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マティス展に行って考えた(ピカソとマティスとキングダム)

「この絵は醜いですか、それとも美しいですか?」

小学1、2年生の頃、私は海外にいて、インターナショナルスクールに通っていました。ある時、先生が一枚の絵を持ってやってきて、「これを醜いと思うか、美しいと思うか?」と尋ねる授業がありました。

確か「泣く女」だったと思う。(c) Succession Picasso/DACS 2002 / Photo (c) Tate

私は英語がさほどできなかったので、議論の細かい内容までは理解できていません。でも、「この絵は美しい」と先生が言わんとしていることは、だいたい伝わってきました。

頭ではわかったのですが、どこか受容できない自分がいました。

「この絵を美しいとは思えない」

そして、この絵を美しいと思えない自分に引け目みたいなものを感じ(表面的に美しいものしか受け入れない自分はダメなんじゃないかという)、それから30年以上、その気持ちを引きずってしまいました…。

それが最近、ふっと見方が変わる瞬間が訪れました。自分なりに、描く方の気持ちになって想像してみたら、急に理解できたのです。

キュビズムの絵というのは、人物のいろんなパーツを、画家が一番描きたい角度(美しかったり、その人らしさが出ている角度)で描いた絵なんじゃないのか?と。

「泣く女」と同年に描かれた「ドラ・マールの肖像」で説明します。

ピカソ「ドラ・マールの肖像」。泣く女とモデルは同じ女性らしい。

目は一つは正面向き、一つは横顔の目になっています。たぶんこれは、ピカソがどっちの角度も描きたかったから。目は2つあるのだから、1つずつ角度を割り当てよう、と。

鼻筋は横から見た形が美しく、でも鼻の穴は正面から写し取りたい。その下の口は、鼻下から唇への凹凸を美しく見せたいので横顔寄りに…というような。

一枚で、いろんな角度から見たその人の顔を表現している。画家自身が、実際に360度ぐるりと見ていいと思ったパーツの記憶を組み合わせて、絵に落とし込んでいる。一つの時間を切り取った絵ではなく、いくつもの記憶が重なり合う、多重な時間を含んだ絵と言えるかもしれません。

そして、あまり写実的にリアルに描くとこの手法は成り立たないので、輪郭線を極端に太くしたり、直線的な要素を入れていくことで全体をまとめ上げている。

ああ、そういうことだったのかな。であればキュビズムの絵を私は美しいと思える。と長い間のモヤモヤに決着がつきました。

キュビズムと言えば(私は美術は素人ですが)、視覚表現に革命を起こした20世紀で最重要な運動と位置づけられています。

ただ、それは美術史から見ればそのように位置づけられるという話。革命を起こすために考えたのではなく、「描く角度を一つに決めることで、捨てる角度が生まれることが我慢ならない。全部をこの一画面に描き表したい!」という非常に絵描きらしい衝動に突き動かされて、生まれた描き方なのだろうな…と思うのです。

マティスも「見たいように世界を見た人」

先日、上野の東京都美術館のマティス展に行ってきました。そこでも、同じような描き手の気持ちを感じました。

マティスはピカソと同時代の画家ですが(2人の間には強い親交があったそうです)、マティスはフォービズム(野獣派)の人として知られています。フォービズムというのは主に色彩の話(固有の色彩を無視した鮮やかな色で描く。その激しさから野獣派と呼ばれた)なのですが、マティスの絵でも、形や角度はけっこう”伸び縮み”しています。

例えばこの絵。

マティス「緑色の食器戸棚と静物」

戸棚の天板の後ろがグッと持ち上がったような、ちょっと不自然な角度です。これは、扉は正面向きに描きたいが、天板に載っているものも窮屈にならずに広々と描きたい…そんな感じがします。

こちらはもっと極端です。

マティス「大きな赤い室内」

美術館で聞いた音声ガイドによると、上半分に2枚ある画面(マティスが自宅に飾っていた自分の絵だそうです)は、実際の室内では90度の角度で飾ってあるそうです。つまり、絵の真ん中の縦棒が、部屋の角です。

きっとマティスは、自分のお気に入りの絵を登場させるのに、画中画であっても、変に角度をつけて描きたくなかったんでしょうね。で、90度の角をぱかんと180度に開いてしまった。

マティスもまた、見たいように見て、描きたいように描いた人なのだと思います。それがマティスの絵から感じる気持ちよさだし、それぞれのものを一番美しい角度で差し出す、という美の追求者としてのスタンスも示しているのではないでしょうか。

歴史に名を残す絵描きたちは、将軍だ

最後に何を言い出すのか?と思われるかもしれませんが、マティス展を回っている最中に、頭の中で漫画「キングダム」のセリフがふっと浮かんできました。

秦国のエースの武将である蒙恬(もうてん)が、同じくエースである同志の王賁(おうほん)に語った言葉です。

「六将とかの類の大将軍ってのは、どんな戦局どんな戦況にあっても常に、主人公である自分が絶対に戦の中心にいて、全部をぶん回すっていう自分勝手な景色を見てたんだと思うよ」

ああピカソもマティスも同じだな、と思いました。

この2人に限らず、歴史に名を残す画家たちの展示を見にいくと、何人も歴代の奥さんがいたり、体格も大きくてエネルギッシュだったり、めちゃくちゃ行動力があったり(マティスも旅行で世界中を飛び回っていました)、多作で生涯現役で描き続けたりと、とにかく人としての生命エネルギーの強さに驚くことがこれまでもありました。

そういう人だからこその、この作風。

画家というと、現代ではちょっと内向的な人という印象を持つこともあるかもしれませんが、きっと歴史に名を残してきたこういう画家は、豪傑な人たちだったんですよ。キングダムに出てくる、キャラの立ちすぎた大将軍たちみたいに。

だから「自分の見たいように見て、描きたいように描く」革命を起こせたんですね、きっと。

追記:
マティス展を見た後、この本を読みました。マティスがどういう人だったか、どう絵を描いたか、どんな暮らしをしていたか、という話が愛を持って語られています。図版もたっぷりで、おすすめ。

マティスに薫陶を受けた猪熊弦一郎さんによる、マティス解説。


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