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11月24日のお話

味噌。

まさか、真木との関係が「味噌」で深まることになるとは、刈野は全く予想していませんでした。彼のことを異性として刈野が意識し始めたのはほんの2週間前のことです。その時は、ちょっと良いかな、程度の感触しかなかったのですが、翌週に何人かと一緒に昼食を食べに行った小料理屋で小鉢に「ぬた」が出たことで急に距離が近くなったのです。

ぬた、つまり酢と味噌の合わせ調味料で和えた料理です。日替わり定食の小鉢に登場した「マグロとわかめのぬた」が、二人に共通の話題をもたらしたのです。

その日、注文した日替わり定食が出てきた時、小鉢に盛り付けられている料理を見て、刈野は「ん?」と首を傾げました。定食のお品書きには小鉢は「ぬた」と書いてありました。しかし、目の前に出された小鉢には、彼女が想定していた「ぬた」とは少し見た目の違う「ぬた」が出てきていたのです。

不思議そうにしている刈野に真木が気付き、「どうしました?」と尋ねました。すると刈野は、小鉢を箸でつつきながら「いえ、あれ?」といいながらそれを口に運びます。そして、一口食べたところで「あれ?」と再び声を上げました。

「刈野先輩?どうしたんですか?」と、一緒に来ていた若手の後輩も、刈野の挙動を訝しんでいます。「その小鉢、どうかしましたか?」

「ん、いや。これ、”ぬた”?…なんだか、思っていた”ぬた”と違って。」

刈野はそういいながら、スマホを取り出し、ぬた、と入力すると画像検索をして後輩に見せました。「私が想像していた”ぬた”は、こういう、黄色い酢味噌のやつなのよ。」しかし、今目の前にある”ぬた”は、薄茶色です。味は酢味噌なのですが、味噌が違うぶん、味ももちろん違います。

おかしいでしょ?と同意を求める刈野に、次は後輩が首を傾げながら答えました。

「うーん、確かに、そういう”ぬた”も、居酒屋とかで見たことありますね。でも、うちで母が作る”ぬた”は、こういう感じでしたよ。」

「え?加藤さんって、東京出身だよね。」

後輩、加藤に向かって刈野はそう確認します。

「そうですけど。葛飾区の方です。」

葛飾区、という地名を聞いて、彼女は「なるほどー」と唸りました。「江戸は茶色いのかな?黄色い酢味噌は確かに京都の白味噌だし、関西なのかな。いや、でも普通は黄色い酢味噌のような・・・」

ぶつぶつと刈野が独り言をいっていると、真木が妙に面白そうに首を突っ込んで来ました。

「刈野さん、こういう”ぬた”は初めてですか?」

「はい。」

「これは多分、江戸味噌のぬたです。江戸甘味噌かもしれませんが、ちょっと僕はそこまでは見分けられないので。」と、そこまで前置きをすると、聞いてみましょう、と真木は立ち上がり、年配の給仕の女性を捕まえて「このお味噌はなんですか?」と尋ねました。

その行動に、後輩の加藤が刈野に「すごい行動力ですね、真木さん」と耳打ちします。「仕事ができる人って感じ。」

そんな加藤の感想に「はぁ」と、刈野は生返事をします。刈野にとっては、真木の行動よりも、味噌の種類の返答の方が気になったのです。

「ああ、それは江戸甘味噌ですよ。この辺りの昔からの。」

そう答えが返ってくると、加藤と刈野は「すごい。」と声を揃えました。

「え、加藤さん、あなたこういう”ぬた”、おうちで食べてたんでしょ?」

リアクションが揃ったことに、思わず刈野が突っ込むと、案の定「あ、私、料理とか苦手なので。食べることしか。」と加藤が舌を出しました。

「僕も食べる専門ですよ。たまたま、昔、東京に引っ越してきたばかりの頃、母が刈野さんと同じリアクションをしていたので。思い出してしまって。」

真木はそういうと、再び面白そうに笑いを浮かべています。

「僕はそれがアメリカから帰国したタイミングだったので、”味噌”という調味料自体、珍しいと思っていたのですが。母が本当にその時に大騒ぎしていたので、それから、味噌には種類と地域性が多様にあるということが妙に印象に残ったんです。」

そんな風に説明をしながら、真木は何度も「いや、本当に同じリアクションだったので」と思い出し笑いをしては、刈野に「もう、やめてください。」と窘められる、そんな雰囲気でその日のランチは終わりました。


ランチが終わった後、真木は刈野にこんなメッセージを送りました。

「先ほどは笑ってしまって申し訳ありませんでした。お詫びに、その、母が同じリアクションをした問題の”ぬた”が食べられるお店にお連れしたいと思いますが、週末のご予定はいかがですか?」

刈野が、どう返事をしたものかと悩んでいると、「そこは、実は八丁味噌”ぬた”なんです。」と続きます。

八丁味噌のぬた…?それはちょっと興味深い、と心が惹かれた刈野は、そんな真木からのメッセージを眺めながら、急におかしくなって思わず笑ってしまいました。周囲に、誰もいなかったのが救いです。週末の食事、つまりデートのような誘いではあるのですが、その口実が味噌で、ぬたというのが渋すぎます。普通であれば、「美味しいスイーツが食べられるお店にお連れしたい」などから始まり、「そこのケーキは実はフランスの…」などとたたみ掛けられる流れのはずです。

それが、味噌で。

そう思うと妙におかしくて、断るのも忍びないような気がしてくるので不思議です。色気がなさすぎて、好奇心が優ってしまったのかもしれません。

そんな具合で、迎えた週末。刈野は確かに八丁味噌で作られた”ぬた”を確認しました。黒い色のぬたに、見た目は驚きましたが、味は確かです。ぬたの多様性を感じ、これが伝統的な店として存在し続ける東京という街の懐の深さに思いをはせるほどです。

真木は、帰国してから父親の転勤で引越しを繰り返す間、行く先々で、母親が地元の味噌に興味を抱いていたというエピソードを教えてくれました。いくつか例にあげる味噌の中には、刈野にも馴染みのある、九州の麦味噌、京都の白味噌の話も出てきて、お互いの出生や両親のルーツなどで盛り上がりました。

「本当に面白いですね、真木さんは。」

帰り際、しみじみとそういう刈野に、真木はにっこりと微笑みながら、「それをいうなら刈野さんも。ぬた一つにあんなに首を傾げて、面白かったですよ。」と言い返します。

「いや、だって、お味噌の味って、家柄が出るというか、家庭の味というか、その人の生い立ちやこだわりが見えるじゃないですか。味の好み的にも。」

刈野がそう反論をすると、真木はうんうんとうなづき、不意に真顔になって彼女に向き合いました。

刈野は、あれ?何か私、変なことを言った?とキョトンとしています。

「刈野さん、今度、刈野さんの作るお味噌汁を飲んでみたい、な、と…。思ってしまいました。」

真木がそう言った後、二人の間には少しだけ沈黙が流れ、刈野はまるで時間が止まったかのように固まっています。

「あ、すみません。ちょっと、飛ばしすぎましたか?」

あまりに沈黙が長いため、真木は前言撤回を覚悟してそう切り出しました。

すると、息を吹き返した刈野が、しどろもどろ、という様子でこう答えます。

「いえ、あ、はい。そうですね。はい。良いですけど、ちょっと、飛ばし過ぎというか。私の方が飛ばしてしまったというか。」

「え?あの、”はい”はどこにかかるのですか?」

混乱する刈野の言葉を、真木が丁寧に紐解いた結果、彼女の言い分はこういうことでした。

手作りの味噌汁を振舞うことは構わない。
家に来るという関係になることは肯定。
しかし、味噌汁を飲みたいという表現は、自分にとってはさらに先の意味を持つ表現でもあるため、一瞬、そこまで考えてしまい、思考停止をしてしまうほど驚いた。

「すみません。うちの、父が、母に、プロポーズした時のセリフが”毎日、僕に味噌汁を作ってください。”だったんです…。」

刈野が顔を真っ赤にしながらそう白状すると、真木も、つられて顔を赤らめながら、それはそれは、確かに、と頷きました。


そんな週末がすぎ、今週末、28日がその約束の日です。

刈野は近所のスーパーに足を運びながら、味噌汁に合わせたおかずを何にしようかと考えながらすでに小一時間を過ごしています。

料理は慣れているとはいえ、異性を自宅に招き、料理を振舞う最初の日に出すメニューは頭を悩ませます。相手の好みも手探りですし、何より自分自身が緊張しているのは想像にたやすい状況です。そんな中、いつものパフォーマンスが保証できるのか、失敗しないメニューは一体何か。

味噌は、刈野家の普段のものを使うとして…。

買い物かごが、まだまだ空のままという現状を目の当たりにし、刈野は自分の女子力のなさに絶望しつつありました。恋愛を疎かにしていたから、こういう時、色気のある発想ができません。

味噌。

まあ、そもそも始まりも色気のあるものではなかった真木との関係ではあるので、それも致し方ないと思いながら、刈野は"まだしばらくは、スーパーから出られそうにない"と覚悟を決め、もう一度、野菜売り場から歩き直そうと、踵を返しました。

FIN.




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