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上久保ゼミ用語解説(1):偶然完全

これまで、上久保ゼミ13年の歴史で、「標語」となってきた言葉の数々を、新ゼミ生(現・3回生:13代目)に説明するシリーズ(笑)。

近ごろ、そういう言葉をあまり使ってこなかったのだけど、やはり「言霊」というものはある(笑)。言葉から、どういう人間になり、どういう人生を歩むのか、目指すものが定まり、個人としてもゼミとしても成長していくことができる。

「偶然完全」は、近年、もっとも僕が学生に話してきた言葉で、前ゼミ長・ハルカワもこよなく愛し、11代めの「卒業論文集」の表紙に記したほどだ(笑)。

「偶然完全」とは、正確には「偶然からしか完全なものは生まれない」という意味だ。

元々は、名優・勝新太郎がよく使っていた言葉だという。

その意味するところは、人間一人が頭の中で考えることなどたかが知れている。そんなものからいいものは生まれない。

例えば、先生の言う通りにする、というのがある。でも、それじゃ、先生の劣化版になるだけで、先生を超えることはない。

むしろ、いろんな人の交わりから、偶然に新しい発想が生まれ、完全なものに練りあがってくるのだという考え方だ。

例えば、有名な話としては、新人女優だった原田美枝子の逸話がある。勝新が監督・主演していたドラマ「座頭市」に原田が出演した時の話。

京都の撮影所にマネージャーとともにやってきた原田に、勝新が聞いた。「お前、どこに行きたい?」原田が答えた。「海に行きたいです!」。勝新「じゃ、行くぞ!」。ということで、撮影スタッフもつれて、突然福井の海に全員移動して撮影した。

そもそも、海の話じゃないのだから、脚本は完全無視。セリフはすべて勝新と出演者のアドリブ。こうして、誕生したのがシリーズ屈指の名作だった。

この回のみならず、監督・主演の勝新は、すべて脚本家が書いてきた脚本は完全無視でアドリブの演出をした。脚本家一人の頭の中で考えたことなど浅はかなものだという考え。もちろん、勝新は、自分自身が一人で考えることも信用していなかった。いろんな人のぶつかり合いが、完全なものを生むということだ。

そういう勝新の姿勢が、映画製作にかかわるすべてを支配しようとした黒澤明監督と衝突したのが、有名な「影武者・降板事件」ということだ。

上久保ゼミでは、「偶然完全」を大切にせよと説いてきた。

例えば、コロナ前はゼミに外部からいろんな依頼がきたものだった。例えば、大阪府・市からIRについての研究発表会参加の打診があったりとか。

こんなこと、うちのゼミでやることか、と依頼を受けた時は意外に思うわけだが、少なくとも相手は「やってくれる」と思うから頼んでいるわけだ。そいう言う話はためらいなく受ける。

なぜなら、相手は「自分の知らない自分」をみているからだ。それを受けて、なんとかかんとか、手探りからでもやってみると、新たな自分を見つけ、成長させることにつながる。これぞ「偶然完全」だ。

上久保ゼミは、始めた時からは想像もつかない方向に大きく進んできた。さまざまな業界で活躍する先輩方も、こんな風に育つとは、僕自身まったく思っていなかった。先輩方も、自分の人生がこうなるとは思ってなかった人が少なくない(笑)。

それは、個人レベルでも、同じ。日常的に、バイト先、サークルや部活、いろんなところで、意外なことを頼まれる。そういう機会を「いや、自分は無理なんで」と逃げていないだろうか。そういう機会こそ、絶対に逃してはいけないのだよ。自分の知らない自分を発見する、成長の機会なのだから。

僕自身、大学を出て会社員になったわけです。それが今、大学教授。こんな人生、どこにも計算はありません(笑)。出たとこ勝負、いろんなことから逃げないで、ぶつかった結果であり、さまざまな人との出会い、さまざまな人に助けてもらった偶然の結果です。完全からは程遠いですが、まあ、楽しくやってますよ(笑)。

よく、日本の若者がダメになったのは、就職活動で「自己診断」みたいなのをはじめてからと言われますが、その通りだと思いますね。

「君は営業ではなく、人事向き」とか、ああいうのが人間の可能性を狭めてしまう浅はかなものなのは間違いない。

「自分は営業はできません」とか自己診断の結果で決めてしまうことのなんと残念なことか。例えば、僕が入った商社にはよく「人が好きなんです」という、口が達者な学生が希望してくる。

でも、そういう学生を、僕が入った会社は採用してなかったと思います。自分のOB訪問を受けた時、そういう学生の資質を疑ったものです。

口が達者だと、客先でペラペラなんでもしゃべつのは危ないんです(笑)。一方、本当にできる営業マンは、なにをしゃべり、なにを黙っているか、綿密に準備して慎重に臨む。そういう人は、そもそも自分が口がうまいと思っていない。

僕自身も、元々は口下手もいいところです。

だから、どんな性格の人間が、どんな仕事に向いているかなんて、ステレオタイプ的な決めつけ程、愚かなことはないのです。

ゼミ生には「偶然完全」を大切にして、大学での学びだけでなく、人生全体を豊かにしてほしいと願うのです。

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