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短歌と日記 3月6日(月)

生活を泳げば光、光へと泳げば空が、空には歌が

今日からまた一週間。
うたの日を始めてしばらく経つけれど、すてきな歌を作る人がいっぱいいて、いつもすごいと思ってばかり。

でもわたしは、短歌を好きだという気持ちを何よりも大事にしたいし、この気持ちはずっと持っていたい。
だから、短歌を作ることが苦しくなるという状況は避けたい。

そのためにどうしたらいいか、考えていた。

まず第一に、他人と比べないこと。
元々人の目を気にしたり劣等感を抱いてネガティブになってしまったりしやすいタイプなので、そこは本当に意識して気をつけたい。
noteは一番居心地がいいから続けていこうと思うけど、Twitterは向いていないって自分でわかる。
ただ短歌の企画とか面白い情報はやっぱりTwitterから入ってきたりするので、細々とは続けるかな。
まあいい距離感保って、気にせず自由に短歌を作りたい。

あと、最近すごく課題に思っているのは、カッコつけないこと。
歌集とか他の人の短歌を読んで、自分の短歌を一歩引いた視点で見て、自分はカッコつけてしまうことが多いと気づいた。
中途半端に知識やコツみたいなものを身につけてしまったせいで、小綺麗にまとまっていて「うまいこと言う」みたいな短歌を書いてしまいがちになる。
これは良くない。何より自分がそんな自分の短歌を好きになれない。
自分が好きと思える短歌しか作りたくないから、素直に自分が感じたことを自分の感覚で言葉にできるように心がける。
これがなかなか難しいんだけど、できたときはすごくスッキリするから、頑張りたいって思う。

それと、話はちょっと変わるけれど、この間「短歌ください」の発売記念配信を見た。
それと今日、「ほむほむのふむふむ」というラジオも聞いた。
歌人の言葉に触れて思ったのは、素晴らしい歌を作る人は、素晴らしい眼を持っているのだということ。
自分はあまりピンとこなかった歌も、評を聞けば「そういう見方があるんだ」と知ることができて、すごく世界が広がる感じがする。
素直に歌を読んで解釈して噛み砕いて伝えること、それが短歌との誠実な向き合い方なんじゃないかとも思う。

1個思い出すことがある。叔母夫婦の話。
わたしが叔父(叔母の夫)と話した後に叔母が近寄ってきて、「さっきあの人ああ言ってたでしょう?本当に優しいわよね」と言ってきたのだが、わたしは失礼ながら何のことだかわからなくて、説明されてようやくあのことかってわかった。
このことで感じたのは、優しさをその人の優しさとして受け取れる人も優しい人だということ。
もちろん分からなかったわたしが優しくないっていうわけじゃないけど、優しいよねって気づく体験が多い方が絶対に幸せだしすてきだと思う。
何より、「優しいでしょう」って言う叔母の顔が本当に嬉しそうで幸せそうで、とてもあたたかい気持ちになった。そういう気持ちこそかけがえなくて大事だ。

短歌もおんなじで、これいいな、こういうところがいいなって気づける方が絶対に短歌を楽しめるし、例え自分はいいなと思わなくても、いいなと思う意見をまずは受け入れて自分なりに考えてみることが大事なんじゃないかと思う。

だから、長くなっちゃったけど、これまでの話をまとめると。
今好きでいる短歌をこれからも好きでいるためには、他人と比べないこと、カッコつけないこと、何事にも素直でいること。

特に素直でいることが最も大事だと思う。
自分が感じたことを他人が感じていたら嬉しいし、他の人が書いた短歌を読むときに自分の気持ちや経験と照らし合わせる材料が多ければ多いほど、より豊かに楽しめるだろう。

だからなるべく素直に、自分の気持ちに正直でいることを当面の目標にしたいと思います。

歌をいつまでも希望の位置に置いて。

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