見出し画像

1月27日のお話*

「もう別れよう。これ以上、待てないや。」
マリエからそんなLINEが来たのが3日前。既読をつけてしまったけれど、返信を打つ気になれず、かと言って彼女のアカウントを削除することもできず、放置したまま4日目が終わろうとしている。
いつもの彼女なら、「既読スルー?」と怒りのLINEを送ってくるところだが、そういうメッセージもないところを見ると、既にブロックでもされているのかもしれない。それなら今更僕が何を送っても無駄になる。
そう思うと気が楽だから、ブロックしていてくれたらいいのに、と、妙な願いまでむくむくと湧き上がってくる。

彼女とそんな風になったとしても、仕事はあるし、腹も減る。家で何か作る気にはなれないから、今日も仕事終わりにまっすぐ駅に向かわず、繁華街に出てきてしまった。昨日は魚定食を食べた。一昨日は…ラーメンか。その前は、なんかヤケになって立ち飲み屋に入ったんだったか。今日は何を食べよう。

そんなことを思いながら歩いていると、周囲に比べて道が一際明るい家電量販店の前にさしかかった。
ここは、マリエと出会う前、この人となら結婚しても良いと思うほど好きだった彼女と来た場所だ。今日まで何度となくここを通っても、あの子のことを思い出すことなんてなかったのに。あの時と同じ冬の寒い日だからか、さっきすれ違った人の香水がなんとなく懐かしかったからか、マリエとこうなってしまった後だからか、今日は妙にはっきりとあの日のことを思い出す。

付き合って2年、僕の仕事がちょうど忙しくなって、土日もなかなか会えない日が半年ほど続いてしまい、その頃の僕らは少しギクシャクするようになっていた。僕はそれを何とかしたくて、少し前に同棲に踏み切った同僚の影響もあり、彼女に一緒に住むことを提案した。その返事を待っている状況で、僕はデートの行き先に、この家電量販店を提案したのだ。

新宿だし、終わった後に寄ることができるカフェもあるし、他にショッピングもできる。アクセスも良いしと、それくらいの気持ちで誘い、あわよくば、一緒に生活しているイメージを膨らませて一気に同棲へ持ち込もうとさえ考えていた。

しかしここに来たことで、彼女と僕の距離は決定的なほど離れてしまった。

彼女からすると、僕の行動は”効率重視すぎる”というのだ。
「仕事ができるのはわかる。ビジネスマンとして優秀なのも、その計画がおおよそ正しいことも否定しない。」
僕が忙しくなればなるほど、そのことを実感したらしい。
「あなたといたら、生活には困らないと思う。」でも「それだけでは、人の心は動かせない。」
そうやって僕のことを肯定しながら、最後に全否定するのは彼女の会話の癖だ。このくらいの口喧嘩、流すことは慣れている。そう思っていたのに、この日は具合が違った。僕の口が、理性とは裏腹に、つい反撃をしてしまったのだ。

「効率的なことの、どこがダメなの?」

その言葉を受け止めたときの、彼女の悲しそうな瞳は今思い出しても苦しくなる。彼女は、僕をじっと見つめた後、視線を動かして周囲を見渡すと、すらりとした指を立てて僕の後ろを指差した。

「この街みたいな感じなの。」

あなたはこの街のこと、どう思う?彼女は僕をみずにそう訊ねてきたが、僕には何を言われているのかわからなかった。

「この街も、とても効率的よ。あなたの効率と同じ感じの効率的。」

沈黙する僕に、彼女は、指している先を動かしながら言った。

「あそこで、新しいお家を見つけると、そこに置く新しい家具が欲しくなる。だからこの家電量販店に足を運ぶでしょ。途中でカメラやパソコンもあるから、新生活を思い出に残すのもいいね、何て言いながら。量販店では、素敵な家具や家電がいっぱい見つかって、さあ買おうというところで銀行にお金を下ろしに行く。あれ、でも少しお金が足りないね、という状況になっても大丈夫。ほら、あそこで借りることができるのよ。」

ね、とても効率的でしょ。そういう彼女の寂しそうな微笑みは、僕の表情の変化を捉えて「わかってくれた?」と語りかけてくるようだった。

「効率的なことは素敵なことだけれど、それが”過ぎる”と素敵じゃなくなるものなのよ。効率を追求しても、愛は手に入らないよ。」

そう言った彼女の言葉が僕に呪いのように付き纏い、それ以降、僕は、恋人と何をどうすれば良いのか、わからなくなってしまった。
僕は相変わらず、癖のように効率的な生活をしているし、それをどう捨てれば良いのかわからない。何かを僕から進めようとすると、必ず段取りが効率的になるから、途中で”このまま進めて良いのか”と不安になるのだ。
僕からは進めたくない。でも相手が進めていることに関与しようとすると、その効率的ではないやり方にイライラしてしまう。だから無関心を装っているが、そうすると”あなたは何も考えてくれない”と言われてしまう。

そうして、何かを進めることが必要になると、いつも、恋愛関係はうまくいかなくなる。マリエも、結婚の話を進めて欲しいと言われたが、あるところから不安が大きくなり、結局彼女を3年も待たせてしまった。あのLINEに言い訳はできない。
付き合うきっかけや、付き合いたての頃は、マリエがぐいぐいと押してくるタイプだったから居心地が良かった。手際も悪くないし、リズムも合う。ちょっと好みが合わないところはあったけれど、彼女となら、お互いに効率的なカップルとしてうまく行くような気もしていた。

それなのに。女性は難しいものだ。
結婚だけは、あなたに主導権を持って進めて欲しい、と言い出すからおかしくなった。そのまま進めてくれたら良いのに、肝心なところは僕に任せてくる。僕は任せられると効率的にしすぎるからダメなのに。

もしこの場所に、銀行と金貸しがなかったら、僕はどうなっていただろう。

そんなことを考えながら、結局僕はまだ、あの時の彼女の呪いに捉われているだけだということに気がついた。彼女を断ち切らないと、彼女の呪いも消えないということなのだろう。

「最低だな」

自分で自分にそう呟きながら、マリエのLINEに3日ぶりの返信を送った。

Fin.

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?