【連載小説】『平凡な少女のありふれた死に方』第6話

 文演部の活動は基本的に月水金の週三回になっていた。
 主な活動は『本作り』だが、これはシナリオがなければ何もできないため、誰かがシナリオを持ち寄ったタイミングで行われる形だった。シナリオの濃度や盛り上がりにもよるが、大体三日かけて物語を作っていく。それが月に一度行われるかどうかといった具合なので、大抵は特に活動のなく集まることが多かった。
 活動のない日は各々が読書をしていたり、みんなでボードゲームをやったりして過ごす。あとは、実際に演じ終わった物語を文字に起こしておくのも『本作り』の一環なので、シナリオの起案者はその作業をしていることもあった。出来上がったものは簡単な冊子にまとめられ、部室の本棚に並べられている。
 僕が宮野順平を演じることになったあのシナリオも、いつも通り三日かけて『本作り』が行われた。
 まず一日目は下準備の作業が多い。起案者から設定を渡され、それを確認する。そして、彼女の飛び降り演出があって、その後は起案者とすり合わせをしてより設定を深めたり、自分がどういう人間なのかを熟考し、どのような動きをしていくかの目標などを定めていく。『本作り』においては、ある意味ここが一番重要なフェーズと言える。
 二日目はいよいよ各自が自由に動き出し、物語が進行し始める。
 僕は一日目に設定を掘り下げた結果、佐野が何を思って死んだのかを知りたいと考え、彼の周囲を探る探偵役として動くことに決めた。

 佐野とは地元が近く、高校で唯一同じ中学校出身、部活も中学の頃から同じ美術部に所属していた。もちろんお互いのことを認識していて、何となく顔を合わせれば話すくらいの関係性だった。しかし彼はクラスの中心メンバーに馴染んでいるタイプで、一方の僕は教室の端で本を読んでいるタイプだったので、中高を通してもさほど仲が深まることはなかった。
 そんな僕が彼と最後に話したのは、彼が死ぬ三日前のことだった。その日は部活が休みだったのだが、製作中の絵を仕上げてしまいたくて、一人美術室で作業をしていた。
「あれ、宮野もいたんだ。お疲れ」
 少し遅れてやってきた佐野は、誰もいないと思ったところに先客がいて驚いた様子だった。ぎこちない声で軽く挨拶をしてきたので、僕も「お疲れ」とだけ言葉を返す。そのやり取りでお互いにこれ以上会話を交わす必要はないと暗黙の合意をして、僕は自分の作業に戻った。
 それからしばらく集中して作業を進めていたが、ふと顔を上げると、何やら彼が部員の制作物やスケッチブックが置いてある棚を物色しているのが見えた。一瞬、探し物でもしているのかと思ったが、明らかに様子がおかしく、手に取っているのも他の人の物ばかりのようだった。
「何か探してんの?」
 特段興味もなかったが、あえて声をかけたことに悪意がなかったとは言い難い。背中を丸めて小さくなった彼の姿を見て、僕だけが知っている彼の罪を想起したからだ。しかし、まさか本当に彼が罪を犯そうとしているとは思っておらず、ほんの少しからかう程度のつもりでしかなかった。
「いや、別に」
 彼の返答は不自然なまでにそっけなく、露骨に何かを隠そうとしていた。こちらの方を振り返りもせず、手に持ったスケッチブックをパラパラとめくっている。
「それ、先輩のやつでしょ? 勝手に見たらまずいんじゃない?」
 彼の態度を見て、僕の中の悪意がむくむくと膨れ上がっていった。右手に持っていた筆を置いて、立ち上がって彼の方へと近づく。
「先輩に取ってきてくれって頼まれたんだよ。お前には関係ないだろ」
 そう言うと、彼はそのスケッチブックを抱えて、僕を避けるようにして扉の方へと向かっていく。
「……また、盗むの?」
 ぽつりと、ギリギリ彼に届くくらいの声量で呟く。すると彼はぴたりと足を止め、ゆっくりこちらを振り返った。
「お前、まだこんな絵描いてるのかよ」
 彼は僕の質問に答えることなく、捨て台詞のように僕の描いていた絵を嘲笑うと、そのまま足早に立ち去っていった。
 おそらく佐野には盗作癖があった。盗作と言っても、作品を丸々真似するわけでなく、誰かのアイデアを真似して、それを盗作だと指摘できない程度に改変して自分の作品として発表する。だから盗まれた相手も盗作を指摘できない。
 何より厄介なのが、彼の絵が少なからず世間的に評価されていて、人望もあることだった。彼のような人間が盗作などするはずがない、そういう目が働いて見過ごされている部分が大きいように思えた。
 実際、中学時代に僕の絵が盗作されたときもそうだった。
 僕は学校の裏庭によく来ていた猫を題材にして絵を描いた。毎日のようにその猫を観察し、スケッチを重ねながら、ようやく完成させた珠玉の一枚。しかし、コンクールの入選作品を見ると、そこには見慣れた猫が描かれた佐野の絵が載せられていた。
 自分の作品が入選できなかったこと、そしてその絵を盗作した別の絵が入選していることが信じられなかった。何より悔しかったのは、佐野によって描かれたその猫は僕の目が捉えたどの姿よりも生き生きしていて、その絵を震えるほど素晴らしいと感じてしまったことだった。
 とにかく僕は怒りのままに顧問に直談判を行った。自分がずっと描き溜めたスケッチを見せて、彼がその猫を見ていたことは一度だってなかったと伝え、絵そのものは似ていなくとも明らかな盗作であることを主張した。
「考えすぎじゃないのか?」
 そんな必死の訴えも虚しく、顧問はそう言ってまるで取り合おうとしなかった。挙句、僕の方がむしろ盗作をしているんじゃないかと疑い始め、結局僕は泣き寝入りするしかなかった。
 佐野の死の理由を知りたいと思ったのは、彼が盗作を恥じて、その罪に耐えかねて死んだのではないかという淡い期待があったからだった。もしそうなら、入選しなかったあの猫の絵も少しは報われる気がした。
 あるいは、そうでないとしたら、彼のような絵を描く人間が死ぬ理由を知りたかった。
 あの猫の絵を盗まれてから、僕は彼に対して憧れと嫉妬の混ざったどろりとした感情を抱いていた。彼のような絵を描きたかったし、彼のような人間がその絵を描いていることが許せなかった。
 死を選んだ理由に、彼の芸術性に迫る何かが隠されているのではないか。表に見えていた社交的で世渡りが上手く、楽観的で図々しいような姿は仮初のもので、実はその奥に本当の姿が押し殺されていたのではないか。そんな彼の本質を知ることで、僕自身が彼の絵に近づけるのではないか。
 しかし、彼のことを知ろうとすればするほど、そんな幻想は脆く崩れ去った。
「あいつはよく笑って言ってたよ。俺は題材さえあればそれっぽいものが描けるから、思いつかないときは誰かから適当に拝借するんだ。そいつよりも圧倒的にいい絵が描ければ、それは盗作にはならない、って威張ってた。全く嫌味な奴だったね」
 佐野と仲の良かった杉村に盗作疑惑のことを話すと、どうやら杉村にとっては既知の事実であるようだった。佐野は盗作を恥じているどころか、まるで悪びれる様子もなく武勇伝のように語っていたことを教えてくれた。
 そうして数週間が経過したころ、僕と同じように佐野の死の理由を探っていた村木先輩から、ようやくすべてがわかったと呼び出された。
「遺書が見つかったんだ」
 村木先輩はそう言って便箋に入った手紙を差し出した。
「一年生の楢崎さんが持っていた。佐野が死ぬ直前に楢崎さんのロッカーに入れていたみたいだ」
 そこに書いてあったのは、佐野から楢崎さんへの度を超えた愛の言葉と、彼女が自分の愛を拒んだことに対する怒りと絶望、そして死を選ぶ決意が書かれていた。
「楢崎さんは自分のせいで彼が死んでしまったとすごく気に病んでいたらしい。誰かに言い出すわけにもいかず、この手紙を捨てることもできないまま、ずっと一人で抱え込んでいた。佐野はこうして彼女を苦しめて、自分の方へ振り向かせるために死んだんだ。本当に傲慢で自分勝手な奴だよ……」
 結局佐野は自分の罪に苦しんでいるわけでも、内なる芸術性を秘めているわけでもなく、失恋の悲しみで勢いに任せて自殺しただけだった。どこまでもあの美しい猫を描くのにふさわしくない、平凡で無頓着な人間だった。
 そんな風に死の真相が明らかになった後、僕は偶然彼の遺作であろう絵を見つけた。しばらくその絵に目を奪われ、その場から動けなくなる。
 描かれていたのは、学校の屋上から見た景色だった。雲一つない青空がこちらを嘲笑うように澄み切っていて、見渡す限り広がる雑然とした街が何事もなく動いている。少しだけ下を向いたアングルによって、わずかにはみ出たつま先が見切れていて、開放的に見えるはずの風景に重苦しい閉塞感が生まれている。描き込みも少なく荒さの残る絵ではあるものの、それゆえに切実さを感じられるような力強い一枚だった。
 ――これは僕の描きたかった絵だ。
 作者がもうこの世からいなくなってしまっているからか、不思議と嫉妬心は全くなかった。純粋に絵の美しさに感動し、そして、この絵を欲しいと思った。
 僕は周囲に誰もいないのを確認すると、こっそりその絵を鞄に入れた。

「初めての『本作り』はどうだったかな?」
 一通りシナリオを終えた三日目の帰り道、白坂先輩は満足げな笑みでそう尋ねた。
「先輩はずいぶん人が悪いですね。あんな当て書きみたいなシナリオだなんて思いませんでした。わざわざ僕のことを調べたんですか?」
「まあね。でもおかげで楽しめただろう?」
 楽しかったかどうかはよくわからなかったが、不思議な気分ではあった。自分のようでいて違う誰かになり切ることで、その人物を理解し、共感し、内省する。自分だったかもしれない世界と、そこで自分が感じることを省みて、今度は現実に存在する自分自身の理解へと立ち戻っていく。そんな体験をさせられたような感覚だった。
「それが『本作り』の醍醐味だよ。最終的に出来上がった物語は鏡のように自分自身を映し出す。自分では決して気付けない、あるいはあえて目を逸らして見えなくしている自分の姿を見出すことになる」
「何だかグロテスクなようにも思えますけど」
「そうかな。知らず知らずのうちに自分自身を騙して生きている方がよっぽどグロテスクだと思うけどね。少なくとも私は自分が本当は何を求めているかを知りたいんだ」
 彼女は結局それを見つけられたのだろうか。見つけることができたから、命を絶つことにしたのだろうか。
 それを解き明かすことこそが、彼女の遺した最期のシナリオなのかもしれないと思った。



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