香りは果たして香っているか

アロマ書房さんという素敵な人がおりまして。
「素敵な人」と言いたいのは、アロマ書房さんの活動の内容が、そのお人柄や生き様や、そういうものとぴったりすんなり重なり合って形成されているものだからで(そういう人いるじゃないですか)、最近本人と色々お話をさせていただくことがあるからこそ、なんか今は活動だけ取り出してを納得のいく説明ができないというか、言葉が見つかっていない状態にあるためです。
(なのでHPをご覧ください。https://www.ruriirononiwa.net/)

さて、その人とアロマについて、「香り」について話をすることがここのところ多くあり、それから日々「香り」に思いを馳せながら暮らしているのだけど、その中でひとつ思い出したことがあって。

夕焼けの匂いをかいだことがある気がするんだよ。
(いい匂いの話に「嗅」とか「臭」を使うの難しくないですか。僕だけですか。困ってます)
子供の頃に認識した気がする。うっすらそんな記憶があって。5時の鐘を聞いている公園だったり、帰り道の自転車の上、あるいは知らない街で迷子になって、高いところから見たら何かわかるだろうかと登ってみたビルの最上階で。(馬鹿だなあ)
そういう記憶の中にある夕焼けの場面で、同じ匂いをかいでいたような記憶がぼんやりとある。あれはなんだったんだろう。これはなんなんだろう。記憶はあるのに、どんな香りだったのかはうまく思い出せずにいる。
そんなことに引っかかりながら生活していたら、あるとき帰り道に夕焼けを見ることがあって、家に篭りがちな仕事なのこともあってなんだか久しぶりのそれを、少しの間立ち止まって眺めていた。眩しさに目を細めながら、鼻から大きく息を吸い込む。肩が少し上がって、再び下がってゆきながら深いため息がこぼれた。
その時、 はっ と思った。
あれは呼吸だったのかもしれない。
もっといえば、鼻の奥の器官に伝わる感触。ため息になる空気が、鼻からすうっと入ってゆく時の感触が、その刺激が、僕の中にある「夕焼けの匂い」だったのかもしれない。
不安な時に呼吸が浅くなったり、眠りの前には深くなったり。苦しい話をしている時に息が詰まったり、秘密を打ち明ける時に息を潜めたり、驚いて息が止まったり。
呼吸ってきっと、環境だったり心の状態によっていろんな姿をしていて、いろんな温度や流れ方や質感があるんだと思う。
夕焼けを見つめた少年のころ、どんな思いがあったのかはその時どきで違うのかもしれないし、いずれもあんまり思い出せない。けれどなぜか覚えている、夕焼けの匂いを知っていたこと。それはもしかしたら、あの頃にうっすら気付きかけた、夕暮れ時を過ごすための息遣いだったのかもしれない。

アロマの面白さのひとつとして最近感じること。アロマ書房さんが精油の瓶の蓋を開けたとき、 ふわり と漂ってきた香りと、それを垂らした試香紙を鼻先に近づけて すう と吸い込んだ香りとが微妙に違う。
ふわり と すう との違いはわかりやすいけれど、きっともっと色んな違いが細やかにあるのだろうし、そういう意味では、全く同じ香りを香ることって厳密にいえばないのかもしれない。その時の気分、体調、温度や湿度、つまりは環境。そういうものに左右されるんだとしたら、自分がかいだ香りは自分だけのものだ。それを逆に考えて、自分が感じたり求めたりした香りから自分の中にある思考の届かないところに触れることができたりするのかもしれない。

香りは果たして香っているか。
あると思っていた香りが無かったかもしれない話と、確かにあると思っていた香りの確かさは、誰かに説明するための確かさではなくて自分のものだと思ったという話が並びました。
この二つをはっきり結びつけたい気持ちはあんまりなくて、ただ、また夕焼けの時には少し立ち止まって息を吸い込んでみたいなと思う。

noteに書くのは、きっとたいていこんな感じのお話。


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