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紹介したいnote記事「遙かなる大河」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「遙かなる大河」という記事を紹介します。
人生のたそがれどき
完治したと信じていた
心の傷がパックリと開いてしまった夜
立ち尽くす自分の眼前に流れる
遙かなる大河
大河は無情に流れつづける
静かに音もなく
地下水のように
詩の始まりは「人生のたそがれどき」です。
「黄昏時(たそがれどき)」と言いますと、映画「君の名は。」を思い出す方も多いのではないでしょうか? 映画「君の名は。」では「黄昏時(たそがれどき)」の事を「かたわれどき」と言っていましたね。
映画「君の名は。」に登場する「かたわれどき」という言葉は、ヒロインの三葉が住む糸守町につたわる方言として出てくる造語であり、実在する日本語ではありません。
映画「君の名は。」に登場する「かたわれどき」の意味は「黄昏時」と同じく夕方ごろを指します。
映画の序盤で三葉が受ける国語の授業の中で、「かたわれどき」にまつわる話を教師がしています。
直接「かたわれどき」の話は出てきませんが、この中で黄昏時の語源について話されており、「黄昏時」はアナグラムになっており文字を入れ替えていくと
たそがれどき(黄昏時)
たれそかどき(誰そ彼時)
かそたれどき(彼そ誰時)
かわたれどき(彼は誰時)
かたわれどき(片割れ時)
というような流れで、映画「君の名は。」に登場する糸守町の方言「かたわれどき」が作られたと言えます。
「黄昏時(誰そ彼時)」とは夕方を指します。
昼でも夜でもない時間は、はっきりしないために向こうにいる人が誰だかわからなくなっていく時間ということで「誰そ彼時=誰かわからない時間帯」という名がついたとされています。
そういうわけで「たそがれどき」は「夕方」になりますので、「人生のたそがれどき」と言いますと60代くらいを指しているのではないかと思います。
60歳定年と考えますと、仕事をリタイアして悠々自適と言った感じでしょうか。仕事の重圧や子育ての重荷から解放されて、ストレスフリーの生活を謳歌していたであろう詠み手に、思いがけない事件が起きます。
「完治したと信じていた心の傷がパックリと開いてしまった夜」
ある夜に、「心の傷」が「パックリと開いた」と言うのです。「パックリ」とは「大きく裂けたり開いたりする様子を表す擬態語」であり、傷がパックリ開いたら大出血してもおかしくありません。
体から大出血したら、すぐに医師によって傷口を縫合してもらわないと大変な事になるでしょう。それと同じように「心から大出血」したならば、何らかの処置を施さないといけません。
「完治したと信じていた心の傷」とありますから、本人にとっては予想外の出来事だったはずです。かなり動揺したのではないかと推測出来ます。
「立ち尽くす自分の眼前に流れる遙かなる大河」
茫然と立ち尽くしている詠み手の前に、とても大きな川が流れているようです。
「大河は無情に流れつづける」
そしてそれは「無情に流れつづける」と。「無情に」と言う表現に、為す術もなくただ茫然とするしかない詠み手の無力感が伝わってきます。
「静かに音もなく地下水のように」
音もなく静かだと、一見何も存在しないかのように思えますが、地下水のように目には見えないけれど確かに存在していると。
詠み手が言う「大河」が何を意味するのかはわかりませんが、どうしても抗う事の出来ない大きな「何か」なのでしょう。そのような局面に立たされていても、堂々とその「何か」に立ち向かっている詠み手の強さも感じられます。
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