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ついに投資について考える(1)

「投資」とは、引退後の最低限の生活や医療などへの備えを除く「潤い」部分を増やすために、リスクを取ってさらに潤いを増やそうとすることだと説明してきました

「潤い」部分だからこそリスクを取ってもよいのです。そして、リスクを取ってその報酬を得るということは、賭け事などとは違い、経済の中で人々が努力して働いてくれる成果を分配してもらおうとすることだと説明しました。

いまお金が手元にないがアイデアや事業でお金を増やせる人に、将来お金を使う予定だけど今は自分でそれを増やすアイデアや事業を持っていない人が投資をするのです。これは経済社会を動かす大事な血流に参加することでもあります。とはいえ、とりあえず、社会的意義まで考えることもないでしょう。かのアダム・スミスも倫理などがちゃんと機能している社会では「見えざる神の手」がうまく働くと期待していますし。

備えとして貯蓄が必要なのは当然ですが、「最低限の文化的生活」を金銭面から考えれば、年金などでかなりカバーできることが分かってきたと思います。ここが理解できると、結果として、「貯めすぎ」ないようになるはずです。このような計算を怠り、むやみに貯めすぎて、そのせいで引退後の生活に十分な「潤い」を感じる機会を逃してしまい、金銭的な意味ではなく「潤い」が少ないと言う意味で、生活が貧しくなってしまう恐れがあります。

「潤い」を増やすために、「他の人が経済社会で働いた成果の一部を得ることをめざす」→「そのためにリスクを取る」→「取ったリスクに見合った報酬を期待できる」、という仕組みが投資とリターン(報酬)というわけです。

いつ何をどう受け取るか


さて、ここからは、投資の成果をどう受け取るかについて考えます。

2000年代から2015年くらいまで、毎月決算を行い、月次で分配金を払い出す「毎月分配型」の投資信託が大ヒットしました。いまでも一定の支持を集めています。そもそもなぜ人は月々受け取るお金を好むのでしょうか? 月給制の会社が多いことは関係がありそうです。習慣として身についている人が多いでしょう。米国などでは2週間に1回「ペイデイ」がある会社・職種もまだ残っていますが、主流は月に1回の給与です。
しかし世界的に「月給」が一般的なのはそもそもなぜなのでしょう。

ごく簡単にいえば、結局人はそんな程度の期間でしか物事を管理できないからだと思います。

例えば1日の生活費を毎日、日当でもらうことを想像してください。なにかと煩雑そうです。しかも、お金をたくさん使う日とそうでない日があっても、融通が利かないかもしれません。一方で、半年に1回、半年分の給与を受け取る制度だとしましょう(いまの労働法・規制では毎月最低1回支払う決まりがあるので、法律違反になりますけど)。すると、受け取る方もかなり計画的にお金を管理しないといけなくなります。使いすぎたり、逆に気にし過ぎて使えなかったりしそうですね。月1回程度の受け取りは心理的にちょうどよいのでしょう。

さて、よく知られているように、年金は偶数月(2カ月に1回)に受け取る仕組みになっています。コスト削減のためでしょうけど少々不便ですね。やはり月次で受け取ることができるほうが気持ちはよさそうです。

次に、何歳までの「潤い」を想定するのがよいのでしょうか? 平均余命の85歳まで充実、あとは「流して暮らす=最低限」、でいいでしょうか。たとえば100歳や110歳、あるいはそれ以上長生きする可能性(リスク)も考えると、あまり早い年齢でさっさと「潤い」を捨てることも適切ではなさそうです。

例えば、配当を受け取れる株式や分配金を受け取れるREITは、債券と違って満期がなく償還がありませんから、その意味で仕組みとしては、保有し続ける限り「死ぬまで」リスクを取って投資した報酬を受け取ることが期待できます(便宜上、無配のケースはここでは除きます)。

トマ・ピケティの「R > g」

さてここでさらに、リスクを取って投資したほうがよい理由をもう1つ挙げておきます。仏経済学者のトマ・ピケティの「R > g」という式をご存知でしょうか?(『21世紀の資本』2013年)。

ピケティは、経済格差が発生する原因のひとつとして、Rを獲得できる人とgだけの人との間の差があることを挙げています。Rとしては、不動産からの地代、株式のリターンなどをその例に上げています。これを獲得できる人は世界の多数派ではなさそうです。それがない人たちは、一般に経済成長による賃金増などのgだけしか享受できない傾向にあります。R > gの傾向が世界的・歴史的に続いていることをピケティは格差の理由として取り上げたわけです。しかもRは世襲されやすいという傾向も見つけました。ピケティは、格差拡大は資本主義社会を揺るがす問題になるので税制など何らかの形で解決しなければならないと主張します。このRは、ファイナンスでは「リスクを取る報酬としてのリターン」だと考えます(ピケティは結果としてRの中身は「複雑だ」と言っていますが)。

ここで、私たちがリスクを取る「ほうがよい」理由として、引退後の「潤い」のある生活の原資を作るために、(相続などで得た)大きな資産がない人でも、余裕のある資金については適切なリスクを取ってRを獲得し、社会的には格差縮小を、個人的には資産の拡大強化を図って、より幸せになろうとすることにあることだ、との考え方を提案したいと思います。

これまで見てきたように、私たちはしばしば、本当はRを追求できる程度の資産を持っているのに、g(給料の成長率程度あるいはインフレ率程度、もう少し具体的には国債の利回りや普通預金金利程度)しか獲得していないのです。

今40歳のAさんとB さんが同じ会社で働き、ともに60歳で課長職で定年になったとしましょう。Aさんは60歳までの資産蓄積をRに投じていた、Bさんはgで満足していた、とします。このふたりの格差は、500万で同額だった40歳時点の資産を20年でまったく違うレベルに持って行ってしまっている可能性があります。さらに60歳以降も、人に働いてもらった成果をリスクに応じて分配されることを知っているAさんと、特に気にせず「安全」だけを重視してgに置きっぱなしにするBさんとの格差は拡大していくでしょう。このような知識差や行動の差は、残念ながらそれぞれの子供世代にも伝わるかもしれません。

投資をしなければならないと危機感をあおる意図はないですし、お金だけで幸せが決まるわけではありません。また、リスクを取ることが単なる賭け事であれば、せいぜい楽しみのための消費の一種であって、投資にはなりません。ただし、これまで述べてきたこと・これから述べることを知った上で、Rではなくてgを選ぶのかについてよく考えた上で行動してほしいのです。

親からの巨額の遺産、宝くじの1等当選、事業の上場による多額の個人資産増、といったことがなくてもいいのです。普通に暮らしていく中で最低限の生活以上の潤い部分についての自分の資産でリスクを「取ることができる」と考え、当たり外れではなく、世界中の他の人が働くというまじめな行動の成果の恩恵にあずかることで潤いを増そうとすることは、適切ではないでしょうか。

ピケティは、資産を多く持つ一族などがRを獲得することによって、あるいはより大きな運用資産をもつ大学のほうが小さい大学よりも大学の資金運用の成果が大きいこと(規模のメリット)によって、格差が拡大しやすいことを示しています。しかし、いまや小口の資金でも、投資信託を保有することで、規模のメリットによる格差拡大を逃れることができます。誰でもRを手にするツールが用意されているのです。

証券投資と銀行預金の違い

 ここで、証券投資と銀行預金の違いを、「直接金融」と「間接金融」の違いという点で、説明しておきましょう。

 あなたの銀行預金は銀行に預けた後どうなると思いますか? 銀行は預金をまとめて住宅ローンなどとして個人に、あるいは法人融資で会社などに貸しつけます。つまり預金とは眠っているわけではなく、活動するわけです。

会社への融資や住宅ローンは、その会社で働く人の努力や才能、あるいは住宅を買った人の労働の成果などにより、銀行に返済されます。融資の際の金利は預金金利より高いので、銀行には収益が生まれます。銀行が返済をしっかりしてくれる融資先を見つけるなどして、うまくやればやるほど銀行の収益は上がります。しかし、たとえ融資先企業が好調でも、あなたの預金の金利があがることはありません。逆に融資先が返済を滞らせると、銀行は損失を被りますが、あなたの預金の金利が下がったり、元本が毀損したりすることはありません(銀行が経営破綻した場合などは別です)。つまり、銀行の融資先の好不調は、あなたの預金には直接には関係がないわけです。これが、「直接金融」ではない、「間接金融」の本質です。

 一方で、あなたがその会社の社債を直接買って保有するとしましょう。その会社が約束する金利はその会社の信用力に応じているので、銀行の貸し付けの金利と近いはずです。その会社が業績をあげてしっかり利払いや返済をしてもらえれば、社債保有者は銀行預金より高い金利収入を得られるでしょう。あなたにこの債券を売った証券や銀行は、手数料を一度とりますが、その後は直接的には関係なくなります。社債を発行した会社が利払いや返済を滞れば、それは社債を購入・保有しているあなたへの返済が滞り、直接の影響を受けることになります。これが「直接金融」です。

 どちらがRでどちらがgに近いかは分かっていただけると思います。直接金融では、その事業の成功が直接、社債保有者であるあなたに影響しますので、Rに近いでしょう(社債よりも株式のほうが、事業の成功がより直接的に保有者の手に戻ってきます)。銀行預金であれば、銀行が融資先を選ぶ責任(リスク)を負うので、預金者であるあなたが得る収益は小さいでしょう(しかも預金の保険などで元本がある程度守られています)。おおむね経済全体の成長に連動するインフレ+少々が妥当です。

 「預金が安全」なことは確かですから、どうしても失ってはいけない文化的最低限の生活のためのお金を預貯金に置くことは適切です。ただし、年金や生命保険などに加入している人は、文化的最低限の生活のための資金をある程度カバーできています。それでも「とにかく損したくない」ということなら、そうした選択も可能です。しかし、「潤い」のある生活のために、事業のリスクが高いほど収益も大きいと期待できるような投資によって、収益機会をつかもうとすることは適切に思います。自分は働かないで、おカネを投じることはできるのです。

第2章(2)に続きます)


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