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ちょうどいい人生。

くめです。程よい人生を過ごせたら良いなと思います。

三国志で、お気に入りの武将を見つけました。游楚さんと、張範さんです。お二方とも実にちょうど良い人生を歩んでいたと思います。

游楚(仲允)

游楚仲允さんのイラスト(三国志14)

【正史】
父の游殷が張既に目をかけていたこともあり、曹操の関中平定後、張既の推挙で漢興太守に取り立てられ、次いで隴西太守に転じた。228年、北伐を敢行した諸葛亮が隴右に侵攻してくると、天水と南安は蜀軍に降伏したが、隴西だけは民と一丸になって城を堅守し、蜀軍の撤退まで耐え抜いた。この功で列侯に取り立てられ、また宮中に招かれて曹叡に気に入られる。その後は、遊戯や音楽を楽しみながら気ままに暮らした。

その地方の民衆と力を合わせて頑張り、城を守り抜き、その後いい感じに出世。最後は趣味に没頭し、優雅に暮らしたことでしょう。ちょうど良いな。

游楚さんのプラスポイントは以下の通りです。

・お父さん(游殷)が、のちに偉くなる人(張既)に慕われていた。
・そしたら、息子も能力が高いだろうということで政界にスカウトされた
・この時代で求められる能力(城を守り抜く)をある程度持っていた。

運がいい、といったらそれまでですが、スカウトされても能力が無ければこんな人生は送れなかったでしょう。

張範(公儀)

張範公儀さんのイラスト(三国志14)

温和な性格で老荘の思想を好み、名門の出ながら栄利に無関心で朝廷の招聘にも応じなかった。董卓が朝廷を牛耳ると弟の張承らと共に揚州に逃れる。赤壁の戦いの後に曹操に仕え、議郎、参丞相軍事に任命された。よく曹操から敬われ、曹丕からも礼遇された。

のんびりと生きていく信条のもと、だらだらと生きていた(かは分かりませんが)、めちゃくちゃ能力が高い社長(曹操)がいる大企業に就職し、ほどよく出世。2代目社長(曹丕)にも慕われ、いい感じに人生を送りました。ちょうど良いな。

張範さんのプラスポイントは以下です。

・一族が名門だった。
・温和で、私利私欲がないという、人格者であった。
・戦災が起きたら、そこから逃れられる財力や行動力があった。
・与えられた役職を全うできる能力があった。

これまた、運が良かったといえばそれまでなんですけど、やっぱり自分自身でもそれなりに頑張ったからこそ、ちょうど良い人生を送れたのだと思います。

2人とも有名な三国志演義には登場しておりません。それほどの超マイナー武将です。三国志好きでも、知ってる人は少ないでしょう。しかし、一応(失礼)歴史に名を残しているわけですし、偉くなりすぎて殺されたりするわけでもなく、ちょうど良いなあと思うわけです。

偉くなりすぎたり、威張ったりしてると、大抵の人は悲惨な最期を迎えます。他人から憎まれたり妬まれたり、面倒臭い人生になっちゃうかもしれません。それは今も昔も、これからも変わらないと思います。

今の財政界も、さぞかし面倒臭いニュースばかり流れてきますよね。会社内のくだらない人事や噂話も、面倒臭いし巻き込まれたくないですよね。

そうはなりたくないなあ。

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