火種
8月、被曝体験者のお話をYouTubeでちょこちょこ観ている。
どの方もそれは壮絶な体験であり、実体験のお話は情景が目に浮かぶ語り口で、とても胸を打つ。
戦争はいけない、核はいけない。
それはみんな共通認識としてあることだと思う。
何故なのか。
理論では説明できても、腹落ちした説明は少なくとも私にはできない。
平和ボケとは言うが、平和な時代に生まれ育った私には、平和とはなにか、幸せとはなにか、がとてもぼんやりしている。
それが多分、平和で幸せだということも、ぼんやりとしかわからない。
でも、体験者の語ることでほんの、ほんの少しだけ自分ごととして考える。
そんな凄まじい犠牲と対比しなければ、平和というものは感じ取れないものなのだろうか。
私は情けない人間だ。
もちろん体験者の話を全てわかることなんてとてもできまい。
それはいじめも同じだと思う。
私はいじめを受けて登校拒否をしたことがある。
半年くらいは学校に行けなかった。
大人の協力もあって後にいじめもなくなり、行けるようになるが、その話はまた別で。
いじめられた時の孤独感、真っ暗闇の中にいる感じ、多分体験した人にしかわからない感覚もあるだろうと思う。
被曝体験者の話で、領土や土地を自分のものにしたい、そういうしょうもないことから始まるのが戦争だと言った方がいた。
それは、日常生活にもあるものだ。
人間が持つものだ。
大きいことと小さいことは切り離して考えがちだが、ひとりひとりに火種はある。
そこには密接に自分が関係している。
それをなくす、というのではなく、自分の人間のそういう面に自覚的にならなければいけないと思う。
個人の反映が社会なのだから。
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