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コロナ・ウィルスの恐怖に縮む街の風景に思うこと

今朝は自室でコーヒーを飲んだだけで、昼は早めの時間に大好きなうどんときしめんのお店に行きました。私の自室は名古屋駅の北にあり、そのうどん屋さんは名古屋市の南方にあるので、道中は名古屋の繁華街を通り抜けてクルマで30分弱かかります。

普段の週末ならクルマも多く、歩道を歩く人も賑やかなエリアですが、今日は予想通りガラガラで閑散としていました。

私にとってこれは2011年3月11日東日本大地震後の東京の街のデ・ジャ・ヴュです。

当時零細運送会社の経営者だった私は、仕事が突然3~4割減り、その上荷主である一部上場企業から値下げを強要され、要求を飲んだ私の会社は荷量が減りながらも仕事は繋がりましたが、値下げを断った仲間の会社は突然発注停止になり倒産に追い込まれました。また荷主業界でも流通の中間を担う卸売り問屋さんが倒産し、運送屋である私のところに荷主から未明に電話が掛かってきて「今日の通常業務は総てキャンセルして倒産した問屋の倉庫に取り付けに走らせてくれ」という指示が来て、とりあえず自社のトラック30台を向かわせ私も後から駆けつけると、バリケードで囲われた倉庫で倒産した会社の社員と債権者の怒号が飛び交っていた、なんてことも目の当たりにしました。周囲ではそのような倒産の連鎖と、それに関係する自殺もあり、私も心の病に囚われてしまいました。

私はその翌年にその会社の経営者を解任され、今はサラリーマンなので、もちろん今回も仕事に影響はあるものの、当時のように社員やその家族の生活まで背負って、コントロール不能の売上げ減少に苦しむことは、今回はありません。

でも今日、閑散とした街を見ていたら、あの当時のどうしていいか分からない恐怖と、胸が締め付けられるような苦しい感覚が蘇ってきました。株の暴落は早めに売って損切りできるけど、実需の消失は止められません。

日本経済の土台を支えているのは派手なイノベーションなどとは無縁の、地味な労働を担う無数の中小零細企業です。その経営者たちの今の胸中を思うと、日本政府や東京都をはじめとする地方自治体の長が、空疎な形容詞と精神論を繰り返すばかりで、具体的な支援策が遅々として打ち出されないまるで不感症のような態度を見聞するにつけ、はらわたが煮えくり返るような感情に襲われます。

日本経済を支えてくれている経営者の方々の心の健康を案ずるばかりです。

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