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鏡の中の自分を知るには

前回の内容は、人には属性があって、それに良いも悪いもないという話で、今日はその続きを書こうと思う。

周りの人間に違和感ばかり感じた時期はないだろうか。
類は友を呼ぶというけれど、仕方なく一緒にいることもあれば、途中から相手に対する感情が変わったと思うこともあるかもしれない。

尊敬していた相手が稚拙に見えたり、信頼していたはずの相手に疑いを持つようになったり、いつも近くにいた相手がなぜか遠くに感じたり。


相手が変わったわけじゃない、いつの間にか自分の内面が変化していて、相手に対する感情が変わることがある。

人の本質はなかなか変わらないものだけれど、価値観というのはは日々アップデートされていく。

生きていれば嫌でも大人になっていくのだから、その中で経験する事も多くなり、正論をふりかざすだけでは物事が前に進まないことや、調和をとることの難しさも理解できるようになる。


時代背景や、影響された人物、心に響いた言葉なんかで、今まで自分が信じてきた思いに対しても、物の見方が変わってしまい、それまでとは真逆の思いが芽生えたりする。

それがいいとか、悪いとか、そういうことじゃない。相手がダメになったわけでもない。生きていたら当然のことといったら、しっくりくると思う。

好きだった相手を嫌いになるように、嫌いだっだ相手を許せるようにもなる。


私はそんな経験をいくつかしている。


例えば幼稚園児だったころ。私はいじめられていた。

いつもお漏らしする女の子がいて、その子と家が一番近いというだけでシモの世話をさせられていたのだが、なぜか私も汚いという理由でいじめにあった。

私は濡れた下着や洋服を着替えさせていただけなのに。私が漏らしたわけではないのに。同級生の面倒を見るという良いことをしていたのにもかかわらず、いじめにあうという理不尽な目にあった。

先生の見ていない場所で飛び蹴りをされたり、遊びの時間が終わっても「部屋に帰ってくるな!殺すぞ!」と言われたり、昼時には毎日のようにお箸を隠されていた。

そんなんだから小学生になりたくなかったし、ランドセルを見て落ち込んだのを今でもハッキリ覚えている。いじめのことなんて先生にも親にも・・・大人になんか、なにを言ったところで聞き入れてもらえないのを理解していたから、とにかく毎晩のように布団の中で息を殺して泣いていたっけ。

そんな心配をよそに、小学生になった私がいじめられることはなかった。いじめの相手だった男子二人は影をひそめ大人しくなってしまい、もうひとりは別の学校へ行ってしまった。

そして中学生になったある日、別の学校へ行った女子が戻ってきた。

のうのうと、「幼稚園のとき、お箸取ってたよね、ごめんね!」と言ってきたのだが、私だって成長しているから、「なんなの?本当にムカついたわ。」と言い返してしまった。

それからどうしたかって?すっかり仲良くなったのは言うまでもない。話してみれば、面白くていいやつだった。


それからまた20歳になったある日、友人に呼ばれて出掛けて行った先が、いじめた男Aの家だったのには驚いた。

気乗りはしなかったけれど、とにかくAにいじめの話をふってみたところ、Aはそんな昔話を覚えちゃいなかった。「あのときは本当につらかったんだからね!」というと「ごめんねぇ、ご飯つくるから待っててね!」と食事を作ってくれたりなんかして、その後もとても優しく接してくれた。

どういうわけか、いじめが良い思い出に変わって、私の中でわだかまりは残っていない。ちなみにBはママに敷かれたレールのせいで物静かになってしまったらしい。


この話を聞いてどう思っただろう。

いじめてきた相手も変わったのだろうが、私も変わったというのが本当のところだと思う。相手の心も成長したし、相手に本音をぶつけた私だって成長していたのだ。

私の場合、このことは両親に対しても同じことが言える。


自分がたくさんの経験を積めば、相手の苦労だって理解できるようになる。属性は変わらないとしても、視野が広がり、それだけ心にゆとりが出来るのだと思う。


ゆとりの出来た心で相手をみれば、相手を責める気持ちも薄れる。完全になくなるかといえば、そうではないかもしれないけれど、許せない!ということはなくなると感じる。

そんなふうに生きてると、相手も攻め入ってこなくなる。


こちらが相手をかわす術やなだめる術を持っていれば、いつの間にやら仲間にさえなってしまうから不思議だ。これが鏡の法則なんだろうと思う。

相手がバカでも、自分にもバカな部分があるとわかっていれば大きな戦いにはならないし、相手のバカも自分のバカも受け入れることができてしまうのだ。


自分の信念に基づく自己主張はとても大切なことだと思う。と同時に、攻め入る相手にも相手なりの正義があることを知っておいた方が良い。


愛嬌やユーモアを持っていると、恐ろしい形相をした相手が近づいてこなくなるというのが私なりの経験から言える。


いつの間にか相手に変化を感じたとしたら、自分が変化しているということでもあると感じてほしい。

周囲の人間は自分の内面の鏡だと理解していれば、自分がどういう状態なのか、そしてどうすればいいのかが分かると思う。


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人の振り見て我がふりなおせってやつですね〜。昔の人は真実をついてるわ。


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