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【洋画】グッド・シリアルキラー – 第あらすじ - ノベライズ

「善を行い、罪を犯さぬ人はこの世にいない」
 伝道の書7章20節

 22,000字ほど。

【感情のトリガー↓】
第一章:【
第二章:【
第三章:【
第四章:【
最終章:【

第一章:双乳の行水

《——ガチャン——》観音開かんのんびらきタイプのドアがひらかれる。照明度のうすぐらい病棟内の廊下ろうかをスタスタ…と、疲れきったようすで歩いていく若そうな女性看護師は、ようやっと、めんどくさい患者たちから解放され、夜勤やきんづかれのカラダをシャワー室であらいながそうとしていた。ボールペンをうしろでかんざしのように差した——首から聴診器ちょうしんきをぶら下げながら——二十代後半くらいにみえるブロンドのわりと美しい女性は、首を左右にコキッ…コキッ…とかたむけた。ほんのすこし、血流が回復したところで、夜の不気味な妖気ようきがただよう静かな廊下ろうかをまだ歩いている。すると、T 字のつきあたりを左にまがった。そこから一〇メートルほど歩いたところで、ようやくシャワー室にたどりつく。

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 彼女は左側についているドアをけようとした——と、そのとき! なにか、ちいさな物音ものおとが遠くから聞こえたではないか。看護師かんごしはいったん立ちどまり、じぶんが歩いてきたほうをみやりだす。いちおう、その逆方向もたしかめる。……が、あたりはシーン——としており、さっき聞こえた物音はいっさいしなかった。まるで、“ヘレナ・ボナム”を若くしような看護師は、一抹いちまつの不安をのこしながらも、とりあえず、シャワー室に入っていく。すると、ほかの従業員もつかう共用の更衣室こういしつが目のまえにあり、その無愛想ぶあいそうなツラをくずさない看護師は、じぶんのロッカーを開けて、ユニフォームをぎだした。リアルで生々なまなましい女性の着替きがえというのは、なんともはながないというか……そこに色気いろけなど微塵みじんもありはしない。とくに、一人のときは……。もうすこし、ゆっくりと……もったいぶるように脱ぐなんてことは決してしないのだ。それに、下着も地味じみで、しわしわよれよれで……。
 身にまとっていたものをすべて脱ぎおえた看護師は、いよいよ行水ぎょうずいにとりかかる。奥にあるシャワー室に入っていくと、共用でつかえるシャワーが横並よこならびされている。彼女はそのんなかを使うみたいだ。おそらく、あと数名ほどくらい利用できるのではなかろうか。というのも、今、ぱだかでシャワーをびている女性のところしか、ダウンライトがいていないため、両サイドがくらくてよく見えないのだ。いちおう、個人個人に手すりのしつらえられたかべで仕切られてはいるようだが、その高さは女性の腰にもとどいてはいない。となりに利用者がいれば、ふつうに丸見えじょうたいである。それでも、彼れらは気にしないのだろうか? 
 じぶんよりも高い位置に固定されているシャワーの水圧を受けながら、看護師はじぶんの手をスポンジがわりに洗っていく。双乳もろちもていねいにまさぐりながら、ほんのすこし、先がとがっていた。……なぜ、わかるのかって? 背中をながすために、プリプリのおりをみせていた彼女が、向きを逆に変えたからである。その体型はいたって健康。やせすぎもせず、ふとりすぎもせず。そして、まだ二十代でもある。すると、また物音がりだした。それも、うしろから……たしかに大きな音で……。看護師はすぐに気配けはいをかんじて、うしろをたしかめた! シャキ——ンッとひらめき、そのとがったはがねが彼女の首にさる!
「……はっ!」グサッ——!!
 さらにそこから、黒い手袋をはめた人物はノドにむかって、いっきに水平内転すいへいないてんをくりだしたっ! グチャッ……と、ナイフが走るえぐい音をたてたあと、けたノドからはチョコレート・ファウンテンのごとく、どす黒い血がながれおちていく。声をだせなくなってしまった女性は、じぶんのノドをさえながらあとずさり、やがて、くずれ落ちていったのだった。

 ビニールにつつまれた遺体いたいを、った穴にめていく。郊外こうがいにある開拓地かいたくちで夜もおそいため、人目ひとめを気にせずに作業ができるのだ。掘った地面をきれいにひらたく埋めおえると、その人物は車ではしりった。
 むかったさきは……家。なぜかカギがいていたため、その人物はしずかに入っていく……。足音をたてずに、暖色だんしょくのペンダント・ライトがいているリビングを通っていくと、奥にある寝室へと足をはこんでいく……。おや……!? ベッドには若そう女性がねむっているではないか。二十代後半くらいにみえる移民いみんふうの優美ゆうびな女性が。それも、月明つきあかりが差してくる窓のほうを向きながら、スヤスヤと……。よく見ると、その女性の左手には結婚指輪がはめられている。どうやら、既婚者きこんしゃのようだ。彼女を起こさないように上着を脱いだあと、その人物は女性のとなりに…………
 すると、目をました女性がりかえるっ!
『えんぎゃぁ……えぇぇん……』
「キミは寝ててくれ、ボクが行くから」女性のとなりで横になっていた夫のエヴァン(三十代)が言った。
「まかせて大丈夫?」目を覚ました妻のローレン(二十代)。浅黒あさぐろい肌に、妖艶ようえんひとみをした——端正たんせいなおももちである彼女の手に持っているのは、じぶんの赤ちゃんがうつっているベビー・モニターである。赤ちゃんの泣き声もひろってくれる、とても便利なアイテムだ。
 ドラマ『リーサル・ウェポン』にも出ていた “ショーン・ウィリアム” =夫のエヴァンは、ニコッと妻にほほえむと、じぶんの赤ちゃんをあやしに向かい、子どもをベビー・ベッドからきかかえた。「だいじょうぶ。パパがついているからな。す べ て う ま く い く」その腕はとてもあたたかく、その目は慈愛じあいちていた——。

第二章:義憤の暴挙

「ぶっ殺してやる——!」荒々あらあらしい男が今にもなぐりかかろうとしている。そのかためた右こぶしは おさない少年の顔面に直撃した。顔がゆがむほどの強烈きょうれつな拳をもらった少年は、せまくてボロい家のゆかにたおれこむ。すると——
はなれて!」なぐりかかった男に包丁ほうちょうを向けた赤毛の女性が言った。「エヴァン、部屋に行ってなさい!」包丁の先を、男のノドにきつけた。近くにいるおさないエヴァンは、泣きながら二人の様子をうかがっている。
「……悪かったよ、マリー……」と、後退あとずさりしながら血相けっそうを変えたエヴァンの父親。
「出てって。すぐ出ていかないなら殺すわよ!」するどい眼光がんこうすくめているマリー。決して、はったりではない。
 妻の形相ぎょうそうにおののいたエヴァンの父親は、すなおに家を出ていくのであった。
「もう大丈夫よ」マリーは泣いている息子のエヴァンをきしめた。「ママがついてるわ。シ〜〜」エヴァンの背中を優しくさすってあげていた——
(「心配はいらない。す べ て う ま く い く か ら……」) 
「……っ!?」夢から目をましたエヴァンは、子ども部屋にいるマリーを確認する。
 赤ちゃんを抱きながら、ロッキング・チェアをユラユラとらしていたマリーは、エヴァンを見上げて言った。「勝手に入らせてもらったわ」
 これは、まさにすくいの神であった。はじめは、“子どもの世話せわ手伝てつだうわよ” というマリーの提案を、よけい気をむことになるしやすらげないと思った妻のローレンは “じぶんたちで育てたい” と断っていたのだが、いよいよ、そうとも言ってられない状態にまでいやられていたのである。生まれたばかりのアンドリュー(男の子)は、なかなかローレンのおっぱいを飲まないせいで体重がぜんぜん増えず、そのせいで、担当たんとうの女性看護師からきびしく——まるで、“あなたはダメな母親ね” と言われているみたいに——怒られるもんだから、責苦せめくの限界にまでたっしたローレンの精神状態はかなりヤバく、泣いてない日なんか無いくらい毎日ふさぎこんでいたのだ。エヴァンも、そんな妻の心情をみとり、仕事から帰宅するとアンドリューの世話をするのは彼れなのだ。オムツをえたり、夜泣きをちつかせたり、ローレンの不安からくる命令にちかい頼みごとにも、いやな顔をせずに聞かなければならない……。それもこれも、じぶんが目指めざしている理想の父親、理想の家族をきずきたいがための代償だいしょうなんだと……思っていたのだが……、ふと、取りだした包丁の腹にうつりこむローレンの姿をみると、一瞬いっしゅん、おぞましいことを考えてしまったのだった。
 そんなときに、アンドリューの祖母そぼ——マリーの登場である。なかなか泣きまないアンドリューを、いとも簡単にあやしつけ、もののみごとにねむらせてみせたのだ。
さむければ言って」客間きゃくまの寝室にあんないしたエヴァンは、マリーも一緒にませることにした——。

《——コンコンコン!——》
 自室でミニディスクMDに録音された——加害者のつみの告白を聞いていたエヴァンは、少しビクッとした。が、そんなあわてるこもなく、沈着ちんちゃくなおももちでプレーヤーをデスクの抽斗ひきだしにしまったあと、部屋のドアをガチャッとけた。入ってきたのはティーンエイジャーの男子生徒。彼れはエヴァンのカウンセリングを受けにやってきたのだ。
「……オレは長男だから……やられてもえられる——」ゆるめのバギー・パンツに Tシャツを身にまとい、キャップのツバをうしろにかぶっているティーンエイジャーのレイが言った。「——でも、今度は弟がやられていて……めに入ったんだ……」その声は、やんちゃそうな見ためとは想像もつかないほど、よわよわしく、意気消沈いきしょうちんとしていた。彼れの左目はひどくれあがっており、痛々いたいたしいほどの青痣あおあざがついていたのだ。
 それぞれシングル・ソファにもたれて向かい合っているエヴァンと生徒のレイ。ふたりの近くにあるロー・テーブルの上には、会話を記録するボイス・レコーダーがかれていた。
「ボクには通報する義務ぎむがある」きあがってくる憤怒ふんどをうまくおさえながら、冷静に言ったエヴァン。「仮釈放違反かりしゃくほういはんなら、また逆もどりだ。キミはそれでも納得できるかい?」
 鼻をすすると、レイは言った。「……そうなって当然だろ?」
「レイ」前のめりになったエヴァン。「す べ て う ま く い く か ら」と、意味深長いみしんちょうに。
 その後、エヴァンはレイの父親の逮捕たいほ記録を——学校のなかにもうけられている学生相談室から——しらべあげると、父親の行動パターンを分析ぶんせきしたのだった——。

 赤いバラのネオン・サインが特徴の〈カサブランカ BARバー〉という質素しっそなお店から、粗暴そぼうなふるまいでマナーの悪そうな——大柄おおがらな男がスタッフに追いだされてののしりだす。
「くたばれ! くそやろ——!」ジーンズにかわジャンを着た大柄な男は、すでに酩酊めいていじょうたいである。おぼつかない足取あしどりで屋外を歩きながら、内ポケットからタバコを取りだした——が、中身はからだった。『プリズン・ブレイク』の “ジョン・アブルッチ” みたいな風体ふうていをした男は、外に落ちていた——まだ、中途ちゅうとはんぱに残っている——タバコをひろいあげると、それを口にくわえ、持っていたマッチで火をつける——が、なかなか火がつかない。なんどってもダメだった。と、そこに——
「あのー、火をしてあげるよ」と言って、男が近づいてきたではないか。持っていたライターの火をつけると、あらっぽそうな男のタバコに火をつけてあげたのだ——あのエヴァンが。
 はじめは警戒けいかいされていたエヴァンであったが、じぶんはタクシー業もやっていて、たまに誰れかを無料タダで乗せるんだよ、という言葉を大柄な男は信じたようだ。“家まで送ってあげるよ” という、危険じみた甘い誘惑ゆうわくに乗ってしまったのだから。
 荒っぽそうな男にしても、じぶんに下手へたなマネをすれば、この小柄こがらな男をいつでもやっつけれるとたかくくっていたのであろう。だから、無上むじょうな今のじょうきょうに身をまかせてエヴァンの車にのりこんだのだ……。
 この社会にたいする不平不満ふへいふまんをさんざん聞かせられたあげく、ようやく辿たどりついた大柄な男の家——というか、になっている瀟洒しょうしゃなテラス・ハウスを、かってに許可きょかもなくつかっているだけなのだが……。
 大柄な男は、エヴァンをじぶんのかくにあんないし、二メートルちかくあるスタンド・ライトの照明しょうめいをつけだした。すると、六畳ろくじょうにもたないせまい部屋——まるで、ドール・ハウスのように露出ろしゅつしている空間で、大柄な男はさらに酒瓶しゅびんをラッパ飲みしだした。目のまえのエヴァンが、なぜ革手袋かわてぶくろいたままでいるのか、今、床に置いたそのボストン・バッグの中には何がはいっているのか、そして、晴天せいてんだったこの日に、なぜ、レイン・ジャケットをているのか——そんなことを、脳裡のうりにもめぐらずに……。
「オマエも楽にしろよ」どこかで拾ってきたかのような小汚こぎたないフロア・ベッドに腰掛こしかけながら、大柄の男が言った。
 と、そのときだったっ——!
《——ゴンッ!!——》
 またたくに、大柄な男は気を失った。エヴァンのそでから現れた鈍器どんきによって、力づよく、りおろされてしまったのだ。頭頂部とうちょうぶにいっぱつ……。

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 大柄の男が目を覚ます。「……!? なんだ、これは?」
 彼れは、用意されたシートの上で、アーム・チェアに拘束こうそくされている。さきほどのスタンド照明をてられながら。
「おい、これをはずせよ」しかし、一メートルまえにいるエヴァンは無言のままだった。「ふざけんなよ! このサイコ野郎やろう——!」すると、エヴァンの右拳みぎこぶしをお腹にもらう。「ヴオッ……!」
 黒のレイン・コートに着替きがえていたエヴァンは、バッグからボイス・レコーダーをとりだすと、録音をし始めた。それを近くの台座だいざに置くと、ある写真を “人ちがいだ” とのたまっている男のまえに見せつけた。それは今朝けさ、学校で相談を受けていた生徒のレイの写真である。
「じゃあ、これは?」冷酷れいこくなおももちでエヴァンが言った。
「……このカマ野郎が……」また、エヴァンになぐられる。「……ヴハッ!……」
 エヴァンはバッグからナイフをとりだした。「オマエが息子たちにやってることじゃないか? 手も出せない相手に殴りつける」
「オマエに関係ねぇだろ——! この変態野郎ぉぉッ!」猛然もうぜん罵声ばせいびせた大柄の男は、ってかわって態度を変えだす。「おぅッ! ……はぁはぁ……すまない、悪かった……」彼れの着ているグレーのタンクトップが、赤くにじみだしている。ちょうど、おヘソのあたりでインクれを起こしているかのように……。エヴァンにひときやられていたのだ。
「ルイス、聞かせてくれ」無表情のエヴァンがしずかに言った。「息子をなぐっている時、どんな気持ちなんだ?」
「……」おずおずとしながら、ルイスがこたえた。「息子たちを傷つける気はなかった……イライラをつい、ぶつけちまっただけだ……オレも追いつめられてたんだ……だから……手を……」
 エヴァンはちぢみ上がっているルイスの肩に手をやると、もういっぽうの手で、グサッと、さらに深く突き刺した。いきおいよくかれたナイフによって、ルイスはまもなく絶命ぜつめいする。が、そのまえにエヴァンは言った。「よく話してくれた」今度はルイスの首からノドにかけて、すばやく水平内転すいへいないてんをくりだした! ペチャっと、黒い血のしぶきを顔に受けながら、エヴァンの心はれだした。
 それから、ルイスの抜けがらをビニールでおおいつくすと、人目ひとめのつかない開拓地かいたくちにまで車を走らせ、エヴァンは遺体いたいめたのだった。もちろん、そのとき身につけていたもの——たがいのDNAがのこるもの——はすべて、火消しつぼのなかで燃やされ、灰にしてから処分しょぶんずみだ。
 そして、まるで何事もなかったかのように自宅へもどり、妻——ローレンのねむるベッドの上で、エヴァンは妻をやさしく抱きしめた。いつくしみのこもった、あたたかいうでで。
「どこに行ってたの?」目をつむったまま——移民ふうの浅黒あさぐろい肌をした優美ゆうびな女性——ローレンがたずねた。
気分転換きぶんてんかんにドライブしただけだよ」ささやくように言ったエヴァン。
 ローレンはだまったまま、エヴァンのあたたかい手をにぎって抱きしめたのだった——。

第三章:薄情と裏切

《〜〜🎵〜〜》着信メロディーがりだした。
 ロングたけの黒いレイン・コートを着ているエヴァン(三十代)——映画『エボリューション』にも出ていた “ショーン・ウィリアム・スコット” 本人——は、携帯を耳に当てるとどうじに、右手に持っているナイフを男の口にくわえさせた。「——どうした?」
『エヴァン、今、どこにいるの?』キューバ系の浅黒あさぐろい肌をした美女——妻のローレン(二十代)が不安そうにたずねた。『アンドリュー(息子)だけど、四〇度いじょうの熱があるの。いまから、病院に行ってくるから』
「わかった、落ちついて。すぐに向かうから」目のまえに拘束こうそくしている男を見下みおろしながら、平素へいそをよそおってうまくこたえたエヴァン。くわえさせていたナイフを男の口からはずすと、いでいたエヴァンの心が波だちはじめる。
 ——いますぐ病院に向かわないとローレンにあやしまれてしまう。相談にのっている一五歳の少女——自分の叔父から虐待ぎゃくたいを受けているとサインを出していた——に性的暴行をりかえしていたこの男をめて、証拠をきれいに処分するひまなんかはないぞ……どうする?……。
「クソッ……マジかよ……」つねに飲んだくれていそうな——社会の落伍者らくごしゃともいえる——口髭くちひげをやした男が言った。タンクトップのお腹あたりを真っ赤にめながら……。彼れはまさに、前回のルイスどうようの場所で、おなじように椅子いすに拘束されており、二人の会話はすべて、ボイスレコーダーに記録されていた。
「予定変更だ」すると、必死に命乞いのちごいをしていた男の言葉なんて聞こえないと言わんばかりに、エヴァンは二十回ちかくもき刺した! とても事務的で、迅速じんそくに——。

「どこに行ってたの?」┫字のロビーにある右側のソファにすわっていたローレンがたずねた。夫のエヴァンが、さっき、いたのだ。
「眠れないからドライブに行ってた」自分の母親——マリー(五十代)——悲壮感ひそうかんのただようブロンドの “デイル・ディッキー” 本人——が右隣りでもたれているソファに座りながら、エヴァンが答えた。ローレンはかべから少し前のほうに椅子をずらしており、マリーはちょうど、ふたりにはさまれている状態である。
「マリーが気づいてくれたのよ」と、彼女をみやったローレン。
「当然のことをしたまでよ」とマリー。
「きっと、大丈夫」前のめりで座りながら、エヴァンが言った。
「どうして、あなたにわかるのよ?」大事なときにそばにいてくれなかったことへの不満をぶつけたローレン。
「……」エヴァンはなにも言いかえさず、だまって深く腰掛こしかけた。
 すると、スタスタ……と歩いてくる担当医たんとういと看護師がやってきた。
「大丈夫ですよ、ただの風邪かぜです。解熱剤げねつざいをあたえましたので、検査けんさしたら帰れます」手術着のうえに白衣はくいをはおった担当医が言った。そのよこで、あおい看護衣を着た小児科しょうにかの女性看護師は、しかめつらでカルテをみている。エヴァン家族をあんしんさせると、その看護師かんごしをのこして女性の担当医はもどっていった。
 すると、カルテを閉じた女性看護師——“ヘレナ・ボナム” を若くしたような面貌めんぼうで、かなり根性こんじょうがよじれていそうな感じがいなめない——が言った。「あー、赤ん坊はよく熱をだすものなの。いちいちさわがないでちょうだい」そう冷たく言うと、看護師は相手の反応を気にすることもなく、すぐにりむいて戻っていった。
 彼女は母乳ぼにゅうの出がわるかったローレンに、人工ミルクは良くないから自力で与えなさいと、散々さんざんいびりつけていた看護師である。アンドリューのあつかいかたもあらっぽく、まるで物のように赤ん坊の頭をつかみ、強引なかんじでローレンのおっぱいを飲ませていたこともあったのだ。
 エヴァン家族は、その思いやりのない看護師の態度に、目が点となっていた。
 その後、アンドリューを連れて帰ったエヴァンは、また、ローレンが寝たころあいを見はからって、トランクにんでいた遺体いたいを埋めたのだった。あの時、もしもマリーがきそっていなかったら、トランクからはみ出していた——血のついたビニールを不審ふしんにおもわれていたことであろう。先に気づいたマリーが、うまくローレンを誘導ゆうどうしてくれていたのだから。

《——ヴゥ”ーッ、ヴゥ”ーッ!——》携帯が鳴りだした。夜おそく、子ども部屋でアンドリューを寝かしつけていたエヴァンは、ズボンのうしろポケットから携帯をとりだした。「……もしもし?」
 エヴァンは “話しを聞いてほしい” という生徒からの電話で、すぐに家をあとにした。

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「ボクのせいなんだ」コンビニの蛍光灯けいこうとうらされているパーキング・ブロックに腰掛けながら、生徒のクリス(一七)——数学が得意で、奨学金しょうがくきんが受けられることも決まっている優等生の少年——が言った。「母さんと話しているときに横槍よこやりをいれたから……。父さんが家にもどってきてて、台所にいたんだ。半裸はんらのじょうたいでね」となりでだまって聞いているエヴァンに一瞥いちべつをやったあと、クリスはつづけた。「はじめは普通に会話してたんだけど……ふたりがめだして、母さんがやられそうになっていた……。だから、父さんを怒鳴どなりつけてしまったんだ……」
 エヴァンはクリスの右目からほおにかけて、かわいた血のあとをかくにんした。「キミは悪くない。きっと、すべてうまくいく、、、、、、、、、。僕が保証するよ」
 そのあと、エヴァンは彼れを家まで送りとどけてから帰宅したのだった。

「ゆうべも外出したの?」ダイニングで朝食のコーヒーを入れてあげながら、ローレンがいてきた。
「ああ。クリスに呼ばれたんだ」テーブルの席についているエヴァンが答えた。
 息子のアンドリューもバウンサーに乗せられた状態で、ダイニングに同席している。テーブルのうえに置かれているので、目線のたかさもエヴァンとさほど変わりはない。
「学校じゃダメなの?」最近、外出することの多いエヴァンをしんぱいしたローレン。
「彼れは特別なんだ。父親から暴力を受けている」エヴァンはシリアルを一口たべた。
「……アンドリューが熱を出した、あのばんも?」席についたローレンが怪訝けげんにたずねた。
「……」
 すると、沈黙ちんもくをやぶるようにしゅうとのマリーがやってくる。「おはよう。今日は良い天気ねぇ」息子のエヴァンの肩に手をやった。
「もう行くよ」そう言うと、朝食を残したまま、エヴァンは仕事にでかけていった。
 ローレンは何もいえず、ただ不安そうに見おくっていた。
「自分の時間がほしいだけよ」エヴァンの座っていた席につくと、マリーは彼女をなだめるように言ってあげた。
「ありがとう。うちにてくれて、ほんとによかった」それは、真意しんいからの言葉であった——。

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 面談めんだんの時間になっても現れなかったクリスを懸念けねんして、エヴァンは学生相談室のデスクから彼れの携帯にでんわした。
『もしもし?』
「やあ、クリス。エヴァンだ。今日の面談に来なかったみたいだけど」
『あ、すみません。すっかり忘れてました。今日は父さんと映画に行ってたんです』
「そうか。昨夜ゆうべのことが、すごく、気になってたんだ」
『だいじょうぶです、先生。父さんは薬をやめてくれたんです。ちゃんとあやまってくれたし、もう一度、信じてみようと思いました』
「……」
『じゃあ、また。もう切ります』
 エヴァンはその夜、また、ボストン・バッグを持って出かけたようだ——。

「なあ、……腎臓結石じんぞうけっせきなんだ。オピオイド系の鎮痛薬ちんつうやく処方しょほうしてくれないか? あそこで、死んじまうよ」カーキ色のジャンパーにニットぼうをかぶったホームレスふう——四十代の男が、夜おそい時間帯に救急外来きゅうきゅうがいらいの受付窓にやってきた。すごく逼迫ひっぱくしたようすで。
 男の要求にこんわくしていた受付スタッフのところに、あの冷然れいぜんたるふるまいでローレンの心をズタボロにしていた女性看護師がやってきた。「帰ってちょうだい! 警察を呼ぶわよ!」相手を威圧いあつするように、にらみをかせた。
「おい、ちょっと待ってくれ——」男は怖気おじけた。
「いいから、出てって——!!」さらにすごみのある眼光がんこうをとばしながら、出口のほうをして言った。
 すると、ホームレスふうの男はおとなしく帰っていった。
「はあ……、夜はやっかいね」同年代くらいの受付スタッフをみやって言った女性看護師。デスクに着いているスタッフがうなずくと、「わたしは、もうがるわね」と言って、看護師は照明のついてる受付の場をあとにした。
 が、そのロビーの椅子に——本を読んでるふりをしながら——座っていたエヴァンが動きだす。本をマガジン・ラックに戻すと、ひそかに後ろをつけていったのだ。

《——ガチャン——》観音開かんのんびらきタイプのドアがひらかれる。照明度のうすぐらい病棟内びょうとうない廊下ろうかをスタスタ…と、疲れきったようすで歩いていく若そうな女性看護師は、ようやっと、めんどくさい患者たちから解放され、夜勤やきん疲れのカラダをシャワー室であらいながそうとしていた。ボールペンをうしろでかんざしのように差した——首から聴診器ちょうしんきをぶら下げながら——二十代後半くらいにみえるブロンドのわりと美しい女性は、首を左右にコキッ…コキッ…とかたむけた。
 そう——シャワーをびているさいちゅうに、グサッ!…とされた女性がこの人なのだ。
 しかし、エヴァンは秩序ちつじょにこだわろうとする典型的てんけいてきなシリアルキラーである。自分をひどい目にあわせた父親への激しい怒りを、その面影おもかげをのこすほかの父親に転移てんいさせていたわけだが……看護師は父親でもないし、このパターンにも当てはまらないではないか……。
 もしや……
 女性看護師は後ろをつけられていることに気づいてはいない。これから起ころうとしている悲劇にも……。
 エヴァンも薄暗いロビーを足音もたてずに進んでいく。
 一瞬、看護師に気づかれそうになったが、シャワー・ルームに入ったのを確認した。
 エヴァンは扉のまえで、タイミングを見計みはからっている。
 看護師はシャワーを浴びだした。
 そして、とうとう……
「おい!」エヴァンが声をかけた。
 とつぜん入ってきたエヴァンに、あわてふためくホームレスふうの男。「ッ!? あ、あの……じつは……探しものをしてて……」
 男は帰らずに、関係者用の給湯室きゅうとうしつへしのびこんでいたみたいだ。
「シ〜〜」そう言うと、エヴァンは自分の鎮痛剤ちんつうざいをわたしてあげた。そして、その薬にがっついたホームレスふうの男が背中をむけると、隠しもっていた鈍器どんきでエヴァンはそいつの頭を打撃だげきした。
 そのころ、看護師の首をためらわずに切りいたエヴァンの母親——マリーは、布でおおった遺体をキャスター付きの担架たんかにのせると、泰然自若たいぜんじじゃくといったおももちで安置所あんちじょ放置ほうちしたのだった。

「……!? どこだ、ここは? おい、なんだよ、これは?」となっている いつものテラスハウスで、同じように拘束されているホームレスふうの男——マーク(四十代)が目ざめた。スタンド・ライトの照明をじかに向けられているため、とてもまぶしそうに目を細めている。「なんのつもりだ? オマエは誰れだ?」
「“薬をやめた” と言ったのは、ウソなんだな?」照明のかげから、エヴァンがしずかに言った。
「なにを言ってる……?」とマーク。「たのむ。かえしてくれ。このことは、誰れにも言わないから」
 エヴァンはバッグからナイフを取りだした。それを見たマークは一気に顔がこわばり、ウソがつうじないとさとりだす。じぶんがここで殺されるということも……。
「……フゥ〜……初めてじゃないな……」こうしがたい恐怖をかんじながら、マークは言った。「何回目だ?」とエヴァンをみやって。
 すると、エヴァンはフックに近い右パンチをあびせた。「どうでもいいことだ。クリスをなぐったんだろ?」
 マークはあばれたことを薬のせいだと言い訳した。
「いいことを教えよう。依存症いぞんしょうの会なんて、無意味なんだ。クリスが求めているのは、父親からの愛だ。なのに、あんたは何度もなんども裏切ってきた。ハイ、、になりたいがためにな」
 息子を愛してるんだとのたまうマークの腹を、エヴァンはゆっくりと突き刺した。すると、マークの服が赤くにじみだしてくる。
「……あんたも父親なら分かるだろ? 金目的でもどったんじゃない……」声をふるわせ、涙目でマークは言った。
「金ってなんだ?」とエヴァン。
「……聞いてないのか?……女房にょうぼう叔父おじ遺産いさんをうけとったみたいなんだ。このとおりだ、頼む、やめてくれ」
 そのとき、エヴァンは自分の父親を思い出していた。
「……フゥ〜……あんたみたいなやつは、ムショに大勢いる」どうせ殺されるなら威勢いせいのいい姿を奴の目にきざんでやろうと思ったマーク。「日常にちじょうにひそむ怪物かいぶつだ。あんたは父親にもなれない。なぜなら人を愛せないからだ。……家族に正体しょうたいがバレたらどうする気なんだ? え?」
「……よく話してくれた」エヴァンはマークの首を切り裂いた。大量の血飛沫ちしぶきを顔にも受けながら。すると、過去のいままわしい記憶が脳裡のうりによみがえってきたのだ。とんだあらくれの父親を——“遺体を埋めているところを見たぞ” と母のマリーをおどしつけ、無理やり自分と母さんを引きはなそうとした——まだ小さかった自分が手にしたナイフで、その首を切り裂いたという過去かこを……。
 殺人鬼さつじんきの血は、マリーから受けいでいたのだ。
 ローレンとアンドリューのねむる自宅にもどったエヴァンは、子ども部屋でアンドリューをきながら、自分の首に付いていたマークのをかえり血を、おなじく帰宅してきたマリーにきとってもらっていた。
 彼れらは——
 不思議な親子愛でむすばれていた——。

第四章:勘づく者達

 息子のアンドリューをベビー・ベッドにもどしたエヴァン(三十代)は、妻——ローレン(二十代)のねむっている寝室のベッドにおちついた。月明つきあかりのしてくる窓のほう向いて、横になっているローレンの体をやさしくエヴァンはきしめる。そして、安心したように目をつむった。
「……今夜もドライブに行ってたの?」起きていたローレン——キューバ系の浅黒あさぐろい肌に 長い黒髪みをした、なんともなまめかしい優美ゆうびな女性——が言った。
「……うん……」ほんの少し目をけると、エヴァンは遠くをみながら答えた。
「あなたのことが心配……」天井てんじょうをみつめながらローレン。
「ストレスがたまってた。でも、もう大丈夫」
「……あなたをうしないたくないの……」
 ローレンを自分がわにりむかせたエヴァンは、言葉ではなく、くちびるをつかって「大丈夫だよ」と伝えた。
 やがて、ふたりのキスは情熱的なものとなっていく。
 ローレンの杞憂きゆうにちかい不安は、このときれていた。

 翌朝よくあさ、キッチンでコーヒーを入れてるキャミソールすがたのローレンに、エヴァンはうしろから近づき、抱きしめた。彼女のほおにキスをくれて。
 幸せそうな笑顔をみせていたのもつか、リビングのほうから聞こえるテレビの音が気にさわり、ローレンは言う。「エヴァン、テレビをみながら子守こもりをしないでって、言ってくれた?」
「言ったよ」とエヴァン。「もういちど言ってくる」
 ふたたび、妻の頬にキスをすると、エヴァンはマリーのいるリビングへと足をはこんだ。また、此間こないだみたいに注意するつもりだったが、エヴァンは今ながれている報道ニュースに目がまる。
『——続いて、速報そくほうをお伝えします。市内の開発予定地区かいはつよていちくから、男性の遺体いたいが発見されました。犬を散歩さんぽちゅうの女性から通報つうほうがあり、敷地内しきちないから——』
「お母さん」エヴァンが何も言わないから、ローレンが直接注意した。「テレビを消してください」
 ソファでアンドリューをあやしていたマリーは、呆然ぼうぜんと立ちつくしているエヴァンのほうを見遣みやっていた。「ごめんなさい。気をつけるわね」と言って、テレビを消した。 
 となりにいるエヴァンと、ソファにすわっているマリーをちらちら一瞥いちべつし、ローレンは言った。「いいんです。ありがとう」マリーからアンドリューを受けとり、ふたりに怪訝けげんそうな目を向けたあと、ローレンはベビー・ベッドに歩いていった。

 報道ほうどうによると、敷地内から三人の遺体がみつかっている。息子たちに暴力ぼうりょくをふるっていた——刑務所けいむしょあがりの大柄おおがらな父親——ルイス。また、自分のめいである一五歳の少女に性的暴行せいてきぼうこうりかえしていた男——フレデリック。そして、薬物依存やくぶついぞんで息子のクリスをなんども裏切うらぎっていた父親——マーク。
 このニュースは、エヴァンが面談めんだんを行っている生徒たちにも知れわたっていた。それを受けて唯一ゆいつ笑顔えがおをみせていたのはレイプ被害者のケリー(一五)だけである。不適ふてきみではあったが、殺人犯に感謝のねんをかもしだしていた。
 いっぽう、父の死に納得なっとくできないでいるクリスはというと……
「……ひどい父親でした……でも、わろうとしてたんです」エヴァンが対面にすわるまえで、クリスは悔恨かいこんじょうをあらわに言った。「父さんを知りたかったのに、そのチャンスをうばわれた……」
「クリス」エヴァンは言った。「お父さんは薬をっていたかわからない。今は悲しい思いでいっぱいなだけだ。でも、不幸中のさいわいなんじゃないのか?」
 自分の父親がダメなやつだとわかっていても、クリスは最後までにくむことはできなかった。父の愛をもらっていた思い出もあったからだ。そんな父が殺されて、幸せだと思えるわけがないじゃないか。
「どうしてそんことを?」くやし涙をかべながら、クリスは言った。
「お父さんみたいな人をたくさん見てきた。僕もキミと同じ目にってたんだ。……お父さんは変われない」自分のやってきたことを否定ひていされたくなかったエヴァンは、クリスに理解をうながした。が……
「ちがう……依存症いぞんしょうの会に参加するんだって、言ってました」拒否きょひ姿勢しせいてんじたクリス。
うそに決まってる」めずらしく感情的なエヴァン。「お母さんが遺産いさんを手にしたから、それで都合つごうよくあらわれたんだろ?」
「……」かべの窓のほうに頭を向けていたクリスは、ながし目でエヴァンを見遣みやりだす。怪訝けげんなおももちで彼れは言った。「どうして遺産のことを?」
 しまった……と思ったエヴァン。「まえに来たとき、キミが話してくれたろ? 忘れたのか?」沈着ちんちゃくと。
「……いいえ……おぼえていません……」口がぽかんといていたクリスの涙は引いていた。「すみません。失礼します」と立ちあがる。
「クリス」エヴァンも立ちあがった。「まだ、終わってないぞ」
「……ごめんなさい、先生。ちょっと気分が」急によそよそしくなったクリスは学生相談室をあとにした。

《コココ コン!》
 リビングのソファで一緒にくつろいでいたしゅうとのマリーとよめのローレン、そして、あかん坊のアンドリュー。ドアをたたく音に、おくれがコケットな お団子だんごヘアーにしているローレンが向かった。のぞきあなから相手を確認すると、ドアをガチャっとけた。
「失礼します」エヴァン家族がんでいる平屋ひらやをたずねてきたのは、口周くちまわりからエラぼおにかけてワイルドにげをたくわえている黒人男性だった。「刑事けいじのオーバー・ストリートです」そう言うと、ローレンに警察手帳のバッジをみせた。としは三十から四十ほどで、どことなく手強てごわそうな印象いんしょうがつよくでている。

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「エヴァン・コールさんのおたくですか?」とストリート刑事。
「……はい」うでをくみ、警戒けいかいしながら答えたローレン。
奥様おくさまかな?」
「ええ、なんですか?」
「あなたのご主人しゅじんと話したいんですが……いますか?」
「……いいえ。でも、すぐもどります」
「では、ちます」と、ローレンがまだ許可きょかもだしてないのに、ストリート刑事は家に入っていった。

「コールさん、あなたは開発地で発見された事件のことは、もう、ご存知ぞんじですよね?」戻ってきたエヴァンにたずねたストリート刑事。
 二人は今、ダイニング・テーブルにいて向かい合っている。うたがいの眼差まなざしを向けているストリート刑事に、いっさい、動揺どうようするようすをみせないエヴァン。「ええ、ました。ひどい話しです」
 ストリート刑事は、被害者ひがいしゃの共通点から身内みうちの子どもたちが同じ高校にかよっていることをき止めていた。そして、おなじソーシャル・ワーカーと話しをしていたことも。
 しかし、するどい質問にもエヴァンは淡々たんたんと答えてみせた。
 すると、エヴァンに自分の名刺めいしをわたしたストリート刑事は、マリーとローレンが不安そうに見守みまもっているリビングへと戻っていく。
「あ、奥さん」ストリート刑事が言った。
「!?」うしろから呼ばれて、ビクッとおどろいたローレン。
「ご主人ですが、深夜しんやに外出することはありますか?」
 ローレンが答えるまえに、アンドリューをかかえているマリーが口をだす。「まさか。そんなことしないわ、刑事さん。息子はよき父親で、よき夫です」
「……どうです? 奥さん」マリーから視線をはなさずにたずねたストリート刑事。
「……いいえ。まったくありません」自信なさげに答えたローレン。
 すると、ソファに座っているローレンのほうまで前屈まえかがみ、ストリート刑事は言った。「あなたはねむりが深いんですか? 奥さん」
 大事な息子のピンチに、マリーはカウンターの鈍器どんきになりえる調度品ちょうどひんに視線をむけていた。いざとなったら、それで刑事の頭をなぐる覚悟かくごをきめていたのだ。が、今はそれもむずかしい……アンドリューをかかえているにくわえ、その調度品はストリート刑事の後ろにあったからだ。
 すると、アンドリューがいいタイミングでいてくれた。ローレンがあやしに子ども部屋へれていくと、漠然ばくぜんたる疑いをのこし、ストリート刑事は帰っていったのだった。
 その日からだった。繊細せんさいなあのローレンが、自分の夫に不信をいだくようになったのは。刑事が帰った夜、子ども部屋にやってきたエヴァンのキスを「やめて」と、けていたローレン。それを、客間きゃくまの寝室にある椅子いすから、マリーはうかがっていた。まんがいち、真実を知っても味方みかたをつらぬいてくれるのか、それともてきにねがえるような不義ふぎをはたらく女性なのか。そんなことを想念そうねんしながら。

 翌朝、また、あのストリート刑事がたずねてきた。なにか知ってそうな気がするという、刑事のかんともいうべきものなのか。彼れはローレンと話したいと言って、エヴァンのことを追窮ついきゅうした。
 が、ローレンはストリート刑事の期待きたいをうらぎり、夫をまもる姿勢をくずさなかった。“もう、時間の問題ですよ” と言われても、かたくなにエヴァンのかたをもってみせたのだ。
 その夜——。
 夕食をえたばかりのエヴァンとローレンがともに食器を洗っていると、また、リビングからテレビの音声が流れだす。手をめたローレンは、となりのエヴァンに目でうったえた。
「僕が話してくるよ」そう言うと、エヴァンはリビングのほうに歩きだす。「母さん——」
『——小児科しょうにか勤務きんむする看護師かんごし——キャロライン・ハリントンが、遺体安置所いたいあんちじょの外で遺棄いきされているのが発見されました——』
 ソファでアンドリューをあやしているマリーと、立ち止まったエヴァンが目を合わせた。
「……消してくれ」エヴァンが言った。
「そうしましょうね」家族をおびやかすものは排除はいじょすべき。そういう意味でマリーは言った。

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 寝室でぐっすりとって寝ているエヴァンとローレン。
 突如とつじょ、《ドドドド ドンッ!》と玄関がたたかれた。
「コール先生! 出てこいよ、コール先生——‼︎」
 憤怒ふんぬさけび声をあげていたのは、生徒のクリスだった。なんどもはげしくとびらをたたきつけ、エヴァンを呼んでいる。
「! なんなの?」眠りから起きたローレンが言った。
「……クリスの声だ」エヴァンはベッドから起き上がる。「僕が出てくる」いてこようとしていたローレンを止めた。「大丈夫。まかせて」
 エヴァンは玄関の扉をけた。すると、おさけを飲んでいたのか、クリスがおぼつかない足でいきおいよく家のなかに入ってきた。
「クリス、どうした?」エヴァンは落ち着いていた。
「あんたなんだろ?」直結ちょっけつしているリビングのところで、クリスがたずねた。
「なんのことだ?」とエヴァン。
「……父さんを殺した……」
 今のクリスの精神は かなり不安定なじょうたいであった。
「クリス、ってるな?」エヴァンがいた。
「遺産の話しはしてない! 父さんから聞いたんだろ?」クリスはズボンにしのびこませていたじゅうをエヴァンに向けた。「本当のことを言えよ、先生」
「……そんなことするはずないだろ」両手をひらいてみせながら、クリスに少しずつ近づいていく。「キミを息子のように思ってる。いつでも力になってやりたい」
 すると、赤ん坊をかかえながら、おずおずとローレンが声をかけてきた。クリスは声のしたローレンのほうを見遣みやった。
「大丈夫だ」とエヴァン。「部屋にもどってて」まだ近くにいる妻をあおる。「ローレン!」すぐ目のまえのクリスに視線をめたまま。
 ローレンはだまって寝室のほうに下がっていった。
 すると、いっしゅんゆるめたクリスのすきをついて、エヴァンは手練しゅれんのごとく、銃をうばいとる。いで、クリスの背後にまわり、抱きしめた。「落ちつけ。いいんだ、クリス。僕はキミの味方だ」
 クリスは両手で涙をぬぐっていた。
「シ〜〜、シ〜〜、大丈夫。気にするな」
 抱きしめられているエヴァンの左手をつかみ、クリスは悲嘆ひたんの涙をながしている。奪われた拳銃けんじゅうでエヴァンに後頭部こうとうぶねらわれているとも知らずに……。ローレンは、そのようすを遠くから息を殺してうかがっていた。
「シ〜〜、もうーいいんだ」そう言いながら、エヴァンはめぐらせる。ここでクリスを殺すべきかどうかを……。すると、エヴァンは銃をろした。それをカウンターの上におくと、クリスを家まで送りとどけようとする。
「——さわんなよっ!」クリスはエヴァンをき飛とばし、一人で立ちっていった。
 エヴァンはクリスに疑われていてもどうじることはなかった。おそらく、なだめすかす自信があるからなのだろう……いや、しかし……これまでに焦燥しょうそうして動顚どうてんするといったことが、あったのだろうか……?
 寝室の椅子にもたれながら、不安そうにアンドリューを抱いているローレンのところに、エヴァンがやってきた。
「すまなかったな」ローレンのとなりに腰掛け、エヴァンが言った。「彼れは今、精神的にまいってる状態なんだ」
 ローレンは、エヴァンを見遣ることもなく、ただ、黙ってアンドリューを抱きしめている。マリーが廊下ろうかから心配そうにのぞいていたのだが、気づいていたのはエヴァンだけだった。
 ほとぼりがめると、ローレンは深く言及げんきゅうすることもなくエヴァンと寝室を共にしていた。すると、子ども部屋にいるアンドリューが泣きだした。
「見てくる」ベビー・モニターを手にしたローレンに、エヴァンが言った。「寝てて」
 あやしに向かったエヴァンは、アンドリューに哺乳瓶ほにゅうびんのミルクをあたえながら、ロンキング・チェアをユラユラと揺蕩たゆたわせている。「パパは人を助けてるんだ、アンドリュー。人生の窮地きゅうちに追いやられている子どもたちを。……フ……わからないようなぁ、まだ、おまえには。——」
 エヴァンのひとり言にちかいつぶやきを、壁に設置せっちしてあるベビー・モニターがひろっていた。
 それを聞かずにはいられなかった——
 上体じょうたいを起こしていた——
 妻のローレンは……。

最終章:親子の忠誠

 深いねむりについた夫のエヴァンを確認すると、妻のローレンは物置部屋ものおきべやをしらべにいった。エヴァンはよく、家事かじを手伝っているときにウォークマンをいていたのだ。どうやら、それを思い出したらしい——あれは本当に音楽なのか、と。
 キャビネットの引き出しや、小物入れのたなまで、ローレンはくまなくさがした。そして、ついに分厚ぶあつい本の中から——ページはダミーで中が空洞くうどうになっていた——エヴァンのMDウォークマンをみつける。
 再生ボタンをしたローレンは、ポロッと涙を流していた。
 気づけば、すでに明朝みょうちょう。ローレンはキッチンとダイニングのあいだに置かれたゴミ箱の中から、新聞紙を取りあげた。そこには、開拓地かいたくちでみつかった被害者三人の名前えがっているのだ。あんじょう、殺された男たちと、録音に入っていた男の名前えは一致いっちしていた。
 ——彼れらを殺したのは……エヴァンだ……。
 ローレンは愕然がくぜんと記事をみつめていた——と、そこに!
 後ろをりかえると、アンドリューをかかえているマリーが立っていた。
「お腹がいてるみたいよ」マリーが言った。「ほら、ママよ」アンドリューをローレンにたくした。
 すると、手のいたマリーはキッチンに向かいながら、ローレンに言う。「今、エヴァンは追いつめられてるわ。そうでしょ?」
 アンドリューをっこしているローレンは、テーブル席に着いて、マリーに耳をかした。
 目線の位置にあるウォール・キャビネットからカップを取りだし、コーヒーを入れながら、マリーは息子のエヴァンのことを話している。「——つらい経験をとおして、子どもは、守られるべきと学んだのよ——家族を——守られるべきってね」スプーンやフォークの入ってる引き出しをあけた。そこには、一丁いっちょう包丁ほうちょうが入っている。その腹を、マリーはさすった。「でも、ときには守るための代償だいしょうもひつようよ」スプーンを取りだしたマリーは、砂糖とクリープをいれてぜた。カップを両手に持つと、戦々恐々せんせんきょうきょうとしているマリーの対面にすわった。「あなたも辛かったでしょうね。おさなかったころから、家族がいなかったんですもの」
「……わたしも……いろいろありました……」とローレン。
「アンドリューは、そんな思いをしなくてむわね」
 おだやかにゆっくりとマリーは話しているが、その目はもいわれぬすごみをやどしていた。
「おたがい、家族のためなら何でもする。……そうよね? ローレン」
「……」

《——ヴゥ”〜——》携帯バイブ音がった。
「やあ、ローレン」学生相談室のデスクからエヴァンが出た。
『エヴァン、おねがいがあるの』
「なんだい?」
『アンドリューをたのめる? 気分転換きぶんてんかんに二、三時間、家をはなれたいの。服を買いに行ったり、スーパーに行ったり』
「わかったよ。すぐにもどるから」
『ありがとう。寝る時間には帰る』
 電話を切ったローレンは、すぐに、また違う番号にかけた。彼女は今、自宅の物置部屋にいる。エヴァンのウォークマンをみつけた場所だ。アンドリューをあやしているマリーを気にしながら、そわそわと。
「コールの妻のローレンよ。——こんにちわ。——昨夜ゆうべ、話しが聞こえたの。あなたを信じる。——ええ。証拠しょうこもあるわ——」
 荷物にもつんだローレンは、カジュアルな格好かっこうで車を走らせた。
 入れちがいでエヴァンが自宅に帰ってきた。
「ローレンは出かけた?」リビングのシングル・ソファで、アンドリューをかかえてるマリーに、エヴァンがいた。
「“買いものへ行く”って」とマリー。
「ああ、一人で外出したいって言ってた」
「彼女を信じるの?」アンドリューと一緒に、エヴァンを見遣みやってたずねた。
「……ローレンは裏切らない。この家族がひつようだ」
「……あの少年(クリス)は?」
「……」

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 エヴァンはクリスの自宅前で車をめた。
 すると、平屋ひらやタイプの家からクリスが一人で出てきた。ラフな格好で車に乗ると、どこかへ走っていく。
 エヴァンもクリスの後を追いかけた。まだ昼間で車のとおりも多いなか、意識を彼れの車に集中させて走らせていく。
 着いた場所は、あの開拓地。まだ、舗装ほそうもされていない砂利道じゃりみちを歩いたクリスは、誰れかと合流するようだ。エヴァンは、それを車内から怪訝けげんうかがっている。そこは、“KEEP OUT立ち入り禁止” と書かれた黄色のテープでかこまれている場所——クリスの父親の遺体いたいがみつかったところだ。
 そのテープをくぐっていったクリス。
 エヴァンも車からりて、距離をたもちながら観察した。

「コールさん」はやしのみえるフェンスのまえに立っていたローレンに、声をかけたクリス。彼れは Tシャツに パーカーを羽織はおった姿で近づいた。「やっぱり、先生が?」
「ええ。夫のしわざよ」ブルゾンを羽織ったローレンが答えた。なぜか、その手に革手袋かわてぶくろ装着そうちゃくさせて。
 クリスは、どうして落ち合う場所が遺棄現場いきげんばだったのか、あやしむこともなかったようだ。まあ無理もない——まだ、未成年なのだから……。
「でも、悲しいことにね——」ローレンは腰からクリスの拳銃けんじゅうを取りだし、彼れの手ににぎらせた。「あなたのタメだったのよ」美しい眼差まなざしで彼れをみつめながら、その拳銃をクリスの顎下あごしたきつけた。「ごめんなさいね」と、それは鳴った!
《——ッバァ——ンッ‼︎——》
 はじめはそのようすを唖然あぜんと見ていたエヴァンだったが、しだいに口元が微笑ほほえみだした。
 ——カ ン ペ キ な よめ だ。
 撃った拳銃をクリスの手にもどしたローレンは、偽装ぎそうした遺書いしょをメールに書きこんだ。
 クリスの携帯で。
 そして、その携帯をクリスのカーゴ・パンツのポケットにもどしたのだ。
「ローレン」
「!?」すぐ後ろに立っていたエヴァンを見あげた。

昨夜さくやおそく、SNSに投稿とうこうされた自殺の告白のなかで——名門大学めいもんだいがく奨学金しょうがくきんを取得した——クリストファー・ウェルズが、実の父親をふくむ三人の殺害をかしています——』
 朝方あさがた、エヴァンとローレンはいながら、リビングのソファで報道ニュースをみていた。とても——とても初めての殺人とは思えないほど——“ P T S D ”にさいなまれることなく——ローレンは凛々りりしかった。そして、さらに美々びびしくなっている。
《コココ コン》玄関のとびらがたたかれた。
 エヴァンの手をどけて、ローレンが扉をあけた。「ああ、刑事けいじさん」
 たずねてきたのは、オーバー・ストリート刑事だった。
 エヴァンに容疑ようぎをかけていたストリート刑事は——どこか不服ふふくそうでありながら——事実を伝えるべく、キッチンで作業しているマリーをうしろに、ダイニングの席にすわって語りだす。「近頃ちかごろは変わりました……今の子は、なんでもネットにあげる……。彼れはどうやって、あなたの資料を手に入れたんでしょう?」
 ストリート刑事の対面には、エヴァンとローレンがならんですわっている。
「親しくなりすぎたんです」エヴァンが言った。
 ローレンはだまって夫の手をにぎり、それをストリート刑事にみせつけるように置いた。
「彼れは、よく現実逃避げんじつとうひのために、よくオフィスに来てました」とエヴァン。「僕があまかったんです」
 後ろでコーヒーをすすっていた——マリーにも視線をむけたあと、ストリート刑事は言った。「今回は本人が自供じきょうして、じぶんの銃で自殺しました。……もう、調べようがない。……お気の毒でした」エヴァンを見遣みやって言った。
「ありがとうございます」
「……じゃ、私しはこのへんで」ストリート刑事は立ちあがって言った。「見送りは けっこうです。では」
 警鐘けいしょうの音は聞こえていても、手がかりがないんじゃその場所まではわからない。どこでっているのか。だれが鳴らしているのか……。
 ストリート刑事は帰っていった。とちゅう、カウンターに置かれていた——まないたのうえにある——意味深いみしんな包丁に目もくれずに……。
 それは、もしものためである。
 いちばんおそろしいのは、マリーのほうなのかもしれない。そのために、キッチンから動かなかったのだから……。
 マリーは二人に言った。「パンケーキは(いかが)?」
 ローレンを後ろからきしめながら、エヴァンはふたりでベビー・ベッドのアンドリューをながめている。
 子どもからの夢だった理想の家庭——
 同じ罪を共有する強固きょうこきずな——
 家族愛。
 自分たちと同じ思いはさせまいという——
 子どもに希望をたくす——
 親子愛。
 この家族は持っていた——
 奇妙きみょうな愛で——。

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 ——おわり。

「人間の中で最良のものは家族の愛である。
 それは安定の尺度で、忠誠心の尺度でもある」
 詩人 ハニエル・ロング

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