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幻の国|物語に仕組まれた謎

どう形容すればいいか分からない

作品のタイトルというのは、よくよく考えた末に決められる。
テレビ番組なら内容を一言で表しつつ、語感のよい言葉が選ばれるようだ。
不思議な話なら「アンビリバボー」とか、珍しい光景なら「ナニコレ」とか、奇妙な物を紹介する「世界の何だコレ」といった表現になっている。
「不思議だな」と感じることは、何事か理解できていなかったり、正体不明だったりという状態なので、それを表す言葉が少ない。要するに、
不思議なことは大体が「不思議」という言葉に収まってしまう。

若干、何を言っているのか分からなくなってきたが、
今回の題材は、「不思議」の一言に収まらない不思議なこと、
考えれば考えるほど疑問が湧き、掘れば掘るだけ資料が出てくるのに、
調べれば調べるほど謎が生じて、訳が分からない物語。

オススメできない作品

映画「王になろうとした男」
この映画は、タイトルからして微妙なニュアンスを含んでいる。
国内映画情報サイトのユーザー評価も星3~3.5くらいと微妙。

類似したテーマの作品を挙げれば、物語のタイプが分かるかもしれない。
・西洋人が辺境を旅する冒険映画
「インディ・ジョーンズ」「トゥームレイダー」「ハムナプトラ」
・軍人が現地化する異文化交流映画
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「ラスト サムライ」「地獄の黙⽰録」

誰かにオススメするなら「地獄の黙⽰録」を選ぶ。
でも「王になろうとした男」は、他の映画にはない不思議がある。
映画はきっかけに過ぎず、興味を掻き立てる要素が映画の外にある。

実話か、作り話か

この作品に疑問を持ってはいけなかった
映画を鑑賞してストーリーの進行に疑問が湧くところは、あまりないので、
受け流してしまいがちだが、この作品は実話だという。
例えば「インディ・ジョーンズ」が実話だと言われも信じないが、
この作品に関しては、有りそうで無さそうな微妙な感じが、逆に
気になって少し調べてみようか、と思ったのが事の始まりである。

あらすじ:
1885年頃 イギリス統治時代のインド
元兵士のドレイボットとカーネハンは、西洋人の未踏の地
「カフィリスタン」に行き「王になる」という契約を交わす。
旅の支度として、ライフル20丁を入手し、現地人になりすますため司祭に変装した。契約の証人となった新聞記者は、旅のお守りとしてコンパスを渡し二人を見送った。険しい山岳地帯を越え、現地の複数の部族と出会うと
持参した武器と軍事知識を活用し、部族を次々と征服していく
ドレイボットは神の化身として崇められ、王となる。

違和感の始まり:
とりあえずWIKI。原作小説の記事に、
「この小説は、ジェームズ・ブルックとジョシア・ハーランの二人の経験を元にしている。」とあったので、二人の記事を読んでみたが、
映画の登場人物とは、なんか違う感じがする。
どこが違うと、はっきりしないが印象が違う。
このような違和感が資料を掘っている間、ずっと続くことになる。

物語のモデルは誰?

調べてみたら、もっと出てきた。
この物語のモデル候補として推察されている人物は、二人だけではない。

冒険の歴史 年表:
ジョサイア・ハーラン 1820年~38年 ゴール王の称号
アレクサンダー・ガードナー 1817年~49年 ハーランの仲間
ジェームズ・ブルック 1838年~61年 ブルネイのサラワク王の称号
フレデリック・ウィルソン 1836年~83年 インドで成功した脱走兵
アドルフ・フォン・シュラギントヴァイト 1846年~57年 首の帰還
ウィリアム・ワッツ・マクネア 1879年~83年 ルートを開拓した。

最も有力な候補として挙げられるのが、冒険家ジョサイア・ハーラン

登場人物との違い:
ジョサイア・ハーランが王子の称号を得たゴール州はアフガニスタン西部にあたるが、物語の目的地カフィリスタンは、北東部にあったとされる。
ハーランは医師であり、軍事的知識を持っていたのか疑問があり、また、
交渉や謀略を巡らすことに長けた人物のようで、人物像が異なる。

ジョサイア・ハーラン:
アメリカ人冒険家ジョサイア・ハーランは、ゴール州の王子の称号をドスタ・ムハンマド・ハーンに与えられた。名実ともにアフガニスタンの地方支配者の一人となった。
王子の称号に至る経緯:
1.シュジャー・シャー(当時追放されていたアフガニスタンの元王)に
医師兼軍事顧問として雇われた。
2.ランジート・シング(パキスタン、パンジャーブ地方の支配者)の軍事活動を支援し、その信頼を得た。しかし、彼の権威主義的な統治方法(失敗した部下の鼻を切り落とすような暴君)に恐怖を抱く。ハーランは、密かに錬金術と金属の変換を行っていたこと、偽造貨幣を鋳造していたことがばれて、命の危険を感じ逃亡した。
3.アフガニスタンの新たな指導者であるドスタ・ムハンマド・ハーンに寝返って、彼の下で軍事顧問として働いた。
エピソード:
ランジート・シングが脳卒中を患い、ろれつが回らなくなった際に、
機材を持ち込んで電気ショック療法を施したが、効果がなかった。
それでも、ハーランの鼻は無事だった。

カフィリスタンはどこ?

物語が書かれた1888年頃は、カフィリスタンに関する情報が限られていた。設定上のカフィリスタンは、ドコだったのだろう。

カフィリスタン:
アフガニスタンの東部、現在のヌーリスタン州
カフィリスタンという名は、周囲のイスラム教徒の人々から見て、
異教徒を表す「カフィール」から「カフィールの地」の意味を持つ。
カフィールは、アフガニスタン北東部とパキスタン北西部に居住していた。
1895 年頃、アブドゥル ラーマン カーンに征服されイスラム教に改宗し、
土地の名もヌーリスタンと改称された。

カラシュ人またはカラーシュ人:
パキスタンのチトラル地区に住み、カフィリスタンと文化的に共通点が多く、イスラム教への改宗を免れたため、現在も独自の文化的伝統を維持している。

物語は、カラシュ人とチトラル地区が舞台となったと考えられる。
マクネアの冒険は新聞でも話題となっており、原作者キプリングは新聞社の編集にも関与していたので、マクネアの報告を参照した可能性が高い。
それによって偶然か、意図的か分からないが、情報の行き違いが起きて、
「カフィリスタン」が幻の国となっている。

ウィリアム・ワッツ・マクネア:
イギリスの測量士。
1883年 西洋人で初めてカフィリスタンを旅したと報告した。
西洋人のアフガニスタンでの活動は危険をともなったため、現地人に変装して旅をしたという。しかし、この報告は信ぴょう性に疑義が持たれている。
パキスタンのペシャーワルからチトラル地区に至るルートを開拓したことは
後に確認がとられているが、カフィリスタンについては、チトラルでいくつかのカラシュの村にたどり着き、そこをカフィリスタンだと勘違いしたと考えられる。

仕組まれた謎?

マクネアの報告を参照して物語を書いたと考えるのが妥当だが、
もし、キプリングが意図的に設定上の「カフィリスタン」に
秘匿性を持たせて、興味を掻き立てるように工作しているとしたら、
まんまと企てに嵌っていることになる。
でも、そのような企てが考えつくものだろうか。

この物語には不思議な点が多いので、混乱して色々考えてしまう。
混乱ポイントを以下に列挙してみる。

混乱ポイント1:「実話」を匂わせる記述

小説内で、実在の書籍が示されている。

小説に登場する資料:
ブリタニカ百科事典INF-KAN 巻 第9版 1882年
オクサス川の源流への旅の個人的な物語 1841年 ジョン・ウッド船長
「連合軍研究所のファイル」として登場する「カフリスタンとカフィール家」 1879年 ヘンリー・ウォルター・ベリュー
カフィリスタンに関するノート 1859年 ヘンリー・ジョージ・ラバティ

第二次アフガン戦争:
1878年~1880年にかけて勃発した戦争
イギリス軍のフレデリック・ロバーツ将軍が指揮を執った。
小説には「We was there with Roberts’s Army.」とあるので、
ドレイボットとカーネハンはフレデリック・ロバーツ将軍が率いる
イギリス陸軍に所属していたことが分かる。

混乱ポイント2:フリーメイソン

フリーメイソンって何?という所から始めると資料が膨大になる。
捉えどころがなく厄介なので、映画に登場する要素だけを挙げ、
一応の解釈を与えてみる。

・メンバーの行動
「ドレイボットとカーネハンは、マハラジャを脅迫して逮捕される。
 フリーメイソンのメンバーが、その地位を利用して犯罪の罪を逃れる」
メンバー間の助け合いの関係を誇張して描いているのか。または、
その影響力を誇示するために司法への介入を描いたのか。

・伝説と紋章の一致
「アレクサンダー大王が東方遠征の際にカフィリスタンに残した紋章と
 ドレイボットが新聞記者にお守りとして貰ったコンパスが一致する」
これによりドレイボットは、神の子孫として認められる。
そして、このお守りを渡した新聞記者がキプリング本人である。
実際にキプリングはフリーメイソンのメンバーだった。

・王になろうとして神になった男
「二人が交わした契約は、『王になる』だったはずで、成り行きで
 神として崇められ、それを利用して国の征服者となる」
不可能と思われるような高い目標を達成するサクセスストーリーととるか、
他者を利用して、自らを高次の存在へと押し上げようとする謀略ととるか。

フリーメイソンに組織的意図は?:
フリーメイソンといえば、しばしば話題となる陰謀論との関係が気になる。
フリーメイソンは、道徳と倫理の向上を目的としており、
メンバーの行動はフリーメイソンの理念に基づいている。

この倫理的な影響力が、ある種の「工作活動」と見なされることもあるが、これは陰謀論というよりは、多くのメンバーが社会的に影響力のある立場にあるため、個々のメンバーの影響力によるものとも考えられる。

フリーメイソンのメンバーは互いに助け合うことが奨励されているので、
ビジネスや政治での支援は、外部から見ると組織的な影響力の行使と見られるが、組織的な工作活動ではなく、メンバー同士の任意の行動とされる。

つまり、物語と同様に事の成り行きで、個人的な力が発動されるらしい。

物語の続き

カフィリスタン(現在のヌーリスタン)では近年にも紛争が起きている。
2008年には、アメリカ陸軍のヘリコプターが民間人を攻撃し、17人を殺害したことで住民感情が悪化し、アメリカ軍部隊がゲリラ部隊によって襲撃された。100年前に書かれた小説と類似した状況が近年でも継続していることに驚かされる。

ワナトの戦い:
2008年7月13日にアフガニスタン東部のヌーリスターン州ワーイガル郡クアム近郊で、ターリバーンなどの数百人のゲリラ部隊がアメリカ軍部隊を襲撃した事件である。

Wikipedia ワナトの戦い

白人の救世主

野心家のキャラクターや開拓者精神が受け入れられたのか
海外の映画情報サイトでは、本作のユーザー評価は高い。
imdb 7.8/10
rotten tomatoes 97%/91%
「人種差別的で残酷で帝国主義的だが、見方を変えれば良い映画だ」
という言い回しのレビューがあった。例えば、
主人公が救世主だと仮定してみれば、紛争を終わらせた英雄の話ととれる。
主人公が詐欺師だと仮定してみれば、悪党が征服者となった話ととれる。
その他、第三者からの視点として奇妙な話や失敗談という見方もできる。

帝国主義的な展開を見せる物語への批判として、
「白人の救世主(white savior)」という言葉がある。
この批判の端緒となったのが、キプリングの詩「白人の重荷」とされる。
読み方によっては、望まれない征服者を皮肉った詩のようにも読めるが、
帝国の征服を正当化する詩という解釈が定着している。

そして、「白人が非白人の人々を窮地から救う」という物語の典型として
映画、テレビ番組、漫画、有名人の慈善活動と形を変え引き継がれている。これらは「ホワイトセイヴァー産業複合体」と呼ばれているという。

差別的な物語と解釈される一方で、無邪気に楽しむ娯楽として、一般に普及している。加えて、その普及に無自覚に加担してしまう状況がある。

蛇足

物語の典型を用いてコンテンツが再生産されているということなので、
「白人の救世主」という文脈に沿ってストーリーを書き換えてみた。
確かに、どこかにありそうな物語が簡単にできた。

「謎を解こうとした男」

1890年、イギリスのロンドン。
探偵のアレクサンダー・グレイの元に一通の招待状が届く。差出人は不明だが、封筒には古代のフリーメイソンの紋章が描かれていた。中には「王になろうとした男の真実を追え」とだけ書かれていた。

霧が立ち込める冬の夜、古書店「フリーメイソンの書庫」を訪れる。店主の老人はアレクサンダーに古い手記を手渡す。それは、ジョサイア・ハーランとウィリアム・ワッツ・マクネアが書き残したものだった。
手記を読むうちに、アレクサンダーは共通点に気づく。
ハーラン、マクネアの探検記は、それぞれが異なる時期に
カフィリスタンを訪れたことを記していたが、
同じ村、同じ儀式、同じフリーメイソンの紋章が描かれていた。

アレクサンダーは、カフィリスタンへの旅を決意する。
彼の助手である歴史学者のエミリー・ハドソンと共に、
彼はロンドンを出発し、インドを経由してアフガニスタンへと向かう。

カフィリスタンの山岳地帯に到達したアレクサンダーとエミリーは、手記に記されていた「Er-Heb」と呼ばれる村を発見する。そこには、古代の儀式が今も行われており、フリーメイソンの紋章が刻まれた石碑が立っていた。

村の長老は、アレクサンダーたちに驚くべき話を語る。昔、この地に現れた白人の探検家たちが村の王として迎えられ、フリーメイソンの理念を広めたという。彼らは村の文化と融合し、独自の儀式を創り上げたのだった。

アレクサンダーたちは、村の文書庫で古い巻物を発見する。そこには、ハーランやマクネアが実際に王として君臨した記録が残されていた。しかし、彼らは最終的には村の独立を守るために自らの命を投げ出したと記されていた。イギリスの帝国主義がカフィリスタンに及ぼした影響も記されていた。探検家たちは、自らの理想を追い求めながらも、帝国の支配から逃れられなかったのだ。

ロンドンに戻ったアレクサンダーとエミリーは、
手記と巻物を元に真実を世間に公表する。

※モヤモヤポイント1
wikiの記述に踊らされる。物語の真実性に関わる部分、
「経験を元にしている」が事実を元に創作したインスパイアなのか。
「経験を基にしている」事実に忠実に再現された話なのか。
どの創作物も事実にインスパイアされているだろうから、
わざわざ現実と関連付けられると混乱する。

※モヤモヤポイント2

原作者名のカタカナ表記にゆれがある。
ラドヤード・キプリング
ラドヤード・キップリング
ルドヤード・キプリング
ラディヤード・キプリング
ジョゼフ・ラドヤード・キプリング
ジョセフ・ラドヤード・キプリング
ジョーゼフ・ラドヤード・キプリング
ジョゼフ・R・キプリング
省略したが、組み合わせ違いで相当なバリエーションがある。

「王になろうとした男」作品紹介:
1976年公開のアメリカ・イギリス映画
監督:ジョン・ヒューストン
出演:ショーン・コネリー、マイケル・ケイン
原作小説:ラドヤード・キプリング
原題:The Man Who Would Be King
出版:1888年

参考資料

ウィリアム・ワッツ・マクネア
報告書タイトル:
「Report on the Explorations in Part of Eastern Afghanistan and in Kafiristan」
発表年: 1885年

ロバート・ウォーバートン
ウォーバートンは、現地の部族民からなるカイバーライフル隊(Khyber Rifles)を組織し、部族の知識と地理的な優位性を活用して、
効果的な治安維持活動を行った。
著作タイトル:
「Eighteen Years in the Khyber: 1879-1898」
発表年: 1900年

アレクサンダー・ガードナー
マクネアよりも先にカフィリスタンを旅したとされる。
書籍タイトル:
「Soldier and Traveller. Memoirs of Alexander Gardner」
発表年: 1898年

ジョサイア・ハーラン
「A Memoir of India and Afghanistan.」
発表年: 1842年

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