6月16日のお話
2011年6月16日、午前3時。
普段は終電で帰宅するミキが、ラストまで店にいるのは月に一度か二度のことだった。年下の女の子たちしかシフトで残れないからといって、帰宅のタクシー代をもらうことを条件に、市内に自宅のある彼女が閉店作業をやることになっていた。
市内と言っても、ここ北新地から自宅までは、高速道路に少し乗ることも含めて6,000円くらいかかる。時間にして20分ほどだが、安い距離ではない。しかし、25歳にして店の中では年長組の彼女に、断れる空気は流れていなかった。
店を出て、すっかり人通りの絶えた新地通を抜けたところでタクシーに乗り込む。この時間でも、ラジオは番組を流しているからすごい。
キタカガヤまで。
そういうとミキは深く椅子に沈み込むように体をあずけると、窓の外に視線をうつした。タクシー運転手に向けて、話しかけられたくないというポーズだ。あの街で客を拾うタクシーはその辺は心得たもので、当然のように高速道路を使うルートにハンドルを切る。そのとき、車の方向が変わり、西の空低くに、不自然に欠けている月を見つけた。お客さんを送り出すときに見かけた時は、綺麗な満月だと思ったのに。ミキの月を追う視線に気づいたのか、運転手が「はじまったみたいやね、月食」と話しかけてきた。
月食。あんな低い位置からはじまるもんなんや。
ミキは運転手の言葉には反応せず、右側の窓の外についてくる月を眺めていた。言われてみると、少しずつ、月の明かりが陰っていくように感じる。
昔、月しか夜を照らすものがない時は、もっと月食も大事だったんだろうなと考える。文学少女だったころには、月食を不吉な徴だとして恐れていた伝説や言い伝えの物語を目にした記憶もある。しかしこんな時代、こんな街中では、別に月が満ちていようが陰っていようが、きっと誰も気に留めることはない。沈みながらかけていく月を見ているうちに、ふと、ミキはあの月はかけたまま地平線に沈むのではないかと心配するようになった。
普通、月食は、皆既月食であったとしても、隠れた後に反対側から綺麗な光を取り戻す。最後はまた見事な満月に戻るから、天体ショーとしても魅力的なのだ。まるく復活した月を見ていると、陰ることがあっても、また明るさを取り戻すことが出来る、そう勇気づけられるような気がするからだ。
しかし今日の月食はどうだろう。まもなく4時、この時間で、西の空低く位置する月が、少しずつ闇にむしばまれている。地平線までの残りの距離を考えても、どうしても、満月に戻るまでの時間は、残されていないように感じた。
お客さん、もうじきキタカガヤですが。
運転手に次の指示を求められ、ミキはとっさに、行先を造船所跡地へと指定した。そこは彼女の自宅から10分ほど離れた運河に面した広大な空き地である。今日は結構飲んだし、一刻も早く帰りたいと思っていたはずなのに、ミキはどうしてもその月の顛末を見届けたいと思ってしまったのだ。
誰にも知られずに陰ったまま沈んでいく。そんな今日の月の境遇に、ミキは自分や自分の先輩ホステスの姿を重ね合わせていた。
若いころは、夜の蝶よ月下美人よともてはやされていたが、あと数年でそんな旬も終わるということを、最近では実感することが増えた。30歳を過ぎると居続けられなくなる今の店では、28歳のバースデーを祝うと、妙に引退の二文字が頭をちらつくようになる。「卒業」した先輩から客を引き継いで、自分にのめりこむようになる様を見て優越感を得ていたころもあったが、潮時が2年と少しに迫ってくると、自分も卒業したらこの客たちからあっさり忘れ去られるのだろう(そして、この客たちは平気でまた若い子に群がるのだろう)と逆の立場で考えることも多くなった。
月だけが、夜を照らすあかりだったころのように、自分も誰かの唯一の光になることが出来たら。
いよいよ半分以上が影になった月を見つめながら、ふいにそんなことを思った。月はすでに地平線(正確には大阪湾の向こう、神戸の埋め立て地の町明かりがうっすらと見える埋め立て地の地平)のすぐ上にまで差し掛かり、造船所のそばのふ頭に立つと、見上げる高さでもない。
昔の人は、陰る月を見て、どうか早くいつもの明かりを取り戻してと祈ったという。私が陰りを帯びた時、誰かがそうやって祈ってくれるだろうか。
残念ながら、ミキに思い当たる相手はいなかった。夜の蝶としてひらひら飛んでいる間は、蜜から蜜へと移り行く代償に、一つのところにとどまる幸せとは対極にいるのだから仕方がない。
もはや肉眼では見えなくなってしまった月が、おそらく神戸の街の向こうに沈んでしまった頃、背後にある東の空が白みはじめてきた。夜の支配が終わり、太陽が統べる昼がやってくる。今から12時間くらいは、月明かりがあったことすら、みんなから忘れ去られてしまう時間がはじまるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?