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【読書録】開いたり閉じたりー鑑賞を「問い」にする方法


フランス哲学とバカロレアという試験制度の実態に興味があって図書館で借りてみたのですが、読み始めて「ちょっと求めていた方向と違うな」と思ってしばらく放置。延滞通知メールを受け取って、あわてて本日読了しました。読んでみると参考になるところがあったので、軽く記録しておきます。予約して待っている方、ごめんなさい。


本書はフランスのバカロレアの哲学試験を題材に、その「思考の型」を学んで使えるようにしようというものです。


第一章から五章までは「思考の型」の基本編。フランスのバカロレア哲学試験の紹介にはじまって、その試験に解答するために必要な「思考の型」の全体像および構成要素が詳述されます。次に、哲学的な問いとしての「労働・自由・正義」に解答するモデルが示されています。そして第六章は「思考の型」の応用編として「思考の型」を哲学以外の問題に応用するにはどうするかが紹介されています。

フランスの高校生は3年生になると哲学が必修科目になっているそうですが、その目的は哲学者の思想を知識として覚えることなどではありません。自分で考え、発信し、行動する「市民」を育てるためであり、自分の意見を共通のフォーマットに従って議論の場に表明する「型」を身につけることに重心が置かれています。

「思考の型」つまり共通のフォーマットを身につけるメリットは、以下の3点に集約されるように思います。
・意見の核心がすぐに見抜ける
共通するフォーマットにのせて意見を表明するということは、お互いの主張内容の核心とそれを補完する内容とを容易に峻別することができるため、意見の異同を整理しやすい。
・他者の意見を尊重できる
「思考の型」が身についていれば、自分と他者の論理の筋立てが同じなので他者の意見をより正しく理解できる。意見の違いの根拠も示されるため、冷静に意見を受け止めることができる。
・批判的思考力が身につく
「批判的」という言葉には注意が必要ですが、そのベクトルは他者に対してよりもまずは自分に向けるという態度をもっと意識したいと思います。自分の意見と他者との差異に注目して「これは正しいか?再考の余地はないか?」と問い続ける姿勢を持つこと。

ここまでが本書の概要です。日本ではこうした「思考の型」を身につけるとしたら、大学教育での論述になると思うのだけど、それをフランスでは「市民」を育てる教育として高校生に課している、という羨ましいお話。しかし、必ずしもうまくいっているわけではないらしい。

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さて、ここからはわたしの気づきメモ。

大学院進学へ向けて、なんだかずっとモヤモヤしている。それは「問い」がはっきりしていないから。外国語の試験や専門科目試験については地道に準備していくとして、研究計画書をどうするか、ということに関してまったく定まる気配がない。いや、まだまだ試験は先ですから急ぐことはないのだけど、一体わたしは何が問いたいのか?それは議論の俎上にのせる価値があるものなのか?というところでストップしている。

そんな状況に、本書の第六章がヒントをくれました。
それは、

オープンクエスチョンとクローズドクエスチョン

「はい」か「いいえ」の二択で答えられる問いの形式をクローズドクエスチョンと言います。クローズドクエスチョンの利点は、賛否を明確にすることができ、論証の筋道が立てやすいことにあります。それに対して、「はい」か「いいえ」では答えられない質問はオープンクエスチョンと呼ばれます。具体的には、何、誰、どこ、いつ、なぜ、どのように、のようないわゆる「5W1H」に関する問いがこのグループです。

『バカロレアの哲学「思考の型」で自ら考え、書く』p193

例えば、展覧会へ出かけて鑑賞することを中心にしていると、絵画を目にした時にどうしてもこの「5W1H」に注目しがち。また同時に、展覧会では何十点もの作品を鑑賞することになるので一作品の中に見つけたふんわりとした「問い」の種さえも拾われずに終わってしまったりする。いや、メモしなさいよ!ってことですけれど鑑賞しながらメモするのって感性で味わうことと理性で処理することの切り替えが難しすぎる!!!
要するに、わたしの場合、鑑賞することからは「オープンクエスチョン」が頭の中に増殖するだけに終わりがちだということだ。これは専門書を読んでいても同じことで、オープンな疑問に溢れて付箋だらけになる。そして付箋の内容の理解を追うことに終始してしまうとしたら、これがいちばんよくないです。・・・やってないから大丈夫(笑)

この本とは「クローズドクエスチョン」を知るために出会ったのだろう。正確には、「問いを立てる」って「クローズドクエスチョン」じゃん?ってことを思い出させてもらうため、と言うべきか。
著者は「オープンクエスチョン」から問いを立てて答えることは難しいと言っている。

一般にわたしたちは、自分の興味関心や、困っていることから「問い」を立てようとします。まず自分の興味や困難という「中身」があって、そこに「形」を与えるのが問いだということです。しかし自分が何に興味を持っているのか、そして何に困っているのかが、モヤモヤとしてはっきりしないこともあるのではないでしょうか。〈中略〉「中身」がはっきりしないのなら、「形」から入ってみるのです。

上掲書p194−195

「5W1H」で集めた疑問たちを、「はい」と「いいえ」で答えられる形式、つまりクローズドクエスチョンの「問い」に変換するということですね。この形式で考えられるだけたくさんの「問い」を作ってみて、自分の「問い」の種を整理してみましょうということです。

普通はまず「問題意識」があって、そこから「問い」が浮かび上がってきます。確かにそれが正しい順序でしょう。でも逆に「問い」を複数作ってから、自分の「問題意識」に合うものを探す、というやり方があってもいいと思うのです。「問い」はできるだけ多く作った方がいいでしょう。この「問いの物量作戦」が、自分の抱えている問題の輪郭をはっきりさせてくれます。ですから、「形から入る」ことで「問題意識」を持つことができるのです。

上掲書p196

モヤモヤして形を与えられていない「問い」の種たちは「開いた問い」。これを発想を逆転していったん「閉じた問い」に置き換えてみる。つまり「型にはめる」ということ。それによってふわふわした問題意識はきちんと言語で可視化されていく。
あーこれこれ。そうだよね。そして、そこから先はまた分解されてオープンクエスチョンに再変換されることもある。閉じたり開いたりを繰り返して問題意識を煮込んでいく。
この繰り返しから、絞り込まれた「問い」が出来上がり、論旨が明らかになり、目次が整理され・・・と、研究計画書できました!になるかもしれない。そうかもしれない(希望)。

本書からの気づきは、以上です。
タイトルに惹かれてちょっと中身をのぞいてみよう、と気分で手に取ったけれど、思いのほか今の自分に必要な本だった。
「問い」の種たちよ、まいてあげるから待っててね。

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