Kamogawa Records

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最近の記事

ジャムセッションとヴィゴツキー

ジャムセッション、特に私の志向するジャムセッションは、大変ヴィゴツキー的であるといえる。 あるとき、これまで私がジャズの演奏・ジャムセッションにおいて志向してきたこと(ふんわりと考えたり実践してきたこと)が、ヴィゴツキーの社会構成主義で説明できる/可視化できることに気づいた。 ヴィゴツキーはソビエトの心理学者で、ピアジェと並び発達心理学における20世紀前半の二代巨頭といえる人物である。その理論はいまでも古びることなく、派生する種々の理論や考えの基礎になっている。 教育学者で

    • ジャムセッション at The ANSONIA CAFE

      ドラマーの友人がホストをしているセッションにふらりと参加したのが3月。 もうひとりのホストははじめましてのピアニスト。 居心地がよくて4月・5月と通ううちに、友人のドラマーは関東に引っ越すことに。 そうしてホストを引き継いだのが伏見稲荷はThe ANSONIA CAFEのセッション。 毎週金曜夜にジャムセッションを催しているお店で、担当は第2週。 勘のいい方はお気付きでしょうが、ピアノ&ドラムのドラマーから引き継いだため、ホストはピアノ&ピアノに。 セッションモンスターの私

      • 怒りの日(即興について)

        私にとってのジャズの原点であるピアノトリオに立ち戻って約1年半。 トリオのドラムが育休に入って以降、ベースとデュオでリハを続けている。 よく考えたらデュオでの「ライヴ」というのはまだやっていない。 最近は完全即興による演奏を期するようになった。 どうとでもなる1人での即興ではなく、お互いが刺激やきっかけにもなり、あるいは縛りにもなる、複数人での完全即興。 ドラムがテンポキープしているわけでもない、主旋律が別にいるわけでもコード楽器が複数いるわけでもない、ピアノとデュオという

        • ジャムセッションをダメにしているのは誰だ

          私はジャムセッションが好きだ。 ジャムセッション(英: Jam session)とは、本格的な準備や、予め用意しておいた楽譜、アレンジにとらわれずに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏をすることである。(Wikipediaより) しばしばセッションへの参加を渋る某氏曰く、 「世の中のセッションというものの多くは、私がセッションだと思っていたものではなかった。」 「私はセッションの"お客さん"ではなかった。」 だそうだ。 会場のスケジュールに「参加者の方は譜面を◯部ご

        ジャムセッションとヴィゴツキー

          タイニーテーブルコンサート

          Tiny Table Concert タイニーテーブルコンサート企画書 概要: 演者は飲食店等のテーブルを囲む形で演奏する。 このテーブルはステージのように客席と対称となる場所ではなく、あくまでフロア内に配置する。 演者のテーブルには楽器やマイクのほか、飲み物・食べ物を置き、飲み食いしながら演奏する。 目的: 日常と音楽に敷居を作らないこと、非日常ではなく日常の音楽であること、演者と聴衆、音楽、空間が本質的に調和していること。 演者に求められる態度: カッコつけてもよい

          タイニーテーブルコンサート

          ジャムセッション(1)

          私の音楽の基盤はジャムセッションにある。 これまでいくつかのセッションでホストをしたり、立ち上げに関わったり、主催してきた。 現在は木屋町のアメリカンダイナーで、月いちど。 現在は、と言いながら、密なジャムを志向する私は、コロナ流行によりお休みし、まだ再開できずにいる。 気を遣ってお行儀よく距離を取るなどするセッションであれば、少なくとも自分がやる必要はない。 わちゃわちゃとした、密で・混沌とした・創造性のぶつかり合いがしたいのである。 はじめに深く関わったセッションは、

          ジャムセッション(1)

          春は鴨川

          京都の気候は過酷である。 夏は必要以上に暑く、冬は必要以上に寒い。 もっと暑かったり寒かったりする地方の人も、京都の方が暑い/寒いと言う。 京都の春や秋というと、大変よいイメージを抱かれることが多いだろう。 そう、京都の春や秋は素晴らしい。 しかし、京都の春と秋はいずれも2週間ほどで終わってしまう。 まさに春の夢の如き儚いものである。 このようなことは、いろいろな人によって100万回くらいは言われているだろう。 しかし、200万回言ってもいいくらい耐えがたいものであり、3