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紹介したいnote記事「最後の恋」

冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「最後の恋」という記事を紹介します。

なぜ
そんなに悲しそうな顔をするのですか
喜ばしき門出ではありませんか
いまこそあなたは旅立つべきなのです
わたしという老人の呪縛から
解き放たれる時が来たのです
あなたとわたしはまた出逢うでしょう
笑顔で再会したいものです
あれほど恋い焦がれた
あなたの美しい笑顔が消えていきます
悲しそうな笑顔も消えていきます
詩とともに

最後の恋| 冬月剣太郎 猫詩人🐈 (note.com)

 「最後の恋」と言う表題だけ見ると、今までいくつかの恋を経験した詠み手が「今後はもう恋をしない」と強く覚悟したように感じとれます。

 それは「もう恋をしなくても私は充分だ。それほどまでに今回の恋で満足出来た」と自分に言い聞かせたいのかも知れません。

 そして、俯いて悲し気な表情を浮かべる女性のモノクロ写真が添えられています。その構図は、右端の三分の一に人物を置いて、左の三分の二はスカートのような布が風でなびいているように見えます。

 それは「さよなら」と言って手を振る様子を暗示しているのでしょうか。

 詩の冒頭には「なぜ」の二文字だけ。「なぜそんなに悲しそうな顔をするのですか」と一つの文に組み込まずに、「なぜ」だけを独立させています。

 私にはこの「なぜ」が、空中に浮遊しているように見えます。

 この「なぜ」は、相手を糾弾する言葉ではありません。相手に向けた攻撃的な意図は感じられず、シャボン玉のようにただ宙に浮かんでいるだけのように思えます。

 写真の婦人は、髪型からして既婚者かも知れません。およそ40代くらいでしょうか。「わたしという老人」と卑下する詠み手は、還暦あたりでしょうか。

 この「わたし」もまた既婚者なのかも知れません。おそらく、婦人が先に彼に惹かれたのではないでしょうか。

 婦人と夫の間は冷え切っており、もう別れても良いとさえ思っているでしょう。彼もまた、長年連れ添った妻との間にはすきま風が吹いているのではないでしょうか。

 彼の優しさに惹かれていくうちに、男と女の関係になりたいと思うようになった彼女。彼もまた、彼女の好意を受け止めているうちに、男と女の関係を意識するようになった。

 二人は自然と結ばれて深い仲に。

 しかし、彼は病に侵されてしまい、自らの死期を悟ったのかも知れません。どんなに彼女を愛したとしても、残された時間は長くはない。自分の介護のために彼女の人生を浪費してほしくない。

「あなたとわたしはまた出逢うでしょう」

 これは「生まれ変わってまた巡り合いたい」という願望なのかなと思いました。

 そしてまた一方で、違う考えが浮かんできます。これは人に対する恋ではないのではないかと。詠み手が恋焦がれた「夢や目標」なのかも知れないと。

「成し遂げたかった夢や目標を諦める」

 それを「最後の恋」と表現したのかも知れないと思いました。

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