安らぎは集中の中に

アロマ書房さんという素敵な人がおりまして。

その人のイベント、

 文學アロマセラピー
「あなたの言葉を香りにします」トライアルセッション

にお邪魔してきました。

「大切な一冊について語るあなたの言葉を香りにします」
というこのセッション。
アロマセラピストであるアロマ書房さんに、自分の大切な本のことを色々とお話して、そこでやりとりされた言葉をもとに精油を調合し、オリジナルの香りを作ってくれるというもの。

申し込みをしてから当日までの間、どんな本を選んでゆくかを考えていた。
「大切な本の香り」ではなく、「大切な本について語る言葉の香り」なわけだから、そこで生まれる香りは、自分とその本の関係の中にしか存在しないものになる。だから、自分にとって関係性が深い本で、その結びつきについて改めて見つめ直したい本を選ぼうと思った。

そこで選んだのがこの本。

「余白の愛」 /小川洋子

この本については先週書いた記事で少し触れたけれども、高校生の時にこれを読んで、それ以降の小説の読み方が大きく変わった。
文章って、ストーリーを説明するものじゃないんだ。空気を、世界を作っているんだ。と、そう僕に教えてくれたのが小川洋子であり、そのはじまりがこの本だった。


セッションの時の会話を再現しようと何度か試みたけれど、あの時あそこにあったものを書き起こすことはとても難しい。
たぶん伝えようと思ったら、物語が必要になる。誰かと誰かの話として書くことでしか、あの場にあったものを伝えることはできない。(小説を書くことはこうして突然必要になったりする)

再現は諦めて思い出として話すけれど、あのとき、僕は自分の奥へと潜ることに、集中していた。とても冴えていて、澄んだ集中だった。
たとえば自分という水面に、最も波を立てない角度でつまさきをそっと差し込んで、そのまますうっと足を沈めてゆく。冷たい感触がくるぶしから脛へ、太腿へ、腰へとゆっくり上がってゆき、深呼吸をして頭をそっと沈める。光が薄れている奥の方へ、少しずつ進んでゆく。余白の愛は突発性難聴を患った女性の話で、彼女は難聴になるまで、自分に耳があることなんて忘れていたんです。耳鳴りがして、音をうまく受け入れることができなくなった彼女の孤独さは、物語の中にずっと漂っていて、これはイメージですけど、たとえば雪の日、空も地面も真っ白で、時間も距離もつかめなくて、ぽつんとしてしいんとして、あらゆるものが茫漠として、安らかなような寂しいような、なんだか不安なあの感じ。静けさの安心と不安がどちらもあって、そういう空気が、文章の中で表現されていて…。空気。ねえじゃあその空気というものを、少し因数分解してみましょう。空気ってどんなものなんでしょう。空気は…その世界の環境かもしれません。たとえばセリフが出てきたとき、それがどんな風にそこに響くのか、声の大きさや質感はどんなものか、どんな温度でどんな明るさの空間に、どんな風に広がるのか、そういうことが、説明がなくてもわかってしまうようなもの。そういうことを感じられること、そういう要素を文章の中に見つけることが、この本への思い入れということ?そうかもしれない。あ、この単語の選び方が好きだな、とか、この言葉がこの文の雰囲気を作っているなとかそういうことを……

気付けばアロマ書房さんの問いと、それへの答えを探す自分の思考とが、少しずつ境界をなくして溶け合っている。たしかに会話をしているのに、ひとりで潜っているような感覚。それでいて、自分ひとりでは届かなかったところへとゆるやかに導かれている。今まで底だと思っていたところのすぐそばに、まだ深くへと続く暗闇があることを発見しながら、ゆっくりゆっくり深みへと潜ってゆく。
澄んでいて、冴えていて、心地よい集中だった。
「じゃあ、それらをもとに…」とアロマ書房さんが精油のキャップをひねったとき、ふと時計を見ると、びっくりするほど時間が経っていた。

調合してもらったアロマをスプレーにしてもらった

ジャスミン
ラベンダー
ジュニパーベリー
ローレル
サンダルウッド

これらの精油を配合してもらい、アロマは完成した。
これまで感じたことがないくらい好きな香りで、求める香りだった。

「余白の愛」は、ずっとずっと大切に思っていた本で、今までに何度も読み返していたけれど、この日、改めてこの本を大切に思う気持ちが深まったように思う。自分でも知らずにいた「大切」の中身があったこと、それを知ったこと。この香りをかぐ度に、きっとその体験の心地を思い出せる。
 
もうひとつ知った自分のこと。
それは、自分が安らぎを求めていること。そしてその安らぎは、澄んだ集中の中にあること。
それも、セッションの中で発見したことだ。和みたい、癒されたい、落ち着きたい、ではなく、とにかく澄んでいたい。

安らぎは集中の中に。
と、アロマ書房さんは精油の成分表の端に書いてくれた。その様子に、彼女もまたここで生まれたものを大切に思ってくれているのを感じた。

きっとこの先、この香りに何度でも助けられる。そんな気がする。
これは、僕にとっての「大切」を知っている香りだから。

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