ポーカー・フェース

沢木耕太郎の「ポーカー・フェース」読了。

沢木耕太郎は、昨年遅まきながら「深夜特急」を初めて読んでから好きで、たまにエッセイを買って読んでいる。

「深夜特急」は第二巻がたまたま友人宅の本棚に置いてあった。バックパッカーのバイブルとして名高いこの本は一体どんな冒険譚なのか、と手に取ったものの、内容が想像と全く違い驚いたのを覚えている。

20代の沢木氏は、最終到達地のみを決めた長い旅の途中で様々な人たちの人生に触れる。現地の子供たちに親切に宿を案内されるという素朴な体験もあれば、名のある画家の死を、かつて画家と長い間道ならぬ恋愛関係にあった女性に伝えるというドラマティックな出来事もある。今よりも海外が遠かった時代に、若い青年にとってそれらがいかに刺激的だったかと思うのだが、主に描かれているのはそれらに接したあとの自身の心の動きなのである。それも、非日常に酔いしれることなく注意深く見つめている。

「深夜特急」はその一冊をきっかけに全巻入手し、あっという間に読み終わってしまうくらい夢中になった。そして、「沢木耕太郎を好きになる女性はたくさんいそうだなあ」と思った。まあ、単に自分の好きなタイプなのかもしれないが。

身一つで海外を放浪するというフィジカルにタフなことをしながらも、根本的に沢木氏は非常に知的である。旅のお供の本として「漢詩」を選ぶなんて、その辺の20代の男性がすることだろうか。インド人に「東京大学で我妻先生に法律を習っていました」と言われて、瞬時に「民法大意」を書いた我妻栄だと思いつくだろうか(私は知らなかった)。そしてそれを特にひけらかすこともしないのである。旅の折々で誰かに手紙を書いている。おそらく当時の恋人宛だと思われるのだが、たまに登場するその文面は敬語で、ちょっと他人行儀にも思えるくらい丁寧で律儀な口調なのだ。かと思えば賭博に入れ込んで大枚をすったり、知的だが感覚的でミステリアスな部分に魅力を感じる女性は多いだろう。

ポーカー・フェースでもその印象は変わらなかった。身近な出来事をきっかけにつらつらと心に浮かんだことを書いているようでいて、引き出される知識は教養ある人のそれだ。沢木氏は組織に属さないと心に決めていたが、世話になった人の死を知り、その人から依頼されていた文芸家協会への入会を決意するというある種変わった仁義の通し方をする。一筋芯が通っていながら、動きに予測がつかないのだ。

こういう人、気になるなぁ。しかしこういう人からは好かれないであろう私である。ましてやパートナーになど、なったところで私のほうが疲れてしまうだろう。たまに著書を読むくらいがちょうど良いのだと思う。


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