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11月9日のお話

「歩くの、早いねぇ」

イルミネーションが点灯し始めた11月の表参道。冬景色の到来に、歩調を緩めて立ち止まりながら往来する人々を縫うように歩いていた刈野は、そう言われてハッと立ち止まりました。一緒に歩いていたはずの男性は、いつの間にか少し後ろから小走りでついてきていたようです。

「すみません、つい。」

彼女が頭を下げたのは、連携先の大学のビジネスパートナーである真木という男性でした。懇親会ということで、と二人の食事に誘われて、駅から店まで歩いていたところだったのです。二人で、という誘いに、まんざらでもない感情を抱いた刈野にとってこのシチュエーションは不本意です。出だしから失敗してしまった、そんな気持ちに襲われました。

彼女は37年も女をやってきているので、こういう時、キラキラ揺らめく樹々のイルミネーションを眺めながらゆっくりと並んで歩くのが正解だ、ということくらい理解しています。そう、周囲のカップルたちのように。しかし、ついいつもの癖でヒールを慣らしながら早歩きになってしまい、いつの間にか、相手が隣にいないことも気づかず歩いていたという顛末です。またやってしまった、そう思いながらも、ついこういう言葉が口をついてしまう。

「人は必ずしも、自己一致しているとは限らない生き物だから。」

「へぇ、面白いね。」

「あっ!いえ。すみません。」そう謝りながら「え、面白い?」と刈野は真木の顔を見上げながらキョトンとしました。これまでそんなリアクションを受けたことはありません。仕事で一緒のときも、変わっているなと思ってはいましたが…。

「刈野さん、表参道はよく来るの?」

馴れ馴れしい喋り方は、帰国子女だからだと思っていたが、そうではないのかもしれない。遊び人?学者らしくない微笑みに警戒をしながら、刈野は視線をそらして「えぇ、この辺りは、好きで。」と答えました。

「慣れているみたいだったから。この街が。」

あなたの方も、女性との食事にずいぶん慣れているようだけど。という気持ちを押し込めて、刈野は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。いけない。自分が自爆したからって、ここで自暴自棄になってしまっては大人気ない。

「美容室とか、カフェとか、一人で落ち着く場所が多くて。こういうデートとか、イルミネーションとか、そういうのとは縁がないんですけど。」

なんとか、何気ない風を装って会話を繋げる。少し言い訳がましくなってしまったかもしれない。それでも、ニッコリと微笑んでくれた真木の態度に、刈野は少し安心して再び店への道を並んで歩き始めました。

「刈野さん、謝らなくて良いよ。そんなに。」

「え?」

歩調を合わせて歩いていると、真木は突然そんなことを切り出しました。仕事ではそんなことないのに、プライベートだと、すぐに謝る。続いた言葉でそう指摘されて、刈野はハッとしました。確かに。仕事中はどちらかというともう少し堂々としています。もちろん謝るべきところは謝りますが、無闇に謝ったりはしません。

「それは…。」

それは、仕事に対しては自信があるし、自信を持っていないとプロジェクトの進行役は務まらないから。そう言いかけて、刈野は口をつぐみました。じゃあプライベートは自信がないのか?と、核心を突かれそうで怯んでしまったのです。

「自分に、私生活の面では、自信がないんだと思います。プライベートの自分は、ダメダメで。」

こういう時は、先回りする。これも37年の年季が生み出した自分を傷つけない護身術です。いや、こういう小手先ばかりで誤魔化しているから、自信を持てない人間になってしまったのかもしれません。

「刈野さんが、この表参道によく来ているなら、たまに、ゆっくりと丁寧に歩いてみるといいよ。」

「え?どういうことですか?」

「ゆっくり、ゆっくり、丁寧に色々なものを見ながら、自分の好きだと思う街を歩く。」

これは、故郷の作り方なんだ。と、真木は真面目な顔をして教えてくれました。そうしているうちに、予約していた店に到着し、二人の会話はお酒を飲みながら、さらに進みました。

真木の話は珍しいものでした。彼の家族は転勤族で、幼い頃から転校を繰り返していた彼は、どの街にも故郷を見出せず、根無草のような、寂しい気持ちを抱えることが多かったと言います。多感な中学生になった頃などは、自分に友人ができにくいのは、自分が帰る場所、自分の原点となった場所、故郷を持たないからだと決めつけ、親にずいぶん反発していたそうです。しかしそんな彼にも、転機が訪れました。

高校生の時、ある人から「故郷はあるものじゃない、見つけるものだ」と教えられたのです。その見つけ方が、いつも過ごしている街や、いつも歩いている道を、たまに、ゆっくり、ゆっくり、丁寧に自分の足で歩くこと、でした。そうすると、普段、気に留めていなかった様々なことが見えてきます。そしてそれは新しい発見となり、自分で見つけた発見が増えると、そこはその人にとって気持ちの良い場所(発見の瞬間は、脳に気持ちの良い物質が出るそうです)となり、情報量が増えると親近感が湧き、自分の居場所だと思えるようになるというのです。

「不思議。でも、説得力がある説ですね。」

刈野がそういうと、真木は「え?」と少し驚いたように言いました。「もしかして、信じてないの?」

「いえ、そういうわけでは…。」

そういう刈野は、なんだか可笑しい気持ちになって、思わず吹き出すように笑ってしまいました。

「真木さんって、変ですね。」

「それをいうなら、刈野さんだって。」

少しだけ酔っぱらった二人は、お互いに顔を見合わせてクスクスと笑い転げます。刈野にとっては、みょうにリラックスできる、不思議な時間になりました。

お店のラストオーダーも終わり、そろそろお開きにという時間になりました。テラスの向こうに見える表参道の街は、すっかり暗くなっています。夜、閉まるのが早いのが表参道という街です。飲食店も22時には閉店し、あれほどあふれていた人の波も、ぱったりと消えるのがこの街の面白いところです。

楽しかったからか、時間があっという間だったと感じた刈野は、店を出た時に、不意にもう少しだけ、この人と一緒にいたい、そんなことを思いました。そして思ったが早いか、口が滑るように「あの、もう少し。歩きませんか。」と真木を誘っていたのです。

「いいね。」

真木の肯定に、心がじわりと温かくなるのを感じながら、刈野は駅とは反対の、キャットストリートの方に歩き出しました。今度は、ゆっくり、ゆっくりと、丁寧に、です。

「ここ、夜は人が全くいなくなるんです。今もそう。ほら。昼間はあんなに若者が集まるのに。」

二人の前には、若者が集う道の夜の姿が横たわっていました。店は全て閉まり、該当の明かりだけが道を照らし、足音以外聞こえない静かな道です。

「ゆっくり歩くのに、付き合っていただけますか。」

刈野が少し戯けていうと、「早速取り入れるのは優秀なビジネスマンだ。」と真木もさらに茶化してきました。

そして、楽しそうに歩く刈野に向かって、そして自分に言い聞かすように、真木はこうも言いました。

「故郷が見つかると、自分や他者を強く信じる力と、自分と他者とに対して素直になれる力とが、そこで回復するんだよ。」

FIN.



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