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【連載エッセー第5回】鋸にしがみつく

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)

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 薪ボイラーや薪ストーブを使うためには、薪が要る。寒い時期に備えて、薪を蓄えなければならない。春に移住してから、こつこつ薪を集める日々が続いている。

近所の方から杉の木を分けてもらっている

 薪づくりの方法を調べると、たいていはチェーンソーで木を切るところから説明が始まる。けれども、私はチェーンソーを使いたくない。機械や化石燃料は、なるべく避けたい。チェーンソーで木を切り、トラックで薪を運ぶと、薪を使う意義が薄れる。機械でつくられ、機械で運ばれる薪は、温室効果ガスの排出をともなう。

 それに、山に囲まれながら、ザッ、ザッ、と鋸(のこぎり)の音を感じながら木を切るのは、なかなか良いものだ。チェーンソーで大きな音を出していては、この充実感は得られないと思う。

 鋸を使うのが木への礼儀なのでは、という感覚もある。樹木という生きものの身体に向き合うときには、それにふさわしい姿勢があってよいはずだ。チェーンソーを使うのは、木に失礼な気がする(道具が違うだけで、やってることは同じでしょ、という意見もあるでしょう。反論はできません。このあたりは、理屈というより、気持ちです)。

 もっとも、正直に言うと、チェーンソーを使わない一番の理由は、「怖い」ということかもしれない。看護師をしている親戚が、チェーンソーで負傷した人の話をしていたことがある。傷口がぐちゃぐちゃで、ひどい状態だったそうだ。鋸でもケガはするけれど、たぶん大ケガはしにくい。

 ともあれ、家が放置されていた期間に茂った木を何とかする必要もあったので、引っ越してすぐに薪づくり生活が始まった。最初はあり合わせの道具でやっていたのだけれど、木を切り始めて感じるようになったのは、「薪づくりに合った鋸が要るのでは?」ということ。

 近所の方から、不要になっていた「穴挽鋸(あなひきのこ)」を譲ってもらえて、それを使ってみた。

「普通の鋸」(小)と穴挽鋸(大)

 切れる、切れる。ザクザク切れる。なんてすごいんだろう。今までの苦労は何だったんだろう。道具って、偉大だ。鋸は、人間の知と技の結晶だ。

 とはいえ、次回に説明する事情で2本目の「穴挽鋸」を求めにいった金物屋さんのホームページで「のこぎり」の欄を読むと、鋸への愛が感じられる記述の後に、チェーンソーには負けます、という注意書きがある。電動のチェーンソーなら、魂も何もなくても、あっけなく一瞬で切れてしまいます、と。

 たしかに、今の家で暮らすようになってから、機械の威力を思い知らされることは少なくない。

 でも負けないぞ、と思っている。やれるところまで、鋸でやってみたい。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

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