【連載小説】『平凡な少女のありふれた死に方』第21話

 放課後の誰もいなくなった教室で、先輩の死にまつわることを整理していた。本当なら部室で作業をしたいところだったが、万が一にでも和希や友利先輩と鉢合わせたくなかったので、しばらく部室からは足が遠のいていた。
 色々と調べていくうちにだいぶ情報が整ってきたが、まだ全体像はいまいち掴めない。おそらく重大なピースが抜けている。その欠けたピースを補完するために、僕は過去のことを調べようとしていた。
 以前、部室から拝借してきた一冊のノートを開く。これは文演部の部費を管理している帳簿だった。過去数年分の部費の支出と購入した物品のレシートがまとめてある。毎年活動費として一定の金額が学校から支給されるが、その代わりにこうした支出記録の提出を求められるらしく、かなり几帳面に管理がされていた。
 基本的に文演部では参考用の本や記録用のノートなどが主な購入物品だった。ただ、時折『本作り』に使うための小道具も買っていいことになっており、僕が最初に参加した際に白坂先輩が豪快に切っていたカツラや雰囲気作りのための絵具やキャンバスなども部費で購入していた。他にもたまに何に使うのかよくわからないものが紛れていて、直近では白坂先輩が何故か片栗粉を買っている。
 そしてこの中で僕が気になったのは、高野部長の名義で頻繁に花が買われていたことだった。よく部長が窓際にある花瓶に花を飾っていて、てっきり花が好きなのだと思っていた。けれど、この帳簿を見ると、明らかな違和感があることに気付く。
「……いけない。もうこんな時間か」
 ふと顔を上げて時計を確認すると、いつの間にか十七時を過ぎてしまっていた。そろそろここを出ないと約束の時間に間に合わない。僕は帳簿を一旦閉じて鞄にしまうと、がらんとして静まり返っている教室をあとにした。
「やあ、久しぶりだな。元気にしてたか?」
 時間通りに待ち合わせ場所に辿り着くと、先に待っていた高野部長が手を振って近付いてきた。
「お久しぶりです、部長」
「もう部長じゃないだろ。もっとフランクに、賢さん、と呼んでくれていいぞ」
会うなりいきなり腕を僕の肩に回して身体を密着させてきた。その低音の効いた明朗な声と、快活で少し下品なほどの笑顔に懐かしさを覚える。
「部長は部長ですから。今更呼び方は変えられませんよ」
 彼は僕が一年生で入部した際に、文演部唯一の三年生であり部長という役職を担っていた。受験勉強が多忙だったため、あまり部活には顔を出していなかったが、それを補って余りある強烈な印象もあり、未だに部長と言えばこの人というイメージがついてしまっている。
 身長百九十五センチ、体重九十八キロ。文化部とは思えない熊のような大男だが、恵まれた体格は生まれつきのもので、スポーツはほとんどやってこなかったらしい。
 太い眉に一重瞼、角ばった輪郭に合う爽やかな短髪。顔つきはオールドスクールな純日本人という印象で、まだ高校を卒業して間もないはずなのに、一家の大黒柱のような安定感を醸し出す風格がある。
 性格は豪快で明朗快活。人当たりが良く、とにかく面倒見の良い人だった。文演部の部長というだけあって、趣味は超インドア、暇さえあれば読書をしていた。実際、大学でも国文学を専攻するほどの文学好きで、見た目からは想像もつかない繊細さも持ち合わせている人だった。
「忙しいところ来てもらってすみません」
「いやいや。ちょうど大学にも慣れて落ち着いてきたところだったし、ちょうどよかったよ。何より西村から連絡をくれるなんて思わなかったからな。俺のことなんてすっかり忘れてるんじゃないかと思っていたくらいだ」
 それから彼は大学での近況などを語ってくれた。決してそれを感じ取らせなかったが、わざと当たり障りのない話をしているのは明らかだった。ここ最近はいつも相手に気を遣わせて気まずい空気から会話が始まることばかりだったから、こうして普通のやり取りをするのが新鮮だった。
「悪いな、俺ばっかり喋っちまって。わざわざ呼び出したってことは、何か話があったんだろ?」
 ちょうどいい具合に場が温まったところで、部長は自然な流れで僕に話を促した。こうして話をしやすくするために、何でもない雑談から入ってくれていたのだろう。僕はその空気に乗じて、重苦しくならないよう軽い言い方で、少し遠回りをしながら本題に入る。
「白坂先輩って、部長から見てどんな人でしたか?」
 彼は覚悟していた話題が来たといった様子で、微かに眉を動かす。しかし、あくまでも動じていない様子で、声の調子も変えずに話し始めた。
「あいつは、誰よりも前向きな奴だったな」
「前向き、ですか……?」
 予想外の答えが返ってきて、つい聞き返してしまう。
「そりゃもちろん楽観主義って意味じゃない。むしろ、悲観的に物事を見ているからこそ、それを解決する術を探そうとする意識みたいなものが常にあった。あいつの自傷行為みたいなシナリオも、生きる理由を探すための手段だったんだと思うよ。死に方ってのは、生き方の裏返しでもあるわけだからな」
「僕にはもっと刹那的な人に見えていましたけど」
 すべてを諦めてしまっているような、そんな人だと思っていた。
「そんなことはないさ。あいつほど、色んなものに雁字搦めな奴はそういない」
 そう言って、彼は少しだけ遠くを見つめる。
「もしかしてそれは三年前に亡くなった方と関係があるんですか?」
「……知ってたのか?」
 僕の質問に対し、部長は驚いたように目を見開いた。
「いえ、これを見て何となくそうかなと思ったんです」
 持ってきていた文演部の帳簿を取り出し、ちょうど三年前の二月ごろの記録が載ったページを開いて部長の前に差し出す。そして部長の名前が書かれた行を指差した。
「この日から部長は毎月二十三日に必ず花を買っています。卒業するまでずっと、受験で忙しかったはずの時期も欠かさず。これを見るまでは、部長は花が好きな人なんだとしか思っていませんでしたが、流石に毎月同じ日というのは違和感がありました。土日や祝日であっても、わざわざ花を買って部室まで持ってきていたことになる」
 ページをめくり、部長の名前で花が買われている部分を一つずつ見分していく。
「毎月同じ日に花を供える。それはまるで誰かを弔っているようだと思いました」
 月命日。つまり、最初に花が買われた二月の前月、一月二十三日に誰かが亡くなったのではないかと考えた。部長はその人を弔うため、卒業までずっと花を供え続けていたのではないかと。
「このレシートに書かれた花屋さんにも話を聞きに行ったんです。そうしたら部長のことをちゃんと覚えていました。学生から「知り合いが亡くなったからその人に供える花を買いたい」と言われて、それから定期的に通うようになったから、ずいぶん印象的だったみたいです」
 そこまで告げると、部長はもう隠す意味もないと悟ったのか、当時のことを語り始めた。
「あいつには姉貴がいたんだ」
 姉の名前は白坂玲衣。歳は白坂先輩と三つ違いで、文演部にも所属していたらしい。過去の部誌や帳簿で名前を見かけたことがあったのでもしやとは思っていたが、ようやくここで答え合わせができた。
「あの人は俺たちが一年のときに死んじまった」
 部長は一呼吸置くのに合わせて、まだ一度も手を付けていなかったコーヒーを啜った。もうすっかり冷めてしまっているはずなのに、美味しそうに喉を鳴らして深く息を吐き出す。
「自殺、ですか?」
 その質問に静かに頷く。
「あの人は天才だった」
 白坂玲衣は妹と同じように、高校生ながらプロ作家『逆代零』として執筆活動をしていた。というよりも、白坂先輩が姉と同じ道を辿ったという方が正しい。高校一年生で新人賞を受賞し、花々しいデビューを飾った。
 ところが、その後二作目の執筆に取り掛かるが、作業は思うように進まなかった。編集者とやり取りをしながら書いては消しを繰り返す。そんな日々を送るうちに、次第に精神はすり減っていき、いわゆるスランプに陥ってしまう。彼女は物語を思いつかないどころか、一文字も文章を書くことができなくなってしまった。
 そんな彼女を見かねて、リハビリをしてみてはどうかということで入ったのが文演部だった。小説を書くことができなくなった彼女にとって、『本作り』という新しい形で創作に触れることができるのは良い刺激になったようで、少しずつ精神状態は回復していく。
「ちょうど俺たちが新入生として入ったのがその頃だった」
 部長が文演部に入部した頃には、すっかり彼女は元気を取り戻していた。徐々に小説にも向き合うことができるようになり、夏頃には再び本格的に執筆活動に取り掛かった。
「数か月かけて書き終えたあとのあの人は、憑き物が取れたような清々しい顔をしてたよ。やれることはやって、全部出し切ったという様子だった。かなり作品自体も満足のいく出来になったみたいで、これならいけると自信満々だった」
 しかし、そんな絶望の淵から立ち直った彼女は再びどん底へと突き落とされることになる。
「全没だ、と言ってた。プロットもきちんと見せて了承をもらっていたのに、いざ原稿を提出したらこれでは到底世に出せないと言われたらしい。これは憶測でしかないが、相手の編集者もあまり彼女に対して親身になっていなかったんだと思う」
 彼女は再び筆を折り、部屋に引きこもるようになってしまった。そんな中で、さらに彼女を傷つける出来事が起こる。
「白坂……妹の方が新人賞を受賞したのはちょうどそういう時期だった。考え得る限り一番最悪のタイミングだったと言っていい。しかも、彼女が受賞したのはまさに姉が受賞したのと同じ賞で、しかも姉を凌ぐ最年少受賞。加えてその作品は世間的にもかなり評価を受けることになった」
 玲衣さんにしてみれば、それは死刑宣告のように思えたのかもしれない。自分の才能を妹という最も近しい存在に否定された。そういう感覚に陥ってもおかしくないだろう。
 
 そして、彼女は自殺した。まさに、妹の本が世に出るその日だった。

「そういうことだったんですね」
 これまでバラバラに見えていたピースが一つに繋がり、今まで曖昧だった白坂奈衣という人間の全体像がよくやく見えてきた気がした。彼女の行動の根源にあるのは、間違いなくそんな姉の存在だった。
「あいつは姉を慕ってた。誰よりも逆代零のファンだった。小説を書くのもやめて、あんな風に自分を殺すシナリオに固執するようになったのもその後からだ。たぶんそれがあいつなりの贖罪だったんだろうな」
 二人のことを思い出しているのか、部長はひどく寂しそうな目をしていた。創作によって死を選んだ人物を連続で目の当たりにして、彼は一体どんな気持ちで文学と向き合うのだろう。あるいは、それを探すために大学へ行っているのかもしれない。
 部費の帳簿にあった花は、部長が玲衣さんに手向けたものだった。自分を殺すシナリオが白坂先輩の贖罪だったとしたら、その花を供え続けることが部長なりの贖罪だったのだろう。
 けれど、あくまでその花を部費で買い続けていたというのが、どこか部長らしいと思った。彼は気が利いて思いやりのある人であると同時に、他人との距離感をきちんとわきまえ、必要以上に深入りしない。実際白坂先輩が亡くなっても、今日まで僕たちに連絡一つなかった。
「つらいことをお話しさせてしまってすみません」
「俺が勝手に話したかっただけさ」
 こんなにも力なく笑う部長を見るのは初めてだった。大きな背中を丸めて、窓の外に目を向ける。彼の視線の先を追うと、向かい側の花屋に並ぶ色とりどりの花たちが目に入った。そんな世界の美しさは、僕たちのような醜い人間を嘲笑っているようだった。
「そういえば、成弥はどうしてる?」
 感傷に浸って黄昏ていたのはほんの少しの間だけで、すぐに彼は元の明るさを取り戻していた。そうして自分の悲しみを差し置いて、後輩を気に掛けるようなことを口にした。
「今回のことで一番心に来てるのはあいつのはずなんだ」
 確かに先ほどの話を聞くと、友利先輩だけは姉妹の死をどちらも目の当たりにしていることになる。しかし、部長が言ったのはそういった意味ではなかった。
「成弥は自分の恋人とその妹を立て続けに亡くしてるんだよ」
「恋人?」
「ああ。あいつは部長……玲衣さんと付き合ってたんだ」
 また重要なピースが綺麗に嵌る音がした。
「玲衣さんが死ぬまで一年くらいの間だったかな。最初は部活の先輩後輩だったはずが、いつの間にかそういう仲になってて驚いたよ」
「あれ、でもそれって……?」
 友利先輩は僕たちの一つ年上で、玲衣さんが亡くなる一年前はまだ中学生だったはずだ。
「いや、あいつは留年してるんだよ。それこそ玲衣さんが亡くなってから、半年くらいは全く学校に来なくなってさ。本当は俺と同い年なんだ」
 普通ならばすぐに気が付きそうなものだが、今の今までそんなことは想像もしていなかった。というのも、白坂先輩は部長にもため口を使っていたので、二人の会話だけでは友利先輩の方が年上だということは判断がつかなかった。友利先輩は部長に敬語を使っていたが、それは彼の演じる役の中に常に「文演部の二年」という設定が付与されていたからだろう。
「まさに、そうやってあいつが何かの役に籠り切るようになったのも、玲衣さんが死んでからだった」
 元々、部長とともに文演部に入部した頃は、日常では普通に友利成弥として過ごしていたらしい。それが玲衣さんを亡くしてから半年間姿を見せず、戻ってきたときには全く知らない人格で現れた。
「もちろん俺たちも最初は戸惑ったけど、あいつの苦しみはよくわかってたから茶化したりはできなかった。それで少しでも気持ちが楽になるならいいだろうと。別に何か困ることがあったわけじゃかなったし、実際すぐに慣れちまったよ」
「理由は聞かなかったんですか?」
 いくら受け入れると言っても、その意図を聞きたくはならなかったのだろうかと思う。
「聞かなかった。というか、聞こうとしてもはぐらかされた。結局俺はあいつが抱えてたものを聞いてやることができなかった」
 彼は話に区切りをつけるように、大きく溜め息を吐く。
「少し、喋りすぎちまったな」
 もう話すことはないと言った様子だった。
 僕も聞きたいことは聞けたので、それ以上何も尋ねなかった。軽くお礼を告げ、また会おうと社交辞令的な言葉を交わした後、その日は別れた。

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