが、

言葉として浮上してくるまえの段階で微かに現れているものとしては、

一瞬言いかけた何かだったり、表情だったりするのでしょう。

そこを敢えて採用するかしないか?の判断は

ファシリテーターの裁量なのでしょうが、


まずそこに気づくことが出来たら、その場の流れを変えるぐらいのきっかけを生む可能性があるのでは?と思いました。


2・「分かりやすさ」に逃げず、粘り強く


「ものごとは”白か黒か?”で割り切れるものではなく、

人間は複雑ないきものである」と若新さん。

そもそも混とんとした状態を「分かりやすくする」
「誰がやっても同じ結果に辿り着くように仕組み化する」ということは、

見方によっては違う分類になるであろうものごとを、

あえてどちらかに入れこんでしまう、ちょっと乱暴な行為。

また、どこかで細かな「ちょっと違う」ものを切り落としていくこと、とも言えます。


読書会の時間内に結論が出ずに

「分かった!スッキリ!」感が得られなくても、

その時に芽生えたハテナが

いつ、どのタイミングでハッと答えを回収できるか。

それはひょっとしたら誰にもわからないかもしれませんが、

問いと答えがつながる喜び、ひいては人生の面白さ、楽しさを感じるきっかけとなり得ます。


そんな場になるよう
ファシリテーターが率先して

いつどこで回収されるかわからない問いが立つことを
楽しく受け入れる姿勢でいたら、

とても懐の深い読書会になるのではないかなと思いました。



3・どちらもあるから、判る


懐深い場づくりでいうと、これもしかり。

「ぼくたちは「感性が優れている」あるいは「論理的である」というように

自分と正反対にあるものを否定してついものごとを見がちだけれど、

”それがあるからうまくいっている側面”というのは

どちらにおいても、ある。

むしろその二つがあることで、

どちらも機能しているということがよく分かる。」

ということもおっしゃっていました。

その二つを同じテーブルに乗せてみると、違いがよく分かる。

どちらがいいとかよくない、という判断をする必要はないのですね。


私たちにはつい、自分が感銘を受けた本に書いてあることが正解だと思うフシがあり、しかも、その”正しさ”を人に押し付け、そうでないものを否定したくなる傾向があります。


こういうふうにすると、その「頑なさ」に気づかせてもらえるなとも思いました。



まとめ


本を糸口にしていますが、

読書会というのは私たちヒトという生き物の創造性を刺激する
面白い場づくりだと私はとらえています。

■繊細に観察し、生まれ出ているものを見逃さない

■粘り強く捉え続ける

■「いい」「わるい」で片づけない


「ゆるい」「感情的な」というキーワードを使いながら

こうしたことを世に問いかけている若新さんの発信をとても面白く感じました。

このアイディアを、いろんな考えをもつ人が出会う読書会という場を開く際に私は活かしていこうと思っています。







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