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出会うべき人には必ず出会うもの

おはようございます。
ザーザーと強い雨が降っている火曜日。
トーストを真っ黒に焦がしてしまい、
朝からショボンとなってしまった鴨桜子です。

【道を歩いて思うこと】

最近、道を歩きながら、こんなことをよく思う。

"どこを歩いても、知らない人ばかりだなあ"

この町に住んでいるとはいっても、10軒先にもなれば、どんな人が住んでいるのか、さっぱりわからない。
だからすれ違う人だって、知らない人ばかり。

まして、一駅でも離れたら、知っている人に会うことは、まれのまれだ。

家って何かといえば、自分の物が置いてあるというだけだ。
まあ、いろいろカスタマイズはされているので、動きやすくはなっているけれど。
いわば、ただそれだけの場所なのに、とりあえず、この世にあってはどこよりも安心する場所ではある。
だけど、とつぜん具合が悪くなったとして、自宅に居たから助かるという保証はない。どこにいても助かる時は助かると、だめなときはだめ。

物がなかったら、どうなんだろう。
場所に対する執着もなくなるのだろうか。

じゃあ、どこにでも行っちゃっても、いいかな。

だけど、ここにいる。
知らない人たちに囲まれて、ここにいる(笑)

【出会うということ】

知らない人ばかりの世界の中に生きているけれど、たくさんの人と出会ってきた。

親、兄弟、近所の人、同級生、仕事で出会った人もいる。
これまでに、いったい、何人くらいの人と出会ったのだろう。
とても数え切れない。
そして、この人たちとの出会いで、
予期できたものなんて、ひとつもないかもしれない。

♪ある日、町の中、あの人に出会った〜

あの人がいなかったら、この人がいなかったら、たぶん少しかもしれないけれど違った人生になっていただろう。

なんで、出会ったんだろう。

と、不思議な気分になってくる。

【血縁・地縁・知縁】

"血"の縁はそんなに大事か?

若い頃は血のつながりが何より大事と思っていた。でも今はちょっと違う気がしている。

血のつながりは切れないはずと思っていたけど、わりと簡単に壊れるという体験をしたので、血縁者だからといって何でも許されるものではないと知った。

考えてみれば、夫とだって最初は血の縁はなかった。血の縁も作られていくもので、不変ではない。
長い時間の中では、ある瞬間だけのつながりなのかもしれない。

"地"で結びついた縁

たまたま近所で暮らすようになった人たちとの縁は奇跡とも言える。

こんな広い宇宙の中で、地球の中で、日本の中で、こんなに近く場所に暮らしているのだから。同じような場所を選んでいるということで、何か共通するものがあるはずだ。

常日頃付き合いがなくても、何かあったら、現実的に助け合えるのは、近くにいる人たちだ。
昔の人たちも「遠くの親戚より近くの他人」と言っているが、そのとおりだと思う。
困ったときに力を発揮するのは、地で結びついた縁だろうと信じている。

"知"で結びついた縁

これもとても貴重なものだ。

例えば、本を通しての縁。
直接出会えなくても、本を通しての出会いも1つの出会いにほかならない。
良き本と出会たときの喜びは、格別だ。
それは感性の合う人と出会ったことからだ。
そして、これこそが人生の醍醐味かもしれないと思う。
どれだけ、感性の合う人と出会えた喜びが、暮らしを豊かにしてくれる。

【出会うべき人には出会う】

出会うべき人には出会うことになっている

いつのころからか「今生で会うべき人には必ず会う」ことを信じるようになった。

そして、出会うべき人がいるから、まだ生きているんだとも思うようになった。

だいぶ前のことだけど、強く印象に残っているニュースがある。

80歳を過ぎたおばあちゃんが、家の前の用水路(といっても小さい水路)に落ちてしまった小学生の子を救ったというニュースだった。

おばあちゃんは自分の歳も力も忘れて、引っ張り上げた!
そして、その火事場のバカ力で、その子は助かったのだ。

そのとき、インタビューに答えていたおばあちゃんの答えと笑顔が忘れられない。

「この子を助けるために、こんな年まで長生きしてたんですね」

このおばあちゃんがいなかったら、小学生は助からなかったかもしれない。

出会うべき人にすべて出会って、この世でのなすべき体験の数に終わりがきて、天からの指示が出たら、素直に従って、嬉々として旅立ちたいなあ。

これからどんな人に会うのかな


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