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縁を切る寺 SS0030

紫陽花 2020/7/14

 門前が、騒がしい。

 尼僧に呼ばれ、私は色とりどりの紫陽花が咲く花の庭から、鎌倉街道に面する総門に急ぐ。
 総門を見おろす山門に立つと、石段の下には人だかりができていた。

 その真中に、騎乗した武士と数人の従者の姿が見える。男は旗本であろうか、無紋の布布衣(ほい)姿だ。男が手に持つ手綱や鞍の下に垂れる障泥(あおり)は、鮮やかな朱色だ。
 門前の御用宿の主人らと、押し問答をしているのか、怒鳴り声が聞こえる。

 私は手にした数珠を握り直すと、階段をゆっくりと下り始めた。
 幾人かが、白い尼頭巾と墨染めの法衣姿の私を見つけ、頭を下げてくる。気付いた周りの者たちも、こうべを垂れる。

 男はこちらを向くと敵(かたき)を見つけたかのように目をつり上げ、にらんできた。階段を下りきった私に、男は咆哮した。
「お主が東慶寺(とうけいじ)住持の天秀尼(てんしゅうに)か、我が妻を返せっ」
 男は馬を進めてくる。高ぶった馬が眼前まで迫り、いななく。

 宿の主人が、小走りで駆け寄ってきてささやく。
「数日前に駆け込んできた女性(にょしよう)の夫です」

 私はうなずいて静かに息を吐く。東慶寺は縁切りの寺法を持つ女人救済の駆け込み寺だ。女の体を改めた尼僧の言葉を思い出す。
 ──体中、赤黒いあざや傷などで、目も当てられぬありさまでした。

 男は私を一瞥すると、供の者どもにあごで指示を出す。徒(かち)の足軽どもが周りを囲む。幾人かが石段を登り、山門に向かおうとする。

「無礼者、山門より先は、男どもは禁制であるぞっ」
 腹の底から出した声に、足軽の足が止まる。馬上の男は顔を引きつらせる。

「ふん、おとなしくあやつを差し出せば、辛気臭い尼寺になど入らぬわ。今すぐ、ここに連れてこい。半刻だけ待ってやろう。早うせい」
 宿の主人や、周りの尼僧が不安げな顔で、こちらを見つめてくる。

「鎌倉の世から続き、権現様御声掛かりの縁切りの寺法を知らぬのか」
「何をぬかすかっ。女三界に家なし。夫に従わぬ女など、この世にあってはならぬ」
 男は吐き捨てると強引に山門に進もうとする。その前をふさぐように私は立つ。
「ならば、私(わたくし)を斬り捨てて進みなさい。天に刃向かう覚悟がおありならば──。大坂で一度は捨てたこの命、惜しくはありませぬっ」

 供の者が男に耳打ちをする。男の顔がみるみると驚愕の色に染まり始める。

 私の父は大坂城と運命を共にした豊臣秀頼(とよとみひでより)であり、養母は先の将軍である徳川秀忠(とくがわひでただ)の娘の天寿院(てんじゅいん)──千姫(せんひめ)だ。

 やがて男は舌打ちをすると、いまいましそうに馬首を街道に戻し、去ってゆく。


 本堂に戻る道の途中、紫陽花の陰から二人の女が顔を出し、私に頭を下げた。蒼い顔の一人は、先ほどの男の妻で、夏の日輪のような笑顔の一人は、三年ほど前にこの寺に駆け込んできた女だ。無事、夫との縁が切れ、新しい夫に来月嫁ぐと聞いている。

 供の尼僧が呟く。
「見事なお覚悟でした。我らは縁を切ることにより多くの女子(おなご)を救っているのですね……。女子の力を受けた当山で修行できることを誇りに思います」

 私は尼僧にほほ笑み返す。天とは何かを教えてくれた嶋姫を始めとした多くの姉たちと、それを支えた喜連川などの男たちを思い出す。

「そうですね……ただ女子の力のみではなく、それを大切に思う殿方の想いも受けているからこそ、当山は護られているのです。私(わたくし)の愛しい方々が、それを教えてくださいました。その想いを伝えてゆくことこそが、大事なことなのです……」

 鮮やかな紫陽花が、夏の陽を受けて輝いている。

「それに、我々は縁を切っているのではありません」

 私の声に尼僧は首をかしげる。

「縁を切るのではなく、悪縁を切り、新たな縁を結ぶのが、当山の天命なのです」
 尼僧は、はじけたようにうなずいた。

 懐かしく優しい嶋姫の声が、天から降ってくる。

 ──人は一人では生きていけない。天とは何かのために共に生きる世界なのです。

 見上げた皐月の空は、雲一つなく澄み切っていた。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!