見出し画像

【連載エッセー第12回】手を挙げてバスに乗る

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)
**********************************************************************************

 私の家は、好立地にある。徒歩0分で公共交通機関に乗ることができる。家の前で手を挙げれば、路線バスが停まってくれる。

 本当は、手を挙げる必要さえない。それらしい雰囲気で立っていれば、運転手さんが気づいてくれる。

冬にはチェーン付タイヤの車両も用意される

 もっとも、私が住んでいる地域では、クルマをもっている人が多い。私たち夫婦も、移り住むにあたって、地元の方からはクルマの免許を取ることを強く勧められた。「自動車がないと大変ですよ」と心配してくれていた。

 クルマをもつのが普通なのだろう。私たちのことは、「クルマをもたない家族が引っ越してくる」と噂になっていたらしい。

 クルマがあると便利かもしれないけれど、私たちはクルマをもたないことに決めていた。そもそも、「クルマがなくても何とか暮らせそうなところ」ということで、今の地域への移住を考えた。

 そういうわけで、家にクルマはないし、私も妻も運転免許を持っていない。私は、通勤するにも、「まち」に出るにも、バスに頼っている。

 日常的にバスに乗っていると、バスの様子がわかってきて、ちょっとおもしろい。朝は、学校に通う小学生と同じバスに乗ることが多く、子どもたちの登校風景を眺めるのが何となく楽しい。

通学のバス賃(片道90円)は保護者負担なのはおかしいと思う

 バスでよくいっしょになる人に対しては、ぼんやりと仲間意識のような感覚が芽生える。週に1回くらい病院に通っているらしい高齢の男性。足が不自由そうな方。高校に通っているらしい若者。杖を手にしてゆっくりとバスに乗り込む高齢の女性。言葉を交わしたことのない人が多いけれど、私のバス仲間だ。

 運転手さんたちも、乗る人のことを知ってくれていたりする。「次のカーブミラーの前でお願いします(降ります)」という合図を私が忘れていても、ある運転手さんは、「こちらでしたよね」と、私の家の前でバスを停めてくれた。

 心配なのは、バスの本数が今以上に減らされてしまうことだ。路線バスは、それを必要とする人間にとっては、生活の生命線になっている。

 小学生が路線バスを使って通学しているので、路線そのものが廃止になることは(当面は)ないのかもしれないけれど、バスの本数が少なくなれば、バスを頼りに暮らすのはますます難しくなる。バスがさらに不便になれば、バスを使う人もさらに減り、バスはいっそう窮地に陥りかねない。そうなると、私たちにとっては大問題だ。

 とはいえ、私の地域のバスがどうなろうと、それで世間が大騒ぎすることはないだろう。バスの本数が減ろうと、さらには路線が廃止されようと、しょせんは片田舎の小さな問題として扱われる。片田舎のなかでも、バスの常連は少数派だ。路線バスの存亡は、ちっぽけなことでしかない。

 でも、そのちっぽけなことに、私たちの暮らしがかかっている。赤字がどうの、黒字がどうの、という理屈だけで考えてほしくない。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

#里山 #里山暮らし #山里