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11月29日のお話

「それはさあ、お前、やめといた方がいいぜ。その女はさ。」

港町のくたびれた居酒屋で、机に置かれた一枚の葉書を、男が二人が覗き込んでいました。

一人は郵便局員の中村、そして「やめとけ」と発言したのは高校からの同級生、玉置です。

葉書は中村宛のもので、東京に住むミキという女性からのものでした。先日、中村が出した葉書の返事が届いたのです。可愛らしい猫の写真の絵葉書に、一言、こう書いてありました。

私のお店の名前は「81lounge」
お越しいただいたら一杯ご馳走させてくださいね。来れる日が決まったら携帯に電話してください。
090-XXXX-XXXX  苅野美樹

中村が、東京に行こうかと思う、と出した葉書への返信でした。

81loungeという店を検索すると、東京の郊外の、女の子のいる夜のお店のようなページが出てきました。住所はミキの自宅と同じ市内、間違いはなさそうでした。夏にこの町を訪ねてきた彼女をみて、派手目な服装をしていると思いましたが、まさか夜のお店に勤めているとは想像もしていなかった中村は、この事態を一人で抱えきれずに玉置を呼び出したのです。

ううむ。と事情を聞いた玉置は険しい顔で腕組みをし、先ほどの言葉を発します。

「この子、キャバ嬢ちゃんとかなんだろ、この感じだと。」

「うん、多分。あ、ご馳走するって書いてあるから、ママとかかもしれない。」

「いや、そっち方向の推理はいらん。中村、お前、その子の仕事とか何も知らんと会いに行こうとか考えたんか。」

話を聞けば聞くほど、玉置は中村がなぜそのミキという女性に惹かれた設定になっているのか分からず頭を抱えました。中村の説明では、亡き兄に代わり彼女の父親の代わりに毎年葉書を出すうちに、いつしか他人のように感じられなくなったというのです。どんな子なんだろうと、夢想していたところに、突然その本人が現れた。そして。

「その子が、思ったより美しい人だったって?」

おどおどしながら肯く中村に、玉置は「うおあー。なんだそれ。」と叫びながら手元のビールを一気飲みしました。

「高校生かよ!」

そう吐き捨てて、玉置は、そういえば、と思い出しました。中村は、高校生の時も入学早々、道を親切に教えてくれた3年の先輩に惚れて、恋を拗らせていたような男子でした。

「いや、お前、変わんねえのな。」

「そんなこと。…最近まで、付き合ってた子もいるし。」

「そうだっけ?」

「別れたけど。」

「なんで。どんな子だったんだよ。」

「ネットゲームで知り合った、白浜の子。東京から移住してきた子で、ITベンチャーに勤めてる。」

以前聞いた別の彼女との出会いも、ネットゲームだったような…と玉置は思いましたが、そこは深く追求しませんでした。

「なんで別れたんだよ。」

その質問の方が優先だと思ったからです。二度目のその問いに、中村はううーんと肩をすくめながら、渋々、白状しました。

「いや、好きかどうか、分からなくなっちゃって。」

「は?…あ、すんません、ナマ中、おかわり!」

飲まずには聞いていられないといわんばかりに、勢いよく注文をして、玉置は中村を睨み付けました。相手から告白され、そのときに彼女もいなかったから付き合ったけれど、好きじゃなかったかもしれないと気づいた、と説明する中村に、じゃあお前の好きってなんだよ。と玉置は畳みかけます。すると彼は「凛とした佇まいというか、強くあろうとする姿と、実は悲しみを抱えているという感じ。」というのです。

「それが、ミキちゃんだったって?」

うん、と頷く中村に、玉置は言葉を失いました。もう一度、机の上に置かれた葉書に視線を落とし、中村と見比べて、大きなため息をつきました。

「まあ、中村の好みはわかったよ。でもさ、この女は、お前のこと、多分なんとも思ってないぜ。はっきりいうけどさ。」

意識する異性だったら、店勤務のこと伏せるとか、せめて別の場所でお茶しようとか食事しようとかそういう返事になるはずです。店に誘われるのは、客どう考えても見込みはありません。中村も、それは理解しているようで、落ち込んだ様子で烏龍茶に口をつけています。

「そうなんだよね。わかってる。」

つまみのどて煮が運ばれてきて、二人の会話はそこで一度途切れます。しょんぼりとした様子でそれをつつく中村に、玉置は「お前さ」と少し改まった様子で切り出しました。

中村は奥手でオタクっぽい性格ですが、見た目は決して悪くありません。郵便局に就職した時も、確か局の先輩女性から妙に可愛がられたり、大学で少し垢抜けたこともあるのでしょう。地元に戻ってきたばかりの頃は、ちょっといい若いのが戻ってきたと女子たちが囁いていたのを玉置は知っています。しかし、だからこそ、中村には育まれなかった能力があると彼は思っていました。

「お前、誰かに好かれる努力、したことあるか?」

そう言われて中村は、一体何を言われているか分からないというような様子で玉置を見返しました。

「どういうこと?」

「そのままの意味。あの人が好きだ、と思ったら、その人に好かれるために、その人の理想の男性像を探ったり、その人の喜ぶことをしたり、気を引くために自分のファッションを変えたり。そういうのだよ。」

玉置からみて、中村はいつも”中村”でした。マイペースに自分の世界を持っていて、優しい性格なので人と衝突したりはしませんが、自分を相手に合わせることはせず、合わない相手とは自然と距離を取るような男だったのです。

欲しいものが手に入らなくても、目の前の中村がそうであるように”悲しそうに落ち込み”ますが、次々と近づいてくる手ごろな女性がいるから、紛らわせてしまう。だから、欲しいものを手に入れるまで努力する、という経験をしてこなかった。

「お前さ、どっかでちゃんと自分で頑張って相手を振り向かせるってことしないと、いつまでも”あの時ダメだった恋”を克服しないままになんじゃねぇの?」

目の前で悲しそうな顔をしている友人の”悲しみ”が、恋に敗れた悲しみだけではない気がして、玉置は男のお節介を焼きたくなりました。

「ミキって子に振り向いてもらうために、中村は、自分を変える覚悟、できるのか?」

その問いに、中村は押し黙ると、机に置いてあった葉書を手に取り、彼女の筆跡を確認するように、文字をじっと見つめています。

玉置は葉書を見つめたまま動かない友人から視線を外し、再びビールを飲み干しました。次は軽く手をあげて店の人を呼び、グラスをふることで「おかわり」と注文します。中村の思考を邪魔しないようにと、友人としての配慮です。

「玉置、僕、帰るわ。」

しばらくして、そう言って席を立つ中村の背中に、玉置は「どうすんだよ、結局。」と答えを促しました。

「うん、僕は、無理だと思う。ミキちゃんのために変わると誓えるほど僕は彼女のことを知らない。」

「そうか。」

背中で玉置と会話をしながら、自分の分だけ会計を済ませると、中村は居酒屋をノロノロと出て行きました。

居酒屋から中村の自宅までは、歩いて20分ほどです。師走間近の冷たい夜風が、中村の思考を妙にクリアに刺激します。

玉置が茶化した高校の時の初恋は、努力をしようとした時はもう遅かった。他人の妻になってしまった人に努力を向けても相手に迷惑なだけだろう。そう思ったから、忘れようとして、忘れていた。しかし人の噂は残酷なものです。そうして気持ちを整理した中村に、その彼女が夫とうまくいっていないこと、別の男性に幸せを求めているらしいことを知らせます。

自分はどうすれば良かったのか、ゲームオーバーだと思ったゲームが実は続いていて、その間も自分が負け続けていたのだと知った時、それは暑い夏の日でしたが、中村は周囲の騒音がまるで津波のように自分の心を遠い海へさらって行ったような気がしたのです。

それから少しの時が流れて、半年前。この町に自分を訪ねてミキが現れた時。そんな自分の心を、海の底から海底ポストの葉書のように拾い上げてくれた、中村はあの時、そんな気がして彼女に恋をしました。

しかし、恋に落ちれど、恋を育はしなかった。中村はこの半年間を振り返り、そう思いました。育もうとしたのは白浜の子との恋だったのかもしれません。優柔不断な自分が手放したものです。

自分は決して器用な方ではない、それは中村自身気づいています。だから一つずつちゃんとしていかなければ行けなかったのです。恋も。そうでない想いも。

海底ポストが見える海沿いの道に差し掛かった時、中村はスマホを取り出して葉書に書かれていた番号に電話をかけました。何度かのコール音の後、彼女の声が聞こえます。名乗ると、「早速ね、ありがとう。いつこっちに?」と以前よりもフランクな声で喋りかけられます。彼女のこういう一面すら、知らなかったのだと思い、中村は自分の盲目さに思わず苦笑いを浮かべました。

「来週の週末に大学の頃の友人を訪ねて、都内に数日滞在します。お店は、何時からですか。」

一つずつ、終わらせて行こう。もう二度と、大事なものを無くさないために。

FIN.



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