7月19日のお話
2019年7月19日
なかなか明けない梅雨の雨の中、ミキは南紀白浜空港からJRにのり、ひとり紀伊半島の南端の街に降り立ちました。駅の前はすぐ海水浴場という立地ですが、さすがにこの雨の中では人もまばらです。
ミキは駅前で暇そうにしているタクシーを無視して通り過ぎると、海とは逆方向に歩きだしました。目的地は郵便局です。
ここ、周参見駅のある和歌山県西牟婁郡すさみ町には、CMなどでも有名な海中ポストのある街です。ミキが調べたところによると、岸から100メートル、深さ10メートルの海底にポストがあり、ダイビング観光客などがわざわざ海に潜って葉書を投函することが「売り」の観光スポットでした。ミキはダイビングなどに興味はありませんが、このポストに投函された暑中見舞いを、毎年受け取っていました。父が亡くなった年から、10年間です。
ミキの鞄の中には、暑中見舞いとだけ書かれた、海の写真が載っている葉書が10枚、束ねられて入っています。
その暑中見舞いの差出人欄には、父親の名前が書いてあります。亡くなったあとから届く父の暑中見舞い。初めて受け取った23歳の時は、実家に届いたその葉書を、母が見て号泣したのを横でなだめながら、海が好きで、マリンスポーツをやりに大阪から和歌山に通っていた父らしいサプライズだなと思っていました。海が好きでロマンを愛する父親だったので、これまでも、誕生日やクリスマスやらは大騒ぎ。母は「若い頃、お父さんのそういうロマンチックなところに騙されたんだわ」とことあるごとに言っていましたが、様々な贈り物で自分や娘を驚かす彼のことを、心から愛していたに違いありません。
四十九日が終わる頃には、「あの人のことだから、きっと、10年分くらい書き溜めて、誰かに預けていたりするんだわ。」などと予見し、実際に翌年もその翌年も暑中見舞いが届くのを受け取り、その都度、涙を流していたくらいです。
ミキはというと、父親の葬儀の後しばらくして実家を出たため、実家宛に届く葉書を受け取るのはもっぱら母親の役割になっていました。そして、それを母親がミキに転送します。そうやって、母と娘のやりとりも、毎年夏に繰り返されて、2018年の昨年、いよいよ10通目の暑中見舞いがミキの元に届いたのです。
郵便局は、駅から200メートルほどの距離のところにありました。道中、4階建以上の建物は見当たらず、駅を数メートル離れると、古い民家ばかりの通りが続きます。そんな街の郵便局です。きっと小さな派出所のような建物だろう、と思っていたのですが、ミキの目の前に現れた郵便局は意外に大きく立派なコンクリート造りの建物でした。
ミキは郵便局の軒下で傘を畳むと、鞄の中から持ってきた葉書を取り出すと、ぎゅっと両手で持って局内へ入っていきました。
「あの、すみません。この消印は、ここの郵便局で押されているものですよね。」
一番入り口の近くにいたカウンターの女性に、葉書を差し出しながらミキが尋ねます。窓口のふだには「郵便・小包」と書いてあるので、問い合わせ先としても間違いではなさそうです。
若い女性局員が応対し、葉書の消印を確認すると「えぇ、そうです。」と短く答えました。ミキはその局員にお礼をいうと、教えて欲しいことがあるんやけど…と彼女に顔を近づけました。
「この葉書、集荷しているんはダイバーさんらしいですが、その人に会うには、どうしたらいいですか?」
え?と顔をあげて、女性局員は戸惑ったように眉をしかめると、後ろに控えていた先輩局員、中年の女性へアイコンタクトで助けを呼びました。最初からやりとりを聞いていたのでしょう。中年局員は、状況を再確認することもせず、カウンターまで出てくると「どういうご用件で、ダイバーさんをお探しですか?」と丁寧にきいてきました。
「あ、えぇ。このとおり、その方が10年間、ここの差出人にある名前、私の父に代わって、暑中見舞いを送ってくださっているんやと思うんですが。」
そう説明をしながら、他に客のいない郵便局のカウンターの向こうの視線が、一気に自分に注がれているのをミキは感じていました。ファッションから、この街の住民でないことは一目瞭然です。都会から、軽装で、ひとりでこの街にやってくるなんてきっと珍しいのでしょう。彼女の格好は海水浴に来たとは思えず、白い肌は海と無縁の生活を送っていることを高らかに宣言しているようなものなので仕方ありません。
そんなに注目せんでも、とうんざりしながら、ミキは言葉を続けました。
「実はこの夏、この宛先の住所に一人で住んでいた母が他界しまして。家を処分しましたので、その、住所が変わることを伝えないとと思いまして。」
最初はけげんそうにミキをみていた中年女性の顔色が、みるみる優しい、哀れみの眼差しとでもいうような様子に変わっていきます。となりで様子をうかがっていた若い局員ちゃんも、はっと口に手を当てています。
連絡をしようにも、差出人住所は空欄で、名前は自分の父親だが、10年前に既に他界している。おそらく父親が、誰かに預けて毎年投函してくれたものだと感謝しているが、それが誰なのか、連絡先は愚か名前すら知らない。だからこの街に来て、住所が変わることをどうにか伝えられないかと思った。そういう内容を、ミキはカウンター越しに局員全員に聞こえる声で話ました。
「あ、申し遅れました。私、苅野ミキと申します。この葉書の宛名にあるものです。」
そう言った時、局員の一人の男性が、あっと声をあげて立ち上がりました。年齢はミキより少し上、40代半ばというところの、丸メガネがすこしやぼったく見える痩せ型の男性でした。
「中村さん?心当たりあるの?」
ミキの目の前にいる中年女性の局員が、声をあげた男性局員に確認します。
「あ、いや、その。」
中村さんと呼ばれたその男性は、ミキと目が合うと急にしどろもどろになりました。ミキにとってはもちろん知らない顔です。でも明らかに何か知っている様子の男性を見て「あの、少しでも何かご存知でしたら、教えてください。」と目をうるませて訴えました。
彼女は長年の水商売の経験から、こういうときの身のこなしは心得ています。藁をもすがる、という様子をみせることが、こういう場合は非常に効果的なのです。
「…わかりました。あの、では、案内します。」
案の定、というか狙い通りというか。中村さんはそういうと、周囲の人に、ちょっと昼休憩前倒しで、とぼそぼそと告げながらカバンを抱えて言いました。
「ミキさん、表に出て、軒下でお待ちください。車を回してきますんで。」
ミキは郵便局員の中村さんの運転する車に乗り込むと、助手席で、シートベルトを閉めながら言いました。
「中村さんが、だしてくれていたんですか。父の葉書。」
まさにアクセルを踏もうとしていた彼は、ミキの唐突な切り出しに、再びしどろもどろなりながら、よろよろと車を前に進めました。ミキは先ほどのやり取りの中で、どうも、この人は私の持っている葉書を知っている、と直感的に感じていました。決定打だったのは、ミキのことを名前で呼んだときでした。
「私、たしかに名乗りましたが、普通やったら、名前ではなく苗字で呼びますよね。初対面やと。」
私のこと、宛名の葉書で、前から見て知ってはったんじゃないですか。と、ミキは中村さんに聞きました。彼女の口調が、妙に責め立てるような色を帯びているのには理由があります。そして、中村さんが妙に罰が悪そうにしている理由にも、ミキは思い当たる節がありました。
「今年の葉書は、ギリギリ、実家に届いていましたよ。」
カマをかける意味も込めて、ミキは11通目の今年の葉書までは、実家があったこと。実家の最後の整理に行った時に、ポストの中にその葉書が入っているのを見つけたことを、説明しました。
その情報に、あきらかに安堵した様子の中村さんは、確実にクロです。この人は、どこまで知っているのか。とミキは運転を続ける中村さんの横顔を見ながら、内心で思います。
「お母さまのことは、知りませんでした。すみません。あの。今日はこのような天候なので、海中ポストへの集荷もできません。ダイバーもいないと思いますが、ポストのある海岸まで、とりあえず、移動しますね。」
ちゃんと、説明します。と言いおいて、黙ったまま、車だと数分の道のりを運転していました。
和歌山の南端で見る太平洋は、ミキが見慣れた瀬戸内海や東京湾と比べ、青く波が高く飲み込まれそうな深みを帯びています。雨で少し濁っているといっても、海は青いのだということを実感させてくれる、そんな表情の海岸でした。
あのあたりの、海底に、ポストがあります。車を路肩にとめて、ちょうど目の前にあたる海を指差しながら、中村さんはそう言いました。
中村さんの話によると、ミキの父親から葉書をあずかったのは、中村さんのお兄さんだったそうです。ダイビングの先生をやっていたときに、ミキの父親と知り合い可愛がってもらっていたということでした。
「消印を押すのは、郵便局にいた僕の仕事で。兄が、この葉書は特別だから、と毎年持ってきていました。」
しかし、中村さんのお兄さんも既にこの世にはいません。8年目くらいの葉書をだしたのを最後に、その年に水難事故で他界してしまったといいます。
「それで、9年目と10年目は、僕の仕事になりました。あ、僕は海中ポストまで潜れませんから、それは、兄の同僚たちに任せましたが…。」
郵便料金が変われば、あずかった葉書に不足分の切手を貼り、今年もどうか宛先不明で戻ってきませんように、と兄弟で祈りながら送り出していた。それが、ミキあての葉書だったと言います。
「そうですか。長い間、ありがとうございました。」
少しだけ言葉を和らげ、まずは本当に長い間、父とのyか右側を守ってくれたことに対して、ミキは心から感謝を伝えました。しかし。
「では、聞いて良いですか。11年目は、なぜ、送ってこられたのですか。」
ミキは中村さんを睨むように見て、そう問いました。
ミキがこの街までこようと思ったのは、単に「住所変更の連絡」という同期ではありませんでした。母の遺品整理をしていた先週のこと。もう10年で流石に終わりだと思っていた海中ポスト消印の暑中見舞いが、11年目の今年も届いていることに気がついたからです。
11通目の葉書は、明らかに、これまでのものとは違いました。海の写真という共通点はありつつも、似ているが少し几帳面な印象の字面、何より今の切手の金額が印刷された宛名面。10年前の父親が、書き溜めておけるはずのない、葉書が父の名前で、届いていたのです。
ミキのその追求に、中村さんは項垂れるようにハンドルに頭をあずけ、消えそうな声で、申し訳ありませんと呟きました。
「今年は、もう葉書を送らないんだと理解はしていましたが…。どうも、兄の三回忌を終えたときに、妙に寂しくなってしまいまして。」
いけないことだとわかりつつも、お父様のお名前を借りて、書いてしまいました。中村さんはミキの方に向き直ると、再び、ぎゅっと目を閉じて頭をさげました。申し訳ありません。
「…」
ミキは、いたずらでこういうことをするような人だったら、その場で顔をはたき倒してしまおうとすら思っていました。しかし、中村さんの人の良さそうな雰囲気と、お兄さんのエピソードを聞いた中で、そこまで、怒りをぶつけることはできそうにありません。
拳をかざすために、東京からはるばる紀伊半島の端までやってきたのに、気持ちの吐口が消滅してしまったのです。ミキは何を言えば良いのかもわからず、大きなため息をつくことしかできませんでした。
「…でも、もう、来年はおそらく、届きませんから。」
「…はい。そう、ですね。」
送ります、という申し出に、ミキは「もう今日は帰る飛行機がないから」と、そこから徒歩で迎える民宿に泊まる旨を伝え、その場で車をおろしてもらいました。
雨はあがり、雲の切れ間から太陽の光が海に降り注いでします。ミキは車を見送った後、海岸線をあるきながら、海中ポストに迎えるダイビングスポットまで歩くと、そこで売られていた海中ポスト用の葉書を手にとりました。
なるほど、自分がもっている10枚の葉書と同じ写真のものもいくつかあります。自分がもっていない写真の葉書を選んだのは、なんとなく、というくらいの気持ちでした。
雨が上がったから今開けました、というような海の家を覗き、冷たいビールを頼むと、このまま夕暮れまでここでボーッと過ごそうか。などということを考えながら、久しぶりに、父親のこと、今月他界した母親のことをゆっくりと思い出す時間を過ごしていました。
それから二日後。
周参見郵便局に、「局留め」という住所で中村さん宛に葉書が届きました。それは、海中ポストからダイバーが持ってきたもので、まだ少ししっとりと濡れています。
差出人欄には、東京の住所と「苅野美樹」という名前が書かれています。そして葉書には「暑中見舞い」と女性らしい文字でかかれており、端の方に小さく、こう書いてありました。
「今後は、中村さんのお名前で、暑中見舞いをいただけますか。 美樹」
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