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【連載エッセー第24回】「洛外」を感じる

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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 家の近くにスクラップヤードができる前から、殺風景な金属フェンスで囲まれた土地はところどころにあった。建設業者の資材置き場が少なくない。

 屋根のない資材置き場のほかにも、ちらほら倉庫がある。全部を把握しているわけではないけれど、家からは緑色の大きな倉庫が見えるし、少し離れたところには雑貨店が倉庫をもっている。

色を緑にしても倉庫は倉庫だ

 私の家のすぐそばには、骨董品を扱う人が倉庫として使っている建物がある。京都の市街地に倉庫を確保しようと思うと費用が膨大になるので、今の場所を借りているそうだ。

 骨董品屋さんとは顔見知りになっていて、ときどき話をする。子どもたちも声をかけてもらったりしている。我が家に流れ着いて持て余していた昔の大皿などを買い取ってもらったこともある。骨董品屋さんに対して、悪い感情はもっていない(むしろ好きだ)。ただ、自分たちの暮らす地域そのものが「まち」の物置きになっている印象は否めない。

 それでも、物置きなら、まだいい。ゴミ捨て場のような扱いを受けているところもある。家の近くでも、フェンスで隔てられた土地にたくさんのガラクタが積まれていたりする。

 京都御所や二条城の周り、京都駅前には作られなさそうなものが、私たちの住む山あいの地域に作られている。送電のための大きな鉄塔にしたって、そうだ。我が家の窓から見えるのは、「昔ながらの美しい里山の風景」ではない。美しくないとは言わないけれども、もう少し現代的な風景だ。窓の外の山々は、いくつもの鉄塔に踏みつけられている。

いつも鉄塔と電線が視界に入る

 多くの人が意識しないところで山間部に押しつけられているのは、スクラップヤードだけではない。「まち」に不要なもの、「まち」に不都合なもの、「まち」に不似合いなものが、周辺部に持ち込まれている。

 見たくないもの、触れたくないもの、遠ざけたいものを周辺部に押しつける仕組みは、平安京の時代から変わっていない。山の中で暮らし始めて、そんなふうに強く感じるようになった。「ここはゴミ捨て場じゃない!」「この地域を物置き代わりにするな!」――そう叫びたい気持ちがある。

 もっとも、考えていくと、話は複雑だ。ガラクタを押しつけられている私たちも、ほかの地域に厄介なものを押しつけてしまっているのかもしれない。たとえば、東京電力の原子力発電所が福島県や新潟県に置かれてきたように、関西電力の原子力発電所は福井県に置かれている。米軍基地は、私が押しつけているわけではない気もするけれど、沖縄に集中している。水俣病やイタイイタイ病が「地方」で広がった事実も、忘れてはならないだろう。

 外国の地に押しつけているものも少なくないはずだ。あれこれの食品に入れられている植物油(パーム油)は、遠くの土地とそこに暮らす(人間も含む)生きものを傷つけていないだろうか。私が暮らす山里に(押しつけられたかのように)並んでいる太陽光パネルは、どこでどうやって製造されているのだろう。私たちが使うパソコンやスマホの材料は、どこから来て、どこへ行きつくのだろう。私が着ている綿のシャツは、誰かの苦難とつながっているのではないか。

 スクラップヤードの灰色のフェンスをにらみながら、そんなことを考えている。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

#里山 #里山暮らし #山里 #スクラップヤード