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スコットランド日和⑦複雑なものを複雑なままに、自分の声をあげていくこと(2)「知的・感情的な怠惰」は罪

  スコットランドのエジンバラで研究生活を送っている阿比留久美さん(早稲田大学、「子どものための居場所論」)の現地レポートを連載します(月2回程度の更新予定)。
 ★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。
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 スコットランドでのデモや集会では、年齢もジェンダーもエスニシティも多様な人たちが集っていますが、日本のデモや集会では、中高年の男性がスピーチをすることが多く、集う人たちも若者が少なくて中高年の参加者が多い印象です。日本とスコットランドでは、デモや集会に対して抱かれているイメージも実際にかかわっている人たちの層もずいぶん違いそうです。

 エジンバラに来てから感じているのは、街を歩いていると、小規模なものから大規模なものまで、いろんな意見表明をしている人たちと出会うということです。エジンバラに来た直後の頃に目にしたのは、香港国家安全維持法が施行されてからの香港の状況に対してメッセージを伝えている人たちのグループでした。かれらは、香港国家安全維持法が施行されてから、香港に住んでいる人や訪問した人の逮捕が続いている状況を受けて、「香港にいる知り合いには早く香港を出るように、国外の人には香港に行かないようにと伝えてください」と呼びかけていました。

 ウクライナ問題やLGBTQの権利、生活苦(インフレと同時に燃料費が高騰して「燃料か食べ物かHeat or eat」を迫られるような貧困問題がイギリスでは深刻になっています)など、ありとあらゆるテーマについて、数人~10数人で呼びかけをしている人をしょっちゅうみかけますし、デモやストライキも頻繁におこなわれています。電車に乗ろうとすればストライキの影響で電車が減便していて、乗ろうとしていた電車に乗れないということがしょっちゅうありますし、10月は大学も小学校もストライキで休校になりました。それぞれの人が声をあげて、行動を起こすことが日常の中にあり、周りの人もその影響を受け入れ、対処していく文化があるようです。

エジンバラ・ウェイバリー駅の橋に貼ってあったポスター
「ガザを自由に」「沈黙は同意」
「パレスチナを支持しよう」などと書かれている

 また、小学校でもユースセンターでもコミュニティラーニングの場でも、イギリス以外のヨーロッパの国の人たちはもちろんのこと、インド、中国、ウクライナ、スーダン、パキスタン、エジプトなどなど色々なエスニシティの人たちに出会います。それぞれが、それぞれの背景をもってこちらに来ているのだということを日々感じさせられます。

 ニュースの中だけではなく、生活の中で具体的に、今起きていることに気づかされたり、考えさせられたりする機会があるのです。自分や自分の関心にかかわることがらについて、声をあげる人がいることによって、そのことがらが不可視化されない/させないようになっています(もちろん、具体的な場面で「このことって問題な気がするけど、それはスルーしてしまうのかあ」と思うようなこともあって、不可視化されていることもあるのですが)。

 それは、個人だけでなく、特定の組織にとっても同様です。イギリスの公共放送であるBBCは、イギリス政府がハマスをテロリスト集団と呼んでいるのに対して、報道機関としてのBBCは事実を視聴者に伝えるのが仕事であり、ハマスをテロリストと呼ぶことでどちらかを悪者にし、どちらかを被害者であり善人にするような判断をするような役割ではないと述べて、ハマスをテロリストとは呼ばないという方針を発表しました。 (英語版はこちら

 そのようなBBCの意見表明に対して、BBCは与野党の政治家から批判を受け、またそれに応答する、ということをしています。

 ただ、ガザへの攻撃にスポットライトが当たることで、ハマスの攻撃によってイスラエルの人たちが1400人以上亡くなったことに対する注目は弱まっています。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、ガーディアン誌のインタビューで、欧米の左派がハマスではなくイスラエル政権のこれまでのやり方に責任を求め、1400人もの死者が出ているイスラエルの市民に対する連帯を示さないことにショックを受けたと話しています。

 また、ハラリ氏は、報道ステーションのインタビューでは、第三者であっても「知的・感情的な怠惰(intellectual lazyness)」は罪だし、権力をもっていない一般の人たちであっても、小さくても力(power)や影響力をもっているので、できることがある。なにを発言するか注意しながら発信し、平和のための「余地」を残すことが必要だ、と話していました。

 ハラリ氏が話していることは、イスラエルとハマスの問題にかぎらず言えることです。

 白か黒か、左か右か。そんなふうにシンプルに言えるほど物事は単純ではなく、これまでのイスラエルの行動を批判することや、ガザの即時停戦を求めることは、ハマスを批判しないことと同じではありません。ですが、運動のわかりやすさや一貫性を優先すると、そんな複雑さが捨象されてしまいます。どうやったら複雑なものを複雑なままに表現し、それぞれの人が考えていることを反映させたようなことができるのでしょうか。

 日本にいる時、私は内心気になっているけれども自分に直接は関係していない多くのことを放置していましたし、そういう自分の行動はその問題を不可視化させた状態にすることに加担しているということを自覚していました。しかし、仕事や家事の忙しさや余裕のなさ、自分のキャパシティの小ささで、できないことが多い中でどうしていいのか、なかなか答えはでませんでした。

 今も答えはでていないこれらの問題について、ここのところ、日々頭をめぐらせています。

阿比留久美『子どものための居場所論』
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