紹介したいnote記事「遙かなる大河」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「遙かなる大河」という記事を紹介します。
詩の始まりは「人生のたそがれどき」です。
「黄昏時(たそがれどき)」と言いますと、映画「君の名は。」を思い出す方も多いのではないでしょうか? 映画「君の名は。」では「黄昏時(たそがれどき)」の事を「かたわれどき」と言っていましたね。
そういうわけで「たそがれどき」は「夕方」になりますので、「人生のたそがれどき」と言いますと60代くらいを指しているのではないかと思います。
60歳定年と考えますと、仕事をリタイアして悠々自適と言った感じでしょうか。仕事の重圧や子育ての重荷から解放されて、ストレスフリーの生活を謳歌していたであろう詠み手に、思いがけない事件が起きます。
「完治したと信じていた心の傷がパックリと開いてしまった夜」
ある夜に、「心の傷」が「パックリと開いた」と言うのです。「パックリ」とは「大きく裂けたり開いたりする様子を表す擬態語」であり、傷がパックリ開いたら大出血してもおかしくありません。
体から大出血したら、すぐに医師によって傷口を縫合してもらわないと大変な事になるでしょう。それと同じように「心から大出血」したならば、何らかの処置を施さないといけません。
「完治したと信じていた心の傷」とありますから、本人にとっては予想外の出来事だったはずです。かなり動揺したのではないかと推測出来ます。
「立ち尽くす自分の眼前に流れる遙かなる大河」
茫然と立ち尽くしている詠み手の前に、とても大きな川が流れているようです。
「大河は無情に流れつづける」
そしてそれは「無情に流れつづける」と。「無情に」と言う表現に、為す術もなくただ茫然とするしかない詠み手の無力感が伝わってきます。
「静かに音もなく地下水のように」
音もなく静かだと、一見何も存在しないかのように思えますが、地下水のように目には見えないけれど確かに存在していると。
詠み手が言う「大河」が何を意味するのかはわかりませんが、どうしても抗う事の出来ない大きな「何か」なのでしょう。そのような局面に立たされていても、堂々とその「何か」に立ち向かっている詠み手の強さも感じられます。
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